あ、石川県が生えてきた
【前回までのあらすじ】
夏休みになっても旅行に行く予定のない毎日を過ごしていたコタローの楽しみはネットの観光PR動画を観て観光気分を僅かにでも味わうこと。そんな友達もいなくて寂しい童貞高校生みたいな生活を送るコタロウがある朝、起きて洗面台で自分の顔を見ると、あらびっくり。なんと額から石川県が生えていたのだ。
ある朝起きると僕の額から石川県が生えていた。
「…………能登麻美子さんのファンだからかな?」
この現実を逃避するべく僕はわけのわからない理屈を並べ、顔を洗う事にする。
洗面台に俯き蛇口をひねって水をすくい顔を洗う。指先がコツコツと石川県に当たっているが僕はその現実を認めず、タオルで顔を拭いた。
リビングの流しっぱなしにしているテレビから、突然ニュース速報の流れる音が響く。
僕が洗面台からリビングに向かうとテレビ画面には『気象速報:石川県の一部で謎の突発的雨量を計測』と表示された。僕をそれを見て脂汗を滲ませる。
や、まさか……。まだだ。まだ慌てるような時間じゃ、アバババババ……。
脳内は完全な混乱状態に陥り、ルナシー時代の真矢さんがスネア代わりに僕の脳みそを叩きまわってる映像が浮かび上がったが、今はどうでもいい。
今必要な事は、僕のこの額に生えたソレが本当に石川県なのかという事だ。
だが、それをどう確かめればいい?
「あ、コタロー勝手にお邪魔してるよ」
今後の石川県の未来を憂い悩んでいる僕を尻目に、リビングのソファにくつろいでいる少女が言葉をかけてきた。隣の家に住んでいるリョーコだ。リョーコは子供の頃からの幼馴染で両親共働きで家を留守にしがちなリョーコはよく家に出入りしているので、他人というよりも親族間に近い関係性でもある。
「リョーコ、大変だ。石川県が生えてきた」
僕はこのありえない事実を親しい友人でもあるリョーコに告白した。
「えっ。ゲッターロボの作者の?」
「それは石川賢だ」
「顔の黒い俳優さんの?」
「それは石黒賢だ」
「怖そうな顔の役者さんだけど、実はドラえもん好きな?」
「それは緒形拳……。って石川から離れたぞ」
この状況だがツッコミは入れておく。リョーコは昔からこういう奴なのだ。
「ちょっとコレを見てくれ。どう思う?」
このままではボケの応酬に無駄な時間を浪費すると考え、僕は勝手に話を進めるためリョーコに額にソレを見せた。するとリョーコは頬を僅かに染め視線をそらす。
「すごく……。大きいです」
「どこを見てその感想を漏らした?」
朝で、パンイチで、健康体の若い男子なら仕方がないだろう。生理現象だ。
って違う。そっちじゃない。問題は額の方である。
「僕の額に変なものが生えたんだ」
「え……。童貞こじらせると脳勃起するの?」
「しねぇよ。なんだよ脳勃起って!」
ツッコミを入れながら、これが石川県である確証をどう得るのかを考えた。
「これ石川県に形が似てるけど。角なの? カブトムシみたい」
「わからん。でも本当に石川県が生えたとしたら大変だぞ」
「証明はできたの?」
リョーコの問いに僕は小さく首を振った。証明の方法がわからない。
どうしていいのか考えあぐねる僕に対し、リョーコはソレをじっと見遣りおもむろに指でパチンと弾いた。デコピンである。
同時にテレビの画面に『地震速報:石川県北部で震度3』と表示された。
「んー。まだ偶然重なった事も考えられるか……」
リョーコはそう言うと、テーブルの上に置かれたグラスを取った。中身は麦茶のようだがリョーコは一体それをなんに使うというのだろうか。
「とりあえず、えいっ」
考えるよりも先に行動しているリョーコの事である。もっと予測をしていればよかった。
そして石川県の人。繋がっていたらごめんなさい。リョーコは後先考える事なく僕の顔に向かって麦茶をぶっかけた。
同時にテレビ画面が突然切り替わり、緊急報道として石川県からの中継を開始した。
『えー。ご覧になられるでしょうか。天変地異の前触れでしょうか。現在石川県全域で謎の麦茶の味に似た雨が降り続けています……』
「……石川県確定ね」
リョーコは確定が完了した石川県を指差してそう口にした。
「マジかよ。マジで石川県が俺の額に生えてんのかよ」
ショックのあまり膝から崩れ落ち俯きそうになるが、フローリングに石川県をぶつけそうになったので慌ててこらえた。
「これからどうしよう……」
「石川県の観光大使になったら?」
「観光大使っつーか、石川県を文字通り掌握してるんですけどね」
「やったね。一国の主じゃん」
「一県だよ。あと全然嬉しくねーよ。これどうすんだよ。病院に行けばいいのか?」
「え、取っちゃうの?」
「え、なんでお前は僕がこれを後生大事に保持しておくと思ったの?」
逆に聞きたい。日本の一部を抱えてこれからの人生送るなんてどこのふざけたギャグラノベのシナリオでもありえないぞ。
僕の名前は三杉コタロー。額に石川県を生やした日本の一部を掌握する普通の高校生だ。
ほら絶対ありえない。開始一行目で電撃文庫なら没になるレベルだ。
「だが取るにしてもだ。デコピンで震度3クラスだぞ。下手に刺激を与えたら、石川県民116万人の命の保証がないぞ」
「お前達の命はこの私が握っている。助けて欲しくば柿の葉寿司を三杉コタローの所へ大量に奉納しに来るのだー。フハハハハハー」
「何やってるの、お前は!」
額の石川県に向けて恐喝を行っていたリョーコを必死に止める。
本当に何をしでかすかわかったもんじゃない。……烏骨鶏の鶏卵カステラならアリだったかもしれないが。
「もう面倒だからさ。取ろうよ。いい加減飽きてきたし」
「……って簡単に言うけどな、下手すりゃ大事故につながるかも知れないし、そもそも石川県を取っちゃって僕が大丈夫なのかの保証はどこにもないんだぞ」
あと飽きたってなんだ。僕を含めた沢山の人が大変な目にあっているのに。
「ダイジョーブダイジョーブ。タブンネー」
「テキトーすぎてかける言葉も見つからないよ」
「や、だってそのままだったらコタローもう一生タートルネックのセーター着れないよ」
「理由が限定的すぎるだろ」
「どうするの? 僕はもう別の部分にいつもタートルネック着てますからとか言うの?」
「言わねぇよ。そしていつ見たの? あと大丈夫だから。仮性はまだ大丈夫だから!」
必死に言い放ち僕は溜息を漏らした。絶叫した事で石川県全域に僕の情報が知れ渡ったかもしれない。石川県での三杉コタローの仮性認識率100%ってなんだよ。チクショー。
「あ、コタロー。石川県の淡水の小型魚で佃煮などにする郷土料理ってなーんだ?」
リョーコの唐突なクイズに僕は暫し思案する。
「確か加賀料理にかかせないゴリ料理だった気が……」
そこで僕はハッとする。リョーコは考えるよりも先に行動に出る女である。
そして彼女はこの状況に飽きていた。……と、言う事は?
「つまりはそういう事だ!」
リョーコは力強く一息を吐くと同時に、鋭いビール瓶斬りを石川県に決めた。
マス大山もびっくりな鋭い手刀の切れ味は凄まじく、一瞬の衝撃の後パキーンという鉄か鋼が折れたような音がして、僕の額に生えた石川県は僕の額から折れ、床のフローリングに転がり落ちた。
僕は無言のまま額に触れる。痛みはない。血は出ていない。後遺症は大丈夫のようだ。
僕は安堵のためか、腰に力が入らなくなりその場にへなへなと座り込んでしまった。
「よかった……。これで普通の生活が送れる……」
「やれば出来るもんなのね」
「確証もなかったのにぶっつけ本番で試したの!?」
いっそ聞かなかったほうが僕の胃には丁度いいかもしれない。
僕は床に転がった石川県を見遣る。唐突に生えてきた当初はパニックにもなってルナシーの真矢さんも大暴れをしていたものだが、今こうして解放されるとなにやら感慨深い気持ちにさせられる。
「そういや繋がりは消えたけどニュースはどうなってるんだ?」
僕から離れてしまえば石川県とのリンクも切れて何も起こらない。
そう思ってた時期が僕にもありました。
『緊急ニュース速報です。皆様心を落ち着かせて聞いてください。先程前代未聞の天変地異が見られた石川県ですが、先程唐突に能登半島が強烈な衝撃と共に分断され、日本列島から徐々に離れていっているとの事です。繰り返します。石川県能登半島が完全独立し日本列島から離れていくそうです』
「能登半島じゃなくて、能登島……。ノトトーになったのか」
「瞬間接着剤はどこいった!?」
今思うと、あの退屈だと言えた日々が懐かしいと思えた。
僕の石川県を巡る暑い夏はいま始まったばかりだ……。