ソトガワのハナシ 5
バチッと瞼をあげて、覗き込んでくるテントウを睨んだ。
「何か用?」
「眉間に皺が寄っている」
「機嫌が悪いからでしょう」
端的に応じて起き上がると、テントウは机の上の本に視線を移動させていた。
「それ、本だ」
「ええ」
「見ても?」
「どうぞ」
フタバはためらいもなく渡す。ハードカバーのそれにはタイトルもなく、テントウは不思議そうにして中を開いた。
そこには、何も記されていない。
「? まっしろだ」
見えるはずもない。
三田村鈴音は確かに言ったのだ。
主人公は『あなた』です。
と。
フタバは小さく笑う。
「いつかこの本は完成する。その時は、きちんと読めるはずよ」
「変な本だな。ああ、日記か?」
言ったくせに、すぐに自身で「違うな」と否定する。
なぜ早々にテントウが去らないのかとフタバが不審そうに見ていると、テントウは腕組みをした。
「オレたちはニンゲンじゃない」
「? ええ、だから?」
「じゃあなんだ?」
「ではあなたが私に質問したら?」
「?」
「『フタバはインセクトじゃない。じゃあなんだ?』」
「人間、だろう?」
「あなたはインセクト。それだけの話でしょ」
テントウはまだ納得していないようで、なんだか少し睨んでいる気配するある。
インセクトは改良を施された人工生命体だ。だから人間とは違う。どちらかと言えば、妖怪に近いのかもしれない。生態組織が、人間とは違うのだから。
(さっきからなんなのかしら)
よほどツクモにストーキングみたいなことでもされたのだろうかと思っていると、テントウは何かを差し出した。
「これ」
それはフタバの古い写真だった。いまだにこんなものが残っていたのかと不愉快になる。アホ丸出しで、いつも何かに不機嫌だった時代の写真だ。
「フタバが若くて驚いた」
「……なんなのこれ。ミキヤにもらったの?」
「ミキヤが持ってたの奪ってきた」
「…………」
今頃、自分の使う部屋で彼が「やばいー!」と絶叫をあげている様子がありありと想像がついた。
それは実はフタバが伏せている写真の中央部分だけの写真である。写真を撮るためにあちこちいじっていたら、間違ってシャッターを押してこんなことになったという嫌な思い出だ。
「すごく若い」
「まあ、当時16か、7だったからじゃない?」
「えっ、フタバにもそんな時代があるのか? でも人間は成長しないから……」
計算があわないぞとばかりにテントウが頭を悩ませている。そこに、「オイーッス!」と元気よくアゲハが入ってきた。
「なにやってんだ? お、フタバ、構築まであとちょっとだからそろそろって」
「わかったわ」
「しっかしテントウのやつ、なんで動かないんだ。変な栄養剤でも飲んだのか?」
うかがうアゲハは、テントウが手に持っている写真に気づいて、それから数度、フタバと写真を見比べた。
「ええええええー!? ちょ、は? フタバが若いんだけど!? なにこれ。人間っていつから若返りの機能ついたの?」
「若返ってないでしょ、どう見ても」
「え? じゃあこのシャシン? なに? 偽造シャシン?」
アゲハの呟きにテントウが首を振る。
「ミキヤが持っていたものを持ってきた。偽造されてはいないだろう」
「え? どういうこと? 人間わかんねー!」
お手上げだー! とばかりにアゲハが部屋からばたばたと逃げていった。テントウもそうして欲しいのに、動かない。
フタバはやれやれとその写真を取り上げた。
「たいしたことではないし、そろそろ任務よ。支度なさい」
「……納得できない」
ぶつぶつ言いながら出て行ったテントウに、やっと溜息をついた。
トンボじゃないだけマシだった。あいつは変に人間のことを学習しているから。
*
カプセルの寝台に寝かされて、アゲハがテントウに「さっきのどうなったんだよ」とたずねる。
擬似空間に接続するまでには時間がかかる。だからこそ、用意はしていても暇なのだ。
トンボが不思議そうに話に割り込んだ。
「何か、あった?」
「フタバの若いシャシンをミキヤが持っていたから奪って、フタバに見せに行った。人間は同じ姿のままで成長しない。だからあれはなんなのかと思って聞きにいった」
「ああ、それきっと、本当にフタバさんの若い頃じゃないかな」
トンボの答えに残りの二人は疑問符を浮かべている。
インセクトの知る人間は、一切成長などしない、そういう生物なのだ。
「ツクモが言ってたけど、大昔の人間は、アカンボウっていうものから、コドモになって、オトナになって、ロウジンになって、死ぬってサイクルだったんだって」
「は?」
理解できないとばかりに残りの二人が言葉を揃えて呟く。
「よくわかんねー。説明しろ、トンボ」
「いや、オレにはわからないんだ……」
しん、と室内が静まった。
<擬似空間への接続状態良好。接続までカウントダウン開始>
三人は意識を切り替えて瞼を閉じる。
これからいく先の時代、そしてそこに在る図書館、働く人々、出現する……歪める存在『バグ』。
彼らは知ることはこれからもない。
そして彼らは疑問すらもたない。
そのように作られ、存在しているのだから。
*****
フタバはイノセント・ブックスを手に取る。そろそろダイブの時間だろう。
この本が終わる時、それは……。
「私が、死ぬ時なのね三田村さん」
擬似空間で報われない人々を同情の目で見ても、フタバには憐れには思っても一緒に落ちることはない。
そうそう、この本がなぜ『イノセント・ブックス』かと申しますと。
本に罪はないからでございます。
罪は、そこに嘘を記した「人間」であり、それを世に広めた「人間」にあります。
たとえば、食べ物のリンゴに罪がないように……そこに毒を仕込むのは常に。
「――――――『人間』」




