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アゲハ 2

 見分けがつかない。

 そもそも見分けなんてつくほうが珍しいのではないのか?

 震えながら鈴音はゆりに尋ねた。

「深井さんは、なんで『バグ』に?」

「この図書館がすごい嫌いだから」

 笑顔で言う彼女はいっそ美しかった。清々しい美しささえ感じた。

「あ、職員の連中も嫌い。みんな嫌い。やってくる客も嫌い。みんな死ねって思ってるかな?」

「…………」

 恵理子や真紀子のような深刻さがそこにはなかった。

 ただ単純な感情だけでゆりは『バグ』になってしまったのだろうか。

 うかがうようにしている鈴音を、ゆりはまた笑ってみてくる。

「もうすぐあんたもなるんじゃないの、『バグ』に。だからインセクトはあんたを見張ってたと思うし」

「見張ってた?」

「そうよ。この『あたし』の前ではチンケな盗聴なんて……」

 呟きながら、ゆりはどん、と片足を強く前に出した。

「渇ッ!」

 小さな声だったはずなのに、彼女を中心に波動のようなものが発せられた。

「あんたは気づかなかったでしょうけど、ここはずっと見張られてたの。恵理子も真紀子も弱いくせにやつらと戦おうだなんて、よく馬鹿なこと考えたもんよ」

 ゆりはどうでもいいことのように言う。鈴音は納得できない。

 恵理子も、真紀子も、それぞれなりたくて『バグ』になったわけではないだろうし、またあんな終末だって……。

 ゆりは手すりに軽く腰掛けた。

「あたしはやつらが来る前から『バグ』だった。もちろん、選んだのはあたし自身。物語が有名だからって『強い』わけじゃない。

 インセクトは強いわ。そもそもやつらはここの世界の人間じゃないんだしね」

「……深井さんは詳しいんですね」

 つい、とゆりは視線を鈴音に向けた。

「ねえ、インセクトってなんだと思う? 物語を正す存在? 負を消す正義の味方?」

 いいえ違う。

「やつらは」

 ゆりは空を指差した。

「この世界とはまったく違う世界から来ている異邦人。この世界の『ことわり』が通じない存在」

 鈴音は思わず空を見上げた。空は星が見えないほど、暗い。

「『バグ』ってのは、いわゆる妖怪の一種ね。人形とか、思い入れの強いものに意志が宿るっていうのと同じよ」

 けれどそれは正しくない。

「『負』のエネルギーがたまりすぎると、そこに在る本には思念が生まれる。そして波長の合う人間に憑くの。

 ソレは、あってはならないことでしょう?」

「本の登場人物が暴れるから、ですか」

「それもあるけど、最初に乗っ取られた人間は、何をしたか三田村さんは知らないのね」

「……すみません」

「謝ることじゃないわ。知らないことを知るための図書館だもの。だけど、資料がないから答えしか教えられないわね。残念だこと」

 くすくす笑うゆりは、人差し指を立てた。一瞬でそこが白い世界に変化してしまう。

「ここのことを、みんなばらばらに言うでしょ? 歪んでるとか、トンネルとか」

「はい。深井さんはここがなんなのか知ってるんですか?」

「もちろん。トンネルとしてあの道の先は、物語が待ってる。で、反対側のこっちの道はどう思う?」

 出口と入り口が同じだと真紀子は言っていた。だが、ゆりの口調からそれは違うのではと判断する。

「物語が、あるんじゃないんですか? 尾張さんは入り口と出口が同じだと言っていました」

「それはある意味正解だけど、尾張は『バグ』になってすぐ死んだから知らないのね」

 立ち上がったゆりは静かに歩き出す。鈴音はそれに続いた。

 職員用の出入り口は専用の暗証番号を入れないと開かないはずだが、開いた。

 静かすぎる館内を、ゆりは歩いた。

「あの道の先にはね」

 ゆりは開架へと出て、書棚を眺める。

「地上で生きてる人間の物語があるのよ」

「え?」

「なにも驚くことじゃないわ。『人生』ってやつね」

 ゆっくりと書棚の間を歩くゆりは、見てきたのだろうか……? その『人生』とやらを。

「そこには各務も、尾張の『本』もあるでしょう。つまりは、そこは地上のことを記録した大きな図書館がある」

「おおきな……記録」

「それはつまり、現実世界そのものだと思えるでしょ? ただ、そこにはハジマリとオワリが記されているだけで」

「じゃあここは、現実と虚構の世界を繋げる空間、ってことですか?」

「そういうことよ。そこに入れるのは、どちらでもない存在ってこと。『バグ』と、インセクトたち」

「インセクトは何者なんですか? よく、わかりません私には」

 正しいのか、悪いのか。

 『バグ』が明らかに悪意を持って行動しているかと問われるとそれはそれで違う気がする。

 物語の登場人物たちのことはよくわからないが、向井唯月の話を信じるとすれば彼らは読み手である者の願いを叶え、守るために行動するというし……。

(……じゃあ深井さんの『願い』って……?)

 物語の登場人物が彼女にも憑いているはずだ。まったく姿が変わらないのでわからないが。

「さっき言ったわよね、最初に『バグ』になった人間が何をしたかって」

「はい」

「小さなことよ。とても小さなこと。でも、あれはやってはいけないわね」

「どんなことなんですか?」

「各務や尾張がやったことよりもちいさなこと…………『インセクト』を生み出したの」

「え?」

 それは予想もしていなかった。

 虚構の世界の物語のモノが、さらに虚構を作り上げた瞬間だったのだから。

「歪みを正す存在を、生み出したの」

 そして。

「その存在に彼は殺されたと聞いてる」

「そんな…………」

 では、『バグ』というのはそれほど昔のことではなく、最近のことなのだろうか?

「深井さんは、どんな願いを……?」

 尋ねると、ゆりはちょっと困ったように笑った。

「……ないしょ。『バグ』はね、基本的に絶望した司書とか、読書家がなることが多いの」

「……本の人物が、助けようとするって……聞きました」

「そうね。願いを叶えに出てくる。でもね、彼らは確かに妖怪の一種だけど、ううん、妖怪のようなものの一種だからやれることって小さいの」

 そうだろうか。

 あかずきんやチルチルの能力を目の当たりにしていて、とても危険だと感じたのだが。

 現に、唯月はあれほど血を流して……。

 そこでハッと気づいた。

(私! 怪我してたのに、向井くんたちを……)

 とんでもないことをしてしまった。怪我は大丈夫だろうかと考えていると、ゆりは何かに気づいたように目を細める。

「あたしはたいした力もないからあんまり心配しなくて大丈夫。それに」

「…………」

「三田村より先に、また『バグ』になる子は出るよ」

「! そんな! なんとかならないんですか?」

「ならない。みんな、自分の意志で決めてるから」

「……そう、ですよね」

「突き放すみたいな言い方だけど、決めてるのは本人だからね。三田村は願いはある?」

「ねがい……」

「ああ、でも追い詰められないと『バグ』は囁いてくれないから」

 ゆりは来た道を通って外に出た。そしてそこで元の世界に戻す。

 白い世界を見すぎたせいか、目が痛い。ごしごしと鈴音は瞼を擦った。

「いい月ね」

 ゆりがぽつんと言ったと思ったら、そこから姿が消えうせた。


***


 恵理子と真紀子が抜けた穴は大きかった。

「ちょー、きつい」

 木村佐和はぶつぶつと言っては唇を尖らせる。

 鈴音もたった二人抜けただけでかなり消耗するのだから、相当なのだろう。だがその穴埋めを職員はしてくれない。

「ねえねえ、今日は金曜じゃん? 新刊入ってくるね、楽しみだね」

 宇堂香奈の言葉に鈴音は気が抜けてしまう。

 くたくたに疲れるけど、それでも……時々、あれが『夢』ではないかと思ってしまう。『バグ』も、『インセクト』も。

 夏休みに入ってから忙しさはさらに増した。そして唯月もアルバイトとしてかなり来る頻度が増えた。

 あの時のことを謝ったが、唯月は曖昧に笑うだけだった。江口は横で「システムが止まって大変だったのに甘い」とかぶつぶつ言っていた気がするが、意味はわからない。

 深井ゆりはあれから何も変わらない。『バグ』としてバレていないはずはないというのに。

 いや、バレていないのだろうか?

 その日もやっと閉館が終わって、帰ろうとしていた時だった。

 木村佐和が声をかけてきたのだ。

「ねえ三田村って、『バグ』なの?」

「……え?」

 明るく問われて鈴音が冷汗を流す。

「だってインセクトいなくならないし、でもさ、『バグ』って興味あるんだよね、わたし」

「どうして?」

「願いを叶えてくれるんでしょ?」

「そう、みたいだけど」

「でも知ってる? 『バグ』って願いを叶えた夢を見せてくれるんだって! その本が、読み手の望むような願いを叶える夢をみせるとか」

「……どうかな、私、あんまり詳しくないし」

「嘘ばっかり」

 佐和が強く鈴音の肩を叩き、そのまま首に手を当ててくる。

「インセクトの向井唯月は、あんたを人質にしたら邪魔しないでくれるかなぁ」

 動けば喉が切られる。見れば佐和は手にカッターを握っていた。

 鋭利な刃が喉に押し当てられていて、鈴音は動けなくなる。

 世界が真っ白に染まる。

 そしてそこに、不機嫌そうな顔の唯月が立っていた。

「絶対見てると思った!」

 佐和は無邪気に言っている。その姿が徐々に別のものに変わっていく。

 赤い靴を履いた足を前に出し、大きくスリットの入った衣服の娘になっていた。

 唯月はなんだか今までと雰囲気が違っていた。そういえば眼帯もつけていない。

「わたしが各務さんや尾張さんみたいにいくとは思わないでよね」

 軽く言う佐和は、さらに刃を鈴音の喉に食い込ませる。このままでは本当に切れてしまう。

「木村佐和、おめーの『願い』はなんだ?」

 唯月の口調も違う。

 不審に思っているが、佐和は気にした様子もない。

「わたしの『願い』はこの図書館の本たちを『大切に扱ってもらうこと』」

 ごく当たり前のことだった。

 恵理子や真紀子のような、自分自身の願いとは違うことに鈴音が驚く。

「あんた、知ってるわよね。ここの図書館の利用者は勘違いしてるわけよ。タダで借りてると思ってる。

 ほんとはみんなの税金を少しずつ使って買ってる本なの。つまりは、わたしの税金も使われてるのよね。それなのに、あんな扱いをされるとキレそうになるわけ」

 佐和の周囲に壊れた本が出現する。どれもこの図書館の本だ。

 水溜りに落とされた本。幼い子供が親の見ていないところで破ってしまった本。嫌がらせでガムをつけられた本。ほかにも、たくさん。

「レンタルみたいにお金が発生しないから返さない客も多いわ。そこもムカつく。

 知ってたぁ? 返せっていう督促の電話も税金から出てるのよ?」

 公共で、実際にお金のやり取りがないからこそだった。延滞料金やペナルティがこの図書館は発生しない。

 鈴音も、督促の電話をしたときに「あら、そういえば忘れてたわ」と平然と言われることが何度もあった。

「どいつもこいつも自分のことばっかり。弁償してもらうとなると顔色が変わるわけよ。ばっかじゃないの? 公共財産つっても、それって市民全員のものなんだから弁償するのは当然じゃない」

「……木村佐和、おまえはどうしたいんだ」

「そういう客は後を絶たない。お仕置きしてやりたいところだけど、そういうとインセクトは容赦なくわたしを始末するわよね」

「当然だ」

「そうだと思った。あんたたちは得体が知れない。インセクトなんてもの……なにか得があるのかしら」

「……さて、オレにはさっぱりだ」

 肩をすくめる唯月に、佐和はカッターの刃を横に強く引いた。血が、飛び出して。

 鈴音が痛みに歯を食いしばった。

「あんたたちが無闇やたらに動けないのはわかってる。さっさと三田村を病院にでも連れていけば?」

 捕まえられていた手が離され、鈴音が倒れた。切られた傷からの血が止まらない。

 薄れていく意識の中で佐和が唯月に指差した。

「わたしの邪魔をしないで。次は一般人を殺すわ」

 佐和の脅しと共に鈴音の意識は闇の中に落ちた。

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