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アゲハ 4

 どうあっても結果はそこにしかない。破れたページを直すしかないという事実しかない。

(そういえばなんだっけ、人件費削減してもっと別のことにまわせばとか言って来る客いたなぁ)

 目の前にいるのはアルバイトなんだよ。人件費削減させたいなら、正職員の給料を減らすしかないのではないだろうか?

 そもそもこの人数でここを回すのもかなり辛いのだ。

 一丁前のことを言うなら、一度中で働き、それから案を出して欲しい。想像だけでものを言うのは誰だって一緒だ。

 テレビを見ていてもいつも不思議なものだ。野次を飛ばす議員を眺めるたびに不思議になる。反対するのはわかる。野次を飛ばすのもわかる。

 だがなぜ足を引っ張ってばかりなのだ。前に進まないではないか。

 文句があるなら、別の案を出して繰ればいいのだ。文句を言うのは子供だってできることなのだから、大人としてできるところを見せて欲しい。

 代案も出さずに文句だけ言うのなら、自分にだってできる。

 結局そうなのだ。

 みんな甘えている。

 交替時間がきて、休憩時間だと佐和は思い出した。事務室に入ると八木沢の姿が目に入る。

 真紀子が死んだ原因の一つなのを、佐和は知っていた。そして、利用者は客と同じように丁寧に扱うようにと言い出したのも彼女だった。

 立って対応し、利用者カードは両手で返す。

 どこのデパートなんだ、ここは。

 アホらしいと佐和は毎回思う。やりたければあんただけでやればいいじゃん。

 立って対応する? ここはなんなんだ? デパートにいつなったんだ?

 八木沢が忠告していたのを佐和は実は死角にいて、盗み聞きしていた。

 信用が第一なの。

(だからここはデパートかっつーの。図書館の信用ってなんなの? リクエストを受けられる本だって予算内でしか買えない。『信用』か)

 佐和は薄く笑う。

(わたしたちは職員を信用してないし、客も信用してないのに、そこに信用とかそういうの、できるわけないと思うけどなぁ)

 上っ面だけの関係だ。

 いつか異動していく正職員は、仕事のできる臨時職員をできるだけここに残しておきたいのだ。そうしなければ図書館そのものの運営ができないからだ。

 ……だったら給料あげろってのよ。

 佐和は舌打ちした。

 真紀子が困窮していたのは、実家の父親の莫大な借金のためだ。それを知っていても援助できなかったのは、自分も同じ薄給で働いているせいだ。

 司書の資格があったって、恵理子も真紀子も死んだ。

 そもそも本来ならば専門性の高い分野だというのにだ。

 真紀子は精神疾患があったせいで、再発を恐れて臨時職員でいることに甘えていた。だがいつも不安がくすぶっていたのは感じている。

 麦茶でも飲むかとラウンジへ行くと、鈴音と唯月がいた。先ほど佐和が怪我をさせたせいだろう。

(……三田村の怪我、治ってる)

 包帯には血のあとがない。それに、わかるのだ。わかってしまう。

 両足を切り落としたカーレーンの能力で佐和には血の匂いを嗅ぎ分ける嗅覚がついていた。

「お邪魔さま」

 そう言って冷蔵庫へと向かう佐和に、鈴音はなにか言いたそうにしていたが、何も言わない。

 唯月はただこちらをじっと見ているだけだ。

 知っているだろうか?

 赤い靴の物語を。

「インセクト、あんたは勘違いしてる」

「?」

「わたしは自分からカーレーン……『赤い靴』を選んだ」

「呪いをかけられた女の子の話だろ」

「よく知ってるわね。そう、気に入った靴をはいて戒律を破った仕打ちを受けてひたすら踊り続ける女の子の話よ」

「…………」

「でも、わたしあの話大嫌いなのよね」

「嫌い?」

「納得できないのよね。気に入ったものを好きな時に履けない、ルールなんていうものに縛られてた話。それを破った代償がでかすぎると思わない?」

「両足切断か」

「カーレーンに限ったことじゃないわ。『ルール』を守らないやつはたくさんいる。『悔い改めよ』ってのは、『そういう痛みを代価にするもの』だとわたしは思わない」

 冷凍庫から自前のコップに氷を入れていく佐和は小さく笑う。

「言っておくけど、わたしは各務さんや尾張さんみたいにはいかないわよ」

 目を細めて佐和をラウンジの扉を閉じた。

 正直、インセクトと戦っての勝算はわからない。

 給湯室には深井ゆりがいた。今ならわかる。こいつも『バグ』だ。ただ、なんの物語なのかはわからない。

 ゆりは一番古参でもあるが、謎めいたところが多い油断ならない相手だった。なにより、気の利かないフリが上手い。

「木村さんて好戦的なんだ」

 自前のコップにコーヒーの粉を入れながら言うゆりに、佐和は足を止めた。

「……あの二人みたいに死ぬ理由がわたしにはないだけですよ」

 切羽詰った状態じゃない。

 だけど。

(わたしの情報はやつらに筒抜けだと思っていいだろう。さて)

 どうする?

 ゆりが肩越しにこちらを見てくる。

「三田村さんを『バグ』に引き込んで仲間にするの?」

「……あの『世界』の中に存在できる」

 そこまで言いかけて、佐和は目を瞠る。

「深井さん、三田村は何者か知ってるんですか? あの世界に現れることのできる『バグ』は一人だけのはず」

「インセクトでなのは確かだけど、『バグ』になる才能のある人だと思ってる」

「…………あなたが何を考えてるか知らないけど、わたしはわたしのやりたいことをするだけです」

「そう」

 ゆりは視線を前に戻す。佐和は事務室で短い休憩をとるために歩き出した。

 暗い廊下。そんな佐和の背後にはカーレーンがじっとりした目で見つめていた。

 呪いをかけられた少女。延々と踊り続けなければなくなった少女。

 最後はその罪が赦されたとされているが、彼女の『罪』とはなんだ?

 だからこそ、佐和はカーレーンを選んだ。

「おまえの能力は殺傷能力が高く、そして……インセクトを倒せるはず」

「サワ、願いはないの?」

「あるよ、たくさんある。でも無理な願いなのよねぇ。死者を蘇らせるなんて」

「……サワ」

「わたしはあんたに似てるのよ。好きなことに夢中になっちゃって、一番かわいがってくれたおばあちゃんの葬儀に間に合わなかったのよ、そう、単なるバカなの」

 カーレーンが足を止めた。佐和は足を止めずに続ける。

「でもね」

 でもね。

「わたしは、その『審判』を見たこともないやつにやられるのは嫌」

 そのまま佐和は事務室の自分のデスクにつく。修理途中の本が山積みだ。

 お茶を飲んだらすぐに修理にとりかからねばならない。

 きりのない仕事だ。終わらない仕事だ。

「ふふ。延々と、か」

 まるで自分たちのようではないか。

 佐和のすぐ後ろにいたカーレーンが囁く。

「おばあちゃんが口をきいてくれてここに採用されたんだ。だから辞めるのは考えてなかったんだ。実家暮らしだしね、わたし。

 でもさ、各務さんも尾張さんも死んだ。だっていうのに、何も変わらない」

 いいや、そうなっているのだ。世界というものは。

「誰が死んだってなにも変わらないんだ、カーレーン。それに、ここだけじゃない。ひどい職場はいくらだってある。

 ここだけじゃない。全部なんだよ」

「…………『願い』は定まった」

 でも。

 カーレーンは表情を歪めた。

「わたしの『能力』で何をするの、サワ」

 『呪い』の力で。

 佐和は笑ってた。


***


<こっちは異常はないから安心して、ツクモ>

「トンボくんてさぁ、頑丈だよね。まあ君、人間じゃないからそうなのかもしれないけど」

 呆れる江口は、暑い昼の日中、軽自動車の窓を全開にして携帯電話で喋っていた。

<失礼だ。オレは人間だ>

「はいはい。んなことはどうでもいいんだけどさ、今回は各務恵理子と戦ったアゲハくんがいるけど、どうなってんの?」

 戻ってきてよと江口が言外に言っているのだ。

「アゲハくんは、もう次のターゲットに目をつけてるよ」

<次……>

「木村佐和。だけどこの子、特に何もないんだ。そこが不気味だね」

 追い詰めた人間ならば特定は早い。だが佐和だとわかったのはなぜだ。

「彼女は真面目に仕事をこなしてるけど、様子がおかしい。この間、我々が強制的にこの場所の『接続が切られた』ような、奇妙な感じがする」

<アゲハは接触してるの>

「それはいいんだけど、どうも様子が妙っていうか。『タカ』もだめになっちゃったし」

<ツクモ、テントウも起きてない。だから何かあったらテ……>

 そこでぶつ、と通話が切れる。ありゃ、と江口が洩らした。そして、急に陰が差したことに気づいた。

 視線をあげてそちらを見ると、木村佐和が立っていた。



 なにも起こらない日々に戻った。

 そう感じたのは最初だけだった。鈴音の知らないところで佐和は行動を開始していたのだ。

 彼女は職員が来る早朝にやって来て、そこで時間を停止させて白い世界を出現させた。

「いつにしようかなって思ったけど、あのエグチってやつぶちのめしちゃったし、今日でいっか」

 そう言いながら彼女の両足にはぴかぴかの赤い靴。そして黒いレースのついた、まるで葬儀に出るような衣服になった。

 佐和は図書館の中の情報が管理されている職員だけに与えられているパソコンに近づく。

 電源はついている。ただ画面のそこが白いだけだ。

 ちょんと人差し指の先で触ってから、掌を押し当てた。

「この『呪い』は伝染する」

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