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トンボ 4

 ふいに、鈴音は気づいた。真紀子の代わりに返却窓口に座っているのは恵理子だ。彼女は朝会の時から、まるで能面のように表情がない。

 業務的に仕事をこなす恵理子を見つめていたのだが、彼女が薄く笑ったのが見えた。

 玄関口からまっすぐに返却窓口までゆったりと歩いてきた女性は、恵理子を見て不愉快そうにした。その瞬間、恵理子が囁いたのだ。

「すいませんね、整形するお金ないもので」

 続けて、彼女は自身の美しい顔をぺちぺちと掌で叩いた。

「嫌いなんですよね、この顔。すいません」

 ぐにゃり、と、何かが『曲がった』。

 一瞬後、ソコは図書館であり、図書館ではなかった。

 鈴音は真っ白な壁と、壁と、壁に囲まれていた。先ほどまで居た場所と、白という色以外は何も変わっていないというのに。

 そして、居たはずの利用者も、図書館員も、姿が見えない。居るのは、赤い頭巾の少女と、女性の利用者と、鈴音だけ。

 恵理子が立っていた場所には赤い頭巾の少女が立っている。

「え、え?」

 驚いている女性には、いや、鈴音も、事態が呑み込めていない。ただ、頭巾の少女だけは把握しているようで、にやりと笑ったのだ。

「うちのエリコちゃんに~、よくもひどいこと言ってくれたわね~!」

 けらけらと笑いながら、少女はカウンターの机の上に飛び乗った。上から女性を見下ろす。

「顔が嫌い? こっちだって、アンタの顔なんて見たくないのよ、クソババア! きったない皺だらけのそのツラで、偉そうなこと言うのはなんなのかな~?」

 持っているバスケットから、彼女は何かを取り出す。それは、ピストルだった。映画でしか見たことがないソレを、少女は構える。

「あ、そうそう。なんかよくわかってないみたいだから説明しとくとね、あんたさ、嫌われてんのよ。死ねばいいって、ここに来るなって思われてんの」

「……なんですって?」

「聞こえなかったの? 耳が悪いのね~。だからババアはやなのよ」

「バ……! 子供がなんて言葉遣いをするの! 親の顔が見てみたいわ!」

 ヒステリックに叫ぶ女性に、彼女はピストルの銃口を向けたままだ。

「テンプレなセリフありがと~。捻りもクソもなくて、ほんとめんどくさ~い!

 そんなんだから、図書館員みんなに嫌われんのよ」

「? なん……?」

「あったまワル~。あのさぁ、嫌味とかばっかり言ってる店で、店員に好かれるわけないでしょ。それでもいい接客しろって? 甘えるなっての? あんた、店になに一つ貢献してないでしょ」

「ぜ、」

「税金おさめてるって? ぶっぶ~! あんたの税金は、旦那さんの給料? 貯蓄? から払われてるよね~? 自分のお金じゃないよね~?」

 銃口を左右に軽く揺らしながら、頭巾の少女は楽しそうに続けた。異常すぎる光景に、鈴音はなにも、言えない。言葉が出てこなかった。

「てかさ~、世の中の客って、商売なめてるとしか思えないよね~? 小銭しか落とさないくせに、態度だけ偉そうでさ、ウケる~。

 文句ばっか言って、おまえ、中で働いたことあんの? って言いたくなるわよね。辛いの我慢して必死にがんばってる人をさ、おまえらウジムシは平気で、土足で、踏み躙ってんの!」

 急に少女の口調が激しくなっていく。彼女はそして呆気なく引き金を引いた。パン、と……本来ならば小さなはずのその音が、大きくこだまする。

 女性の髪が数本、はらはらと舞った。やっと、利用者は自分が不利な立場にいることを理解したようで真っ青になっている。へなへなとその場に座り込んだ。

「綺麗勝手な道徳並べるのは、反吐が出るのよ! 相手の立場になってものを言えって、アンタは先生に教わらなかったの~?」

「ひ、ひぃ……!」

「ああ、ちょっと、なに降参ポーズしてんの。許すわけないじゃん。アンタに、相手の立場をもっと考える機会をあげる~!」

 パチン、と指を鳴らした瞬間、女性は立っていた。カウンターのこちら側に。エプロンをつけて。

「ほらほら~。さっさと配架に行けってのよ!」

 銃口を突きつけられ、女性は悲鳴をあげるが、まるで操られるように振り向いた。そこには返却された本が、ブックトラックにところ狭しと並べられている。

 利用者が多い分、戻ってくる本も多い。必然的に何度も書棚と窓口を往復することになるのが常だ。

「ほらほら~。どんどん増えるわよ~。早く戻しに行きなさいよ~!」

「ふ、ふざけないで! できるわけないでしょ!」

「ばっかじゃない! ヤレっつってんのが聞こえないわけ!」

 また少女が引き金を簡単に引いた。女性の右耳から血しぶきが飛ぶ。悲鳴が、響いた。

「労働しろって言ってるだけでしょ。ワガママ言ってないで早くしなさいよ、ほらほら。できるわよ。だって、ほら、背表紙にシールが貼ってある。よくここを利用するなら知ってるわよね?」

「…………」

「シールの番号の棚に、戻すだけでいいんだから簡単でしょ。ほらほら、早くやりなさいよ」

「どうして、私が」

「ハァ? なに言ってんだか」

 赤い頭巾の少女は、ナンセンス! とばかりに肩をすくめている。西洋人だというのに、日本語がとても流暢で驚いてしまう。

「どうして~? わたしが~? それはコッチのセリフ。おまえのワガママにつきあってやってるんだよ、普段は。さっさとしろ、ババア」

 問答無用の冷酷な声に、女性はのろのろと動き出した。一冊だけとって、棚に行き、数分後に戻ってきた。だが、その時にはブックトラックの本が溢れて床に落ちていた。

「全部終わるまで~、やらせま~す!」

「そんな……!」

 悲痛な声を出す女性に、頭巾の少女はチッチッチッ、と左手を動かす。

「つーかさ、なんでそんな顔してるわけ? 嫌々ながらにやってるってモロバレなんですけど~?」

「嫌に決まってるでしょ!」

「あっそ。じゃ、こっちも追加」

 急に、ざわついた。顔の見えないニンゲンたちが、大勢、カウンターごしにこちらを見ている。ゾッとする鈴音と、女性は心境が同じようで、腰が引けていた。

「すいませーん! レファレンスいいですか~?」

「すいません、こっちも!」

「歌詞にある鉱石について知りたいけど、載ってる本どれ~?」

「本屋に出てるの予約したいんだけど、さっきテレビで言ってたやつ!」

 一斉に喋られて、うまく聞き取れない。

 いつの間にか、女性が窓口に立たされている。質問攻めをされて、あたふたしていた。

「知るわけないでしょ! そんなの、知るわけない!」

 応じる彼女の言葉に、彼らは納得しない。

「サービスわりぃな。知ってて当然じゃないの?」

「わかって当然じゃないの?」

「できて当然でしょ?」

「なにそれ、調べりゃわかるじゃん、調べてよ」

 わんわんとこだまする言葉は、彼女を責めていく。その間にも、ブックトラックの本はさらに増え、彼女の立つ床を埋めていく。

「自分で調べなさいよ、検索機があるでしょ! そこの機械でやってよ!」

「やり方わかんない。教えて」

「ここでチョチョイって調べりゃすぐじゃん」

「なんだ、わかんないのか」

「早くしてよ!」

 失望と、最初から他人任せの言葉。

 鈴音は辛くて聞いていられなかった。

 キンキン叫ぶ女性の声は、彼らの声に呑み込まれてほとんど聞こえない。

「アハハハハ! どう? 少しはエリコの気持ちがわかったぁ? わかるわけないわよね~」

 だいじょぶ。

 少女は笑いを止めて無表情で呟く。

「追い詰められたエリコの気持ちなんて、わかるわけなわ。でも、思い知らせてやる」

 一瞬だ。

 まるで瞬きの間の出来事だったかのようなそんな感覚がしている。えっ、と鈴音は立ち上がった。

 目の前には、すらりと立って客を見ている恵理子と、苦情をいつも言う女性が硬直したまま見詰め合っている。

 視線をくるりと動かすが、奇妙なあの出来事が起こったとは思えなかった。だが周囲の誰も、鈴音以外は先ほどと状況がまったく変わっていないのだ。

 では白昼夢でもみたというのか。

 いや違う。

 恵理子の背後に唯月が立っていた。配架をするために戻ってきたのだろうが……それでも。

「返却ありがとうございます」

 ぼそりと呟く唯月の言葉にやっと時間が動き出した気がした。女性は不思議そうな顔をして開架のほうへと本を探しに去っていく。

 それを視線だけで追っていた恵理子が、唯月を見遣る。肩越しの視線は冷たい。

「配架物がたまってる」

「……はい」

 唯月は素直に頷いて大量の本を抱えて開架へと行ってしまった。

(なに……今の)

 誰も気づいていないのが余計に気もち悪かった。困惑する鈴音は誰かの視線を感じた。唯月だ。

「?」

 彼はこちらを見てはいなかった。


**


 いつもと同じはずだったのに、変な夢を……白昼夢をみるなんて。

 閉館作業を終えてからエプロンをはずしてロッカー室でぼんやりしている間に、もうかなり時間が経っていたらしい。事務室に残っているのは職員だけだった。

 慌てて鞄を抱えると、なんだか様子がおかしいことに気づいた。

 残っているはずないと思っていたのに、向井唯月が館長席の前に立っていたのだ。

「そんな、間違っては……」

 館長は必死に、青ざめた顔でなにか言っているが唯月は気にした様子もない。端的に「報告します」と言ってからきびすを返していた。

 よくわからないが館長は屈辱だったらしく顔をしかめている。このまま残るのはよくないと思い、荷物をまとめて右肩に鞄をさげて向井唯月に続くように事務室をあとにした。

 暗い廊下を進んで階段をあがっていく。階段をあがって二階に到着し、職員用の出入り口に向かう。

 無言すぎる。会話がないせいで、鈴音は肩身が狭い。

「三田村さん」

 職員用の出入り口を開けて外に出た際にそこで声をかけられ、バス停に向かおうとする鈴音は振り返った。頼りない街頭の明かりに照らされている唯月はこちらをじっと見ていた。

「昼間の……見えてましたよね」

 それは尋ねる言葉ではなく、確認の言葉。

 鈴音は咄嗟に視線を逸らした。それが相手にとっての肯定になってしまうことに気づいた時には遅かった。

 インセクトとは? そもそも向井唯月とは何者なのか?

 疑問が一気に押し寄せてくる。鈴音は息苦しさに、俯いてしまう。後ろめたさがあるせいだ。

「あ、れは……なに?」

「訊いてどうするんですか」

「…………」

 確かにそうだ。きいても、いみなんてない。だってわたしは――――。

「三田村さん」

 急に唯月の口調が柔らかくなった。

「バス停まで一緒に行きます。もう暗いし、途中に公園もありましたよね」

 なぜ知っているんだろうかと鈴音は思ったが、知りたいことはたくさんあったので頷いた。


 中肉中背という言葉がぴったりと合うなと、向井唯月をちらちら見ながら思う。

 とぼとぼと帰る道を通る車はほとんどいない。裏道だからだろう。

 バス停までは二十分もかかる。下り坂を進む鈴音は、思い切って口を開く。

「向井くんは、うちの図書館に何しに来たの?」

「…………」

「すごく偉いところの人だっていうのはわかってるけど、インセクト、ってなに?」

「……三田村さん、あの白い空間、どう思いました?」

「え?」

 問いかけに応じられなかったのに、問いを返してくる。卑怯だと思った。けれども鈴音は静かに口を開く。

「歪んでる、って思った」

「そうですね。あそこは歪みの中にあるから、その見解は正しい」

「?」

「三田村さん、できれば負けないで欲しいです」

「どういう意味?」

「おかしいんです」

 おかしい? なにが?

 怪訝そうにする鈴音は、羽虫の音を聞いた気がした。

 ふいに、公園が見えた。鈴音が通るのは朝と夜に近い夕方なのでそこに人影を見ることはあまりなかった。あったとしても、遅くまでお喋りをして子供を放置している母親たちくらいだ。だが今日はそこに誰かが立っていた。

 大き目のパーカーを着込み、フードを帽子の上からかぶっている……わりと背の高い女性。

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