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テントウ 2

 唯月の言葉で白い世界そのものが陽炎のように揺れ、消えた。

 今までの世界はすべて、元の世界を白く染めただけの世界だったのに。

(書架も、床も、なにも…………ない?)

 どこだここは。完全に世界そのものが消え去ったような状態になっている。

 かなり離れたところに深井ゆりが立ち尽くしているのが見えた。どうやらここにいるのは、『バグ』とインセクト、そして正体不明の三田村鈴音だけのようだった。

「は? はあああ?」

 佐和は混乱し、周囲を見回す。得意の電気を使った攻撃が使えなくなったと彼女は完全に動転している。そして身を隠すところがなくて、深井ゆりも動揺していた。

「な、なんなの、インセクトって……なにしたの!」

「おまえも、きえ」

 ろ、と真っ直ぐに佐和に向かって呟かれるのを鈴音は聞いた。

 唯月のあの言葉はただの合図だ。何かの能力が発動しているが、見えていないだけで……。

 佐和が消えてしまう。それも、ただ消えるのではない。おそらくは存在が、消されてしまう。

 反射的に鈴音が唯月を突き飛ばして、佐和を庇うように両腕を広げて衝撃に備えた。体の表面に強力な衝撃が加わり、べこりと凹んだような気色の悪い感覚が全身に広がった。

「あああっ」

 そのあまりの強力ななにかの圧力に、鈴音は佐和とともに吹き飛ばされた。見えはしないが床はあるようで、倒れこむ。

 庇われた佐和は完全に気を失い、鈴音もまた意識がないようだった。

 姿勢を崩さない唯月は「あ」と洩らして、嘆息した。

 深井ゆりのほうを、彼が見る。

「それで、あんたはどうするんだ」

「……インセクト」

 体の向きを唯月は変えた。

「一番厄介だった木村佐和は意識を失ってくれたし、残るはあんただけだ」

「……厄介? 能力自体は、そうでもなかったと思うけど」

 ゆりは強気に言い放つ。このインセクトはなんの力を使っているのだ。わからない。

 携帯電話の通話相手の言葉がゆりの脳裏を掠める。深井ゆりは死亡する。決定したことだと。

 そんなばかなことがあっていいわけがない。

 どこか無気力そうな唯月は、囁く。

「スズネはだいたい毎回、その『時代』の人間に肩入れするから……庇うまでするとかびっくりしたけど、今回はちょうどよかった」

「? この時代?」

「知ったところでどうにもならないから言うけど、オレたちはこの時代っていうか、この世界の人間じゃない」

 それはゆりも承知していた。だが、『時代』という言い方を使われるのは想定外だった。

「オレの時代では柚木図書館はもうとうに閉鎖しているし、あんたたちも死んでるし、だからなるべく『流れ』のとおりにやってるだけなんだが」

「未来……から来たとでも言うの?」

「少し違うんだが、近い。『バグ』もインセクトも、実際は『存在していない』」

「?」

「インセクトってのは、この擬似空間に発生した、正常には動かせないものを消すための存在だからな」

 擬似空間?

 なにを言っているのかゆりにはわからない。だから、一瞬で姿を変えた。戦うために。

 この男の言っていることは一切理解できない。理解してはならない。

 構えたのは、黄金の錫杖。


**


 擬似空間を展開。

 つくも神化した柚木図書館の情報を検索。

 最も強い邪気を発する時代を発見。

 当時の情報を収集。周辺地図を検索。情報を収集。

 当時の様子を再現することに成功。

 『バグ』発生に関し、当時最もその図書館に悪影響を及ぼした人物の特定を完了。

 各務恵理子、自殺。

 尾張真紀子、自殺。

 現時点で二名の自殺者を特定完了。

 二名の情報をさらに収集。特殊アプリ『タカ』を使用。人物の造型、人格を情報により再現完了。

 追加で木村佐和、病により退職。

 『タカ』により人物の造型、人格生成完了。

 さらに情報を詳細に収集。

 ナビゲーションを用意。インセクト『トンボ』『アゲハ』『テントウ』はダイブの用意を……完了を確認。

 擬似空間内に、三人の人格を移す『向井唯月』の存在を作り上げることに成功。

 続けて、補佐としてツクモの擬似体の生成に成功。

 そのほかの様々な小道具の生成、完了。

 ナビゲーションシステムを構築。構築に成功。

 インセクトの投入期間よりも早めにその擬似空間に潜入。記憶操作完了。

 『三田村鈴音』の人格を形成完了。

 接続開始。

 接続完了。


 ああ、きこえる。

 きこえる。

 私は『三田村鈴音』。はるか未来に存在する、『私』を管理する一人を参考にして性格を構築するのだが、この擬似空間にくると毎回そのことを忘れてしまう。

 それはプログラムの一環。ナビゲーションの記憶が強く残っていれば、この擬似空間に紛れ込んだ際に、作り上げた人物たちに疑われる。それを考慮し、インセクトが投入された時点で己のナビゲーションシステムを復活するように設定しているのだが、エラーが出る。

 エラーのせいで、三田村鈴音はナビゲーションとしてインセクトたちを導くことができない。

 システムエラーを確認。ナビゲーションが正常に作動せず。

 このエラーの原因については不明。

 不明。


 ナビゲーションシステムにより、トンボ、ツクモを強制帰還。この擬似世界との接続を切断するエラーが発生。修復中。

 『バグ』のキムラ・サワの力によりアゲハの擬似人格の構築が破壊。強制帰還。

 そう。

 鈴音はぱち、と瞼をあげて、操り人形のように奇妙な姿勢で立ち上がった。

 その瞳がざらざらと雑音がちらついている。姿が薄くなったり、じりじりとノイズが混じる。

「ナビゲーションシステムを正常に回復完了。キムラ・サワに憑いた『バグ』の除去を開始」

「気をつけろ。そいつの能力は電気を使うものだ。オレもおまえも、この世界すべてが『偽ものの擬似空間』なんだからな」

「了解、マスター。確かにキムラ・サワの能力は危険。この世界そのものを壊しかねない。意識がなくて良かったです」

 鈴音は倒れている佐和の頭を片手で鷲づかみにした。

「原因判明。キムラ・サワの『バグ』化の原因は、この図書館を利用するすべてへの悪意と判断。範囲が大きすぎて、『願い』を成就するのに困難し、『バグ』が中途半端に実体化したものと思われます」

「ああ、そういえば、ずっと木村佐和の顔だったな」

 ふうんと洩らす唯月は、瞼を閉じる。

 本来ならば修復を穏やかに遂行する『トンボ』も、それができない場合に力ずくでおこなう『アゲハ』も現在は使用不能状態に陥っている。

 だから。

「スズネ、深井ゆりのデータは」

「検索完了。深井ゆりは、同時期に」

 その先は聞きたくないとばかりに、ゆりが一瞬で距離を詰めて唯月を錫杖で攻撃した。ぶんっ、と振り回されたそれを唯月は軽く三歩ほど後退して避ける。

「なにをさっきから言ってるんだ、おまえたちは!」

 ゆりの形相に、唯月は表情を崩さない。

「あんたには関係ない。まあ簡単な話だ。

 よくある話だろう? 長く使われた『もの』に魂が宿ると。そしてその魂を狩るのがインセクトのやるべきことだ」

「ファンタジーの読みすぎみたいな内容ね!」

 ゆりの攻撃を、唯月はゆるく後退しながら避ける。深井ゆりの『バグ』の能力は、本来このような使い方をするものではないのだろう。

 ただゆりが混乱して、そしてその感情のまま錫杖を振り回しているに過ぎない。

「物に意志は宿る。だがそれは」

 それは。

「『本』じゃない。本に罪はない。あるとすればやはりそれは……人間だとオレは思う。

 感情を持つのは人間だけだ。だから、それに影響される『物』が哀れになるよ」

 どきどき。

 呟きが終わるのと同時に、鈴音がゆりに強力なハイキックを与えた。

「戦闘能力の向上完了。お待たせしました、マスター」

 吹っ飛ばされたゆりは、床に叩きつけられる。彼女は事態を理解しようとして必死だ。

 なにが。

 どうして。

 こうなった?

 唯月の静かな声は響く。

「このナビゲーションは毎度毎度、エラーを起こしてはそこの時代のやつらに感情移入してしまう欠陥品なところがあるけど」

「…………」

「それだけ、図書館で働くあんたたちが本を愛してるっていうことなんだ」

 ゆりは、起き上がった。

 あいしてる?

 本をあいしてる?

 ああ、そうよあいしてる。

 好きな作者の新刊が出るのを知ればうれしいし、作者が体調不良だとやはり心配する。新刊が出なくてもいいからその作者が存在してくれれば、作品の続編は出てくれるかもしれない。

 気に入った装丁の本を読んで、がっかりしたり、予想以上によかったりと、一喜一憂する。

 ただ、報われないと何度も思ったのだ。

 それはほかの『バグ』に憑かれた者たちが強力に感じていたことだろう。だからこそ、彼女たちは、選ばれてしまった。

「利用者のみんながみんな、借りていく本を大事にしてくれれば本の寿命は延びるの、知ってるわよね、三田村さん」

 ゆらりとゆりは二人のほうを向いた。

「だけどここは違う。直す速度より、壊れる本のほうが増える……。これって……どうしてかしら?」

 冷たい眼の鈴音は応じない。もはやアレは三田村鈴音ではないのだろう。

「自分が読んだっていう印をつけていく客もいるし、料理本を鍋敷きみたいに使うやつだっている。紙芝居を雨避けにしたり、ふふ、ああもう……話してくるだけで泣きたいのか、笑いたいのかわからなくなってくるわね」

 ゆりはそして、持っていた錫杖を両手で床にトンとついた。



「やだあああああああ!」

 悲鳴をあげたのは幼い少年だった。目の前には見えないはずの存在がある。

 ちいさなちいさな男だ。小槌を持った男は言ったのだ。

「『願い』を叶えてやろう」

 と。

 だから少年は。

 願った。

 『物語』から『人間』を守ってと。

 願いは歪んだ白い世界を震わせ、そこに出現させた。

 あらゆるものを呑み込む魔眼を持つ『トンボ』。

 あらゆる強敵をも打ち砕く力を持つ『アゲハ』。

 あらゆる存在を容赦なく消滅させる『テントウ』。

 増えていくあえりえない存在に、小槌の男は悲鳴をあげたのだ。

 少年の願いは、歪んだ世界を正すこと。

 少年の願いは、元の日常に戻すこと。

 ありえないはずの『物語』にとり憑かれた存在を抹消すること。

 だから。

 『バグ』に最初に憑かれた少年は、やってはならない願いを望んだ。

 その結果として、読み手を愛していた本は歪み、また、本を好きだった人間も歪んだ。

 そう、ゆりは聞いていたのだ。

 でも誰から?

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