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テントウ 3



「オオォン!」と大きく張りのある声を発した。

「ほう。物語では役立たずの位置にいたはずのキャラクターだったのか、おまえに憑いていたのは」

 呟く唯月を無視し、ゆりは口早に呪文を唱え、召喚した。浮かぶ雲に乗る、一匹のひとによく似た猿だ。

「お師匠様! お助けに参りました!」

「そこにいるインセクトを倒せ」

「承知!」

 悟空は如意棒を取り出して唯月を見据える。自信満々にきらきらと瞳を輝かせているのは、勝利を確信しているからだろう。

 唯月は呟く。

「無駄なことをする、三蔵。おまえは深井ゆりの願いを叶え、完全に乗っ取っていた。その体ごと消滅させる」

 一歩だ。

 歩いただけで、唯月の見つめた悟空がざあっと砂のように崩れ去った。思わず「ぎゃっ」とゆりが叫んだ。

 瞳を見るのはまずいと腕で見ないようにつとめ、錫杖を前に出す。

 自分は物語の主人公ではない。ただの脇役なのだ。孫悟空を戒める、そして導く先導者。

 正しさを教え、情を教え、人間とはなにかを説く。そう、命じられて長い旅をするのだ、従者とともに。

 坊主の肉を食えば不死になれるという理由でいつでも狙われ、そして力不足でいつも悔しい思いをする。

 いつも助けてくれる悟空。そしてこんなに弱い自分でも見捨てない、強さを持つ。主人公。


「なあお師匠、天竺の旅が終わって、どうするんだ?」

「悟空、物語はそこで終わるのです。特に、要約された児童向けの本では」

「そうでもさ」

 きらきらした強い瞳が、三蔵は怖かった。

「おれ、お師匠と一緒にいるのがいい。もっとたくさん教えておくれよ。物語の中のおれは馬鹿でどうしようもないけど、どんどんお師匠のおかげでよくなっていくだろ?」

「…………」

「最初はさ、お師匠はキレイゴトばっかり言うからあんまり好きじゃなくてさ、この頭のわっかのせいで言うこと聞いてたけどさ。

 旅を続けるうちに強い敵に遭えるし、お師匠からおれの知らないことを教わるのが、おれは好きだ」

 まぶしい、と三蔵は思った。

 そうですねと頷くことが、なぜかできなかった。

「お師匠? どうして泣いてるんだ?」

「悟空……私は、私だけは違うのです」

 そう、チガウのだ。


「おおおおのれええええええええ! この! 私が負けるものか! インセクトどもなどに!」

「?」

 不思議そうにした唯月に、三蔵は腕をおろした。

 瞳の色が違っている。黒ではなく、それは赤。

「深井ゆりなど、ただの媒介のひとつに過ぎぬ!」

 三蔵はゆりの姿のまま、袈裟をつけたお馴染みの格好へと変わる。

「『三蔵法師』は実在しているのだ。ほかの童話とは違うのだ、インセクトども。私も特殊な存在なのだ」

「! マスター、敵は幾人もの人間を『バグ』として取り込んでいます」

 姿もとうとうゆりではなく、一人の男性になってしまう。

 忠告を鈴音から受けたが、ミヅキは静かなままだ。だからどうしたと、言っているような姿だった。

 意外に西遊記の児童書は少ないのだ。元々が長いため、絵本にされることも少ないほうだ。

 三蔵は物語の道順を繰り返しながら、悩んでいた。自分が実際にいる人物がモデルとなっている。悟空たちは架空だ。ならいっそ、自分も架空であればいいのに。

 なんだか中途半端で考えてしまうのだ。

 西遊記を読む司書たちに憑いては願いを叶え、その肉体を乗っ取って怪しまれないように過ごしてきた。

 そして柚木の図書館を見てゾッとしたほどだ。久々にこれほど負のエネルギーを抱えた図書館に来てしまった。

 深井ゆりが初めて職員用のドアを開けて入っていくのを、別の人間の目から見ていた。あの娘はすぐにここにたまったエネルギーに負けてしまうだろうと哀れになった。

 三蔵がゆりと対話したのは彼女がそこに勤めて三ヶ月もした頃だった。夢も希望も抱かなくなっていたゆりは、もはや抜け殻のようだった。

 ただでさえ他者の感情に鈍く、気がきかない彼女は、「逃げ癖」がついていた。知らないふり、見てないふりをする。

 ゆりの願いは簡単だった。この嫌な現実を見たくない、だった。だから体を譲り受けた。

 三蔵はゆりになり、ゆりは三蔵となった。しかし場所が悪い。早々になんとかしなければ多くの『バグ』が出て、インセクトがやってくる。

 インセクトとは遭遇したことはないが、強敵だ。なぜそうわかるのか、わからない。そこも不思議だったが、三蔵はゆりを演じることをやめなかった。

 負のエネルギーは年々ひどくなり、三蔵は冷汗が出るほどだった。なぜ人間はこれがわからないのだと。

 利用者の不満、働いている者たちの悔しさ……。笑顔で利用者に接する彼女たちの誰一人、この図書館に満足していなかった。

 購入する本を決めるのは正職員の仕事だし、正職員のフォローを窓口ですることも多かったからだ。彼女たちの労働はどんどん増えていき、正職員はそれを当然のようにしている。

 なにか勘違いをしていないか?

 臨時職員はただのアルバイトだ。それなのに、求めるものが多すぎる。

 三田村鈴音が採用されて入ってきたときに、彼女もまたすぐに図書館への夢を失うと思っていた。騙されていた。

 それからインセクトが来ることになり、三蔵はどうするべきか考えた。『バグ』が生まれるのはもはや時間の問題だった。よくもったほうだった。

 柚木の図書館はよくなることはいっこうになく、むしろ負荷が増えていき、エネルギーが増大されていくのに三蔵は絶望的だった。

 元は本の中の人物だった三蔵は、なんとかしなくてはと考えた。『バグ』に憑かれた人間は十中八九死んでいるからだ。

 だが自分のことを気づかれるわけにはいかない。インセクトが来たタイミングも悪く、ゆりの任期が切れる前に恵理子が憑かれた。

 あかずきんは必死に彼女を助けようとしていたが、恵理子は抵抗して死んでいった。次に憑かれたのは真紀子だった。真紀子は精神疾患があったが、穏やかに勤務をしていたのに急に態度がおかしくなった。

 彼女の前に現れたのはチルチルだった。チルチルは真紀子の命がすぐに絶たれたことにショックを受けていたが、その遺志を受け継いで、彼女の願いを叶えた。

 登場人物たちの願いの叶え方は様々だ。あかずきんのように直接的に復讐に出る者もいれば、チルチルのように間接的に相手を陥れるように動く者もいる。

 そして三人目の木村佐和でさえ、カーレーンに憑かれた。

 この調子ではこの図書館は閉鎖されるなと思っていたし、いつも中間の空間に鈴音が現れるのもおかしいと感じていたのだ。彼女も憑かれるのではと見張っていたのだが……。

 予想外だった。

 まさか佐和を助けようと鈴音が庇うとは。そして、その役目を思い出してしまったことが。

「深井ゆり、無駄なことはやめて、おとなしく戻れ」

「承知するとでも思うのか」

 べつに現実世界を謳歌したいわけではない。

 どの『バグ』も自分たち本を愛してくれていたからこそ、その者たちの末路を納得できないからこその抵抗だった。

「抵抗しても無駄だ。おまえではオレには勝てない」

「だとしても」

「…………」

 唯月の目つきが変わった。三蔵を哀れに見ていた。

 なぜそんな目をするのだ?

 唯月は片手を前に出した。掌を三蔵に向ける。

「本来あるべき姿に戻るだけ。それだけだ」

「うるさい! おまえたちは何もわからない!」

「理解する必要はない。『すべては終わっていること』なのだ」

 ずる、と三蔵の左腕が砂になって落ちた。「あ」と思わず声が洩れた。

「わ、あ、あああああ!」

 なぜだ。

 きらきらとした瞳の悟空のことを思い出す。

 本を閉じたらそこで物語りはおしまい。人間も同じだ。死んだら終わりだ。

(悔しい。悔しい。主役ではないことがではない。架空の存在でも心は『思い』は在る)

 唯月が呟く。

「おまえたちは何度も勘違いをしている。読み手は、確かに救済を必要と、願いを叶えてくれる存在を待っているだろう」

 そうだ。そうだそうだ! おまえたちは弱い。だけど、物語を大事にしてくれる。

「だが、これはおまえたちの『夢』なのだ」

「ゆめ?」

「三蔵、おまえたち物語の人物たちは、読み手が大事だ。だからこそ」

 ゆめをみるのだ。

 囁きと同時に三蔵の体が砂になってずしゃっと崩れ去った。

 風も吹くこともないので、そのままその場に。

 鈴音は冷たい瞳でそれを眺めた。そこには三田村鈴音の面影はほとんどなかった。

「スズネ、オレは不思議だ」

「? 何がでしょうか?」

「物語りも『夢』をみるのだな」

「それは否定します」

 帰還します、とスズネが淡々と言う。

 ミヅキは砂となった三蔵を見遣った。一瞥で、終わった。

 いや、きっとそう。

 毎回思うのだ。

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