七
カーティス。二十六歳。フィリウス市商業ギルドに所属する行商人。
出身はベルム地方の小さな農村で、今はもう無い。
十一歳のときフィリウス市に出て、とある商人の下で修業を始める。十九歳で行商人として独立、商業ギルドに加盟。
主にフィリウス市を中心として街道沿いの町や宿場を定期巡回するが、それとは別に西へ東へと気の向くままに流れることも多い――今回ラルトンの町へ向かったのもそんな思い付きの一環だったという。
取り扱うのは保存の利かない食料品のようなもの以外なら何でも。
綿密な計画の元での行商より勘と閃き頼りが多く、何度か大損をしたこともあるが、全体としてはどうにか順調にやって来れている。
「――とまあ、旅の間に聞いたのはこんなところでした」
「ふむ」
アイザックが話し終えると、隊長は小さく頷き、目を閉じて何やら考え込み始めた。
ラルトンの町の守備隊は町の中央近くに本部を、また東西南北の門近くにそれぞれ支部を持っている。
イザベルに連れられ、乗合馬車に乗ってやって来たのは、昨日町に入るのにも使った西の門近くの西方支部だった。
小さな会議室のようなその部屋にいるのは四人。長机を挟んで向かい合って座った隊長とアイザックに、隊長の後ろに控えているイザベル、それに部屋の隅の椅子に腰掛けたコレット。
主に隊長の問いにアイザックが答え、どこか取り調べ染みた雰囲気に緊張している彼を気遣うように、イザベルが時折口を挟む。コレットだけが暇そうにして、図書館で借りてきた日記をぱらぱらとめくっていた。
隊長が黙り込んでしまいどうしたものかとアイザックが思っていると、イザベルが口を開いた。
「あなたからは、どんな話をしたのかしら?」
問われ、荷馬車で交わした会話を思い出しながら答える。
「ええと、ぼく自身の生い立ちとか、あとはラルトンの町についての通り一遍を。成り立ちとか名所とか」
「そう」
「それに、地下迷宮の伝説とか」
「地下迷宮?」
黙っていた隊長が目を開き、問う。
「コレットが一時期調べてたやつか」
「は、はい……」
真顔で真っ直ぐこちらを見てくる隊長に、やや引き気味で答えるアイザック。
少し迷ってから、問う。
「あの……ぼく何かまずいことをしたんでしょうか」
その問いに、隊長がやや面食らったような顔をし、イザベルが小さく吹き出し、そしてコレットが顔を上げて言った。
「アイザック。隊長はちょっとばかり愛想が不足してるけどそれだけだから別に警戒しなくて良いよ。マジギレしてたらそのときは〝逃げろ〟って言ってあげるから」
「うるせえよ」
横目でコレットを睨めつけながら、隊長。
「はあ……それじゃあ、カーティスさんが何か?」
「うむ……そこがちとはっきりせんのだよなあ」
問うアイザックに、頭を掻きながら隊長が言った。
「昨日、君とコレットが一足先に町へ帰ったあと。小一時間ほど経ってからだったかな、荷馬車の積荷の確認とゴブリンの死体処理を終えた我々も、カーティスと共に町へ向かった。
町へ着いてから、俺もイザベルも書類仕事があったので、ジョンが――昨日一緒にいた隊員だ――カーティスに同行し、フィリウス市商業ギルドのラルトン支部へ向かった」
商業ギルドは、街道を行き来する行商人と、都市や町で彼らの窓口となる商館とが所属する互助組織である。ラファール国内に十前後が存在し、とくに有数の大都市であるフィリウス市を拠点とするフィリウス市商業ギルドは多くの町に支部を持つ最大手だ。
その業務は情報の共有や仕事の斡旋など多岐に渡る。今回のカーティスの件のように、不慮の事態で損害を受けたときいくばくかの保障を受けることが出来る保険制度も、その一つである。
保障といっても無いよりはましといった程度で、わざわざ虚偽の申告をして悪用しようという者もそうそういないが、信用ある第三者――例えば町の守備隊など――の証言があれば手続きは円滑に進む。
そういった理由でカーティスの要望により守備隊員がギルドの支部に同行し、そうしてこの一件は済んだ――
「と、思ったんだがな」
「何か問題が?」
アイザックの問いに応えたのはイザベルだった。
「ええ。今朝になって、商業ギルドから問い合わせが来たの。カーティス氏に連絡が取りたい、と。それで、町での滞在先は控えていたので私が商業ギルドの人間と共に向かったのだけど……聞いていた宿にカーティス氏は宿泊していなかったわ」
「いなかった……?」
「そう」
「……それに対して商業ギルドの人は?」
「どうにも連絡が取れないとなったら、じゃあ良いですと言って帰って行ったわ。なぜ連絡が取りたかったのかと聞いても、こちらの手続き上の問題だと言って詳しくは教えてくれなかった」
「そもそも」と、隊長。「商業ギルドが自分のところに所属する行商人に連絡が取りたかったら自分らでどうにでもなるだろうに、我々を介しようとするのが不自然だし、連絡が取れなかったら取れなかったであっさり帰っていくのも不自然だし、カーティスが虚偽の連絡先を我々に伝えていったのもまた不自然だ。何もかも気に入らん。
――とまあ、今のところ俺が気に入らんってだけで、具体的にカーティスが何か犯罪に関わってるとかいったわけじゃあないんだがな。
君がもし何か知っているようだったら教えて貰いたいと思って来て貰ったんだが」
アイザックは少し考え、
「申し訳ないですがちょっとお役には立てそうにないです」
結局そう答えた。
「そのようだ。いや、わざわざ済まなかった」
隊長は深く溜息をついた。
ラルトンの町の守備隊は正規隊員が約二〇〇名。さらに住人の中に普段は別の仕事を持っている予備役が五〇〇名ほどいて、有事の際には招集される。
隊を束ねる立場にある隊長とその補佐であるイザベルは本来であれば常時本部に詰めているべきであるのだが、
「あの人は、もともと望んで今の役職に就いたわけではないってのもあるけど、現場主義でね。週ごとにこうやって支部を回って隊員たちと交流したり、積極的に外回りにも出たり。まあ悪いことじゃないと思うのだけど、書類仕事が滞りがちなのは少々困りものね」
と、苦笑しながらイザベル。
隊長は今、その滞りがちの書類仕事に戻っている。
そしてアイザックは、たまたま手の開いているイザベルの案内で、守備隊西方支部の建物を見学していた。コレットも普段は北方支部に行っていることが多いとのことで、興味深そうにあちこちを眺めている。
「わざわざ来て貰った代わり、ってわけでもないのだけど」
と、普段一般人が入る機会のそうそう無い場所も見せてくれた。
隊員の宿舎や食堂、娯楽室、厩、それに武器庫。
剣や短剣、革鎧、短弓といった通常装備と、そしてそれらとは別に奥には大剣や槍、金属鎧などの本格的な戦争装備も、常時手入れされた状態で収められている。
「イザベルさんー、あたしにもちゃんとした剣持たせてよー」
「駄目。あなたが自分のお金で自分で購入して私物として所有することにまで私たちはどうこう言わないけど、守備隊の仕事に同行するときは指示に従いなさい。
それにあなたはきちんと剣の芯で目標物を打撃出来るだけの技術は持ってるし、現状の任務には殆ど不都合は無いはずよ」
イザベルとコレットのその会話に、彼女が昨日、剣身に刃の付いていない短剣を使っていたことをアイザックは思い出した。話を聞いているとどうやら訓練用を持たされているらしい。
守備隊の装備がそもそもそういうものなのかとも思ったが、思い返せば隊長や他の隊員が使っていたのは間違いなく真剣だった。あくまで正規隊員ではないコレットに対して隊長が引いた一線なのだろう。
武器庫からさらに先へ進み、屋外に出ると、そこは砂地の広場だった。
何人かの隊員が木剣を使った模擬戦や、一見しただけではよく判らない器具を用いた何かしらの訓練をしていた。
「ここが訓練場。我々はラルトンの町の人々を守るため、日夜こうやって訓練を欠かさないわ――と、まあこれは有権者に向けた宣伝文句ね。
さて、これで一応見て貰えるところはひと通り案内したわ。何か質問はあるかしら?」
その問いに、訓練場の様子を眺めていたアイザックは、ふとその一角にあるものを目にし、そしてイザベルに言った。
「あの……もしまだお時間があるようでしたら、一つお願いがあるんですけど」
「……? 時間ならあるけど、何かしら?」