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 それは一冊の本だった。

 ずいぶん古いものらしく、革の装丁はすっかり擦り切れて表題も読み取れない。

 開くと、やはり年季の入った羊皮紙に古い書体で記されているのは、

「……日記?」アイザックが問い、

「みたい」コレットが頷いた。


 ラルトンの町の図書館。その奥にある、未整理書庫。

 買い取ったり寄付されたりして、しかしまだ分類されていない書物が一時的に収められている場所である。

 脇に書見台があり、そこで二人はその本――日記を調べていた。

「あたしじゃ読めない字も多くて詳しくは判らないけどね。アイザックなら読めるでしょ?」

「まあ……どうにか」

 羊皮紙の質は頁によってまちまちで、全体的に走り書きに近く、不明瞭な部分も多い。もともと本として製本するつもりで書かれたものではないのかも知れない。

 日記らしく日付はあるが年号が無いのでいつのものなのか正確には判らない。が、古い字形のエンルード文字が多く使われているのが目立つ。少なくとも四〇〇年、或いはそれ以前に書かれたものだろう。

 エンルード文字はかつて〈東の大陸〉のほぼ全域を支配していた古代エンルード帝国で用いられていた表意文字で、現在も多くの国や地域の言語に取り入れられている。言語によって読みや文法が異なっても、それぞれの意味そのものは大きくは変わらない。故に〈東の大陸〉では、他言語話者同士であっても筆談によってある程度の意思疎通が可能という利点があった。

 反面字形が複雑であるので、短い時間で、限られた範囲に、大量に記すには向かない。

 そのため識字率の向上に伴い多くの人間が多くの文書を記すようになった言語では、字形が簡略化されたり、似た意味の字が統合されて一部が使われなくなるなどしてきている。

 エンルード文字に加えて独自の表音文字を併用するラファール語はそれが比較的顕著で、コレットのように一般的な教育を受けていて現代ラファール語の読み書きはひと通りこなせると言える者でも、ある程度古い文書は途端に読めなくなることが多い。

 無論、アイザックは古語にもそれなりに通じている。魔術師にとって古語の解読は必須技能の一つだ。

 ぱらぱらと頁を繰りつつ、目に着いた単語を拾い読みしていく。

「著者は……旅をしているのかな。うん、ラファール王国成立以前の諸国の名前がいろいろ出てきてる。旅をして……宝を探したり……怪物を倒したり……

 ……ああ、そうか。この人は」

 アイザックの呟きに、

「そ」答えるコレットは何やら目をきらきらとさせていた。「冒険者だったんだよ、この人」


 数カ月前、若い頃は遍歴の職人として各地を転々としていたという老人が亡くなった。彼は遍歴時代に集めた多量の書物を所蔵しており、それらは家族によって図書館に寄付された。

 どういった経緯で数百年前の冒険者の日記をその職人が所有するに至ったのかは定かではないが、ともあれ未整理書庫を漁っていたコレットがそれを見つけたのは半月ほど前、アイザックが送った帰郷を知らせる手紙を受け取ったのとほぼ同じ頃だったという。

 彼女は時折、このようにして図書館や書店、或いは町の語り部の下を訪れるなどして、調べ物をしている。

〝ドワーフの地下迷宮〟――は、その一環でしかない。

 彼女が調べているのは、冒険者に関する知識や物語だった。書物を紐解き、語り部やたまに町を訪れる冒険者から話を聞き、守備隊に押しかけて武芸を学ぶ。

 それらは全て、ある一つの目的を見据えてのものだった。

 冒険者になること。それが、アイザックの知る限り一番最初からコレットが持ち続け、どうやら今も変わらないらしい夢だった。

 物語などから冒険者に憧れる子供というのは多いが、その中から実際に冒険者になる者は多いとは言えない。冒険者になるのはもっと分別の付く年齢になって初めてその可能性を考えた者の方が多い、と、以前に学院を訪れた冒険者も言っていた。

 コレットはその数少ない例外であるのかも知れない。


「お、来てたのかコレット。それに……アイザックかい?」

 書庫の外を通りがかり、二人に声を掛けたのは、補修中らしい本の山を抱えた中年の男性司書だった。

「どうも、お久しぶりです」

 顔を上げて挨拶するアイザックと、そちらを見もせず「んー」などと言いながら掌をひらひらと振るだけのコレット。

 司書も慣れているのか苦笑一つでアイザックに向き直り、

「ちょうど良いや。実はここ数日コネリーさんを訪ねてもいつも留守なんだけど何か聞いてないかな。古文書の鑑定を頼んでたんだけど」

「師匠ですか? いいえ、何も。ぼくたちもさっき行ってきたんですがやっぱり留守みたいでした」

「そうかー……」

 困ったな、とあまり困ってもいなさそうな顔で呟く司書に、アイザックはやや眉をひそめ、

「あの、ここ数日って、具体的にはどのぐらい……?」

「うーんと、最初に鑑定を頼んだのが二週間ぐらい前。その次に訪ねたのが……六日前だったかな、そのときからずっと留守なんだよね」

「六日……ですか」

 考えこむアイザック。

 司書はしばらくその様子を眺めてから、「ま、連絡が付いたらよろしく言っておいてよ」と去って行った。

「……どうしたんだろうね?」

 しばらくしてコレットが声を掛けてきた。

「うん……まあ六日ぐらいふらっと居なくなることも無いではなかったけど……

 まあ良いや、とりあえず今はこっちの本だね。ええと、最初から読んでいけば良いの?」

「そうしてくれても良いけど、今気になってるのは……この辺かな」

 そう言ってコレットが開いた頁の冒頭にはこうあった。

『ラルトンの村』

 と。


 ラルトンの町の成立はおよそ四五〇年前。当時の戦乱で焼けだされ各地から集まってきた人々が寄り添うようにして出来た集落が、村となり、やがて町となる。

「その頃の記録か」

 呟きながら、アイザックは日記を読み進める。

 当時、まだラファール王国は無い。と言うより国らしい国が無かった。それまでこの地域にあった都市国家群が戦乱によって崩壊し、町や村が孤立していた頃だ。

 後に初代ラファール国王となる一人の英雄が、まだ流れてきたばかりの流浪者の少年でしかなかった頃。

 著者は諸国を放浪している冒険者で――と言っても冒険者と傭兵と盗賊の区別も曖昧な時代だったのだが――たまたま野盗の襲撃を受けていたラルトンの村を訪れ、防衛戦に参加し、そのまましばらく滞在することになったらしい。

 そこで生活し、防備を固めるために周辺の土地を調べる過程で――

「……見つけた、のか。〝ドワーフの地下迷宮〟を」

「ね、やっぱそんなようなことが書いてあるよね?」

「うん。文字はともかくとして今とは違う言い回しなんかも多いから詳しい場所はちょっとよく判らないけど、これを書いた人は実際に迷宮に足を踏み入れてる。村の防衛には役に立たなさそうだったからあまり調査はしてないみたいだけど」

 迷宮に関する伝説は殆どが伝聞形で、当事者が自身の手で記した記録というのはアイザックの知る限り無い。この日記の内容が事実であるのならば、非常に有力な手懸りになるかも知れない。


「この日記借りられないかな。ちゃんと調べながら読み進めればもう少し何か判るかも」

「あたしは何度か頼んで断られたけど、アイザックなら……」

 と、

「やれやれ、またその本かい」

 書庫の入り口からの声に振り返ると、先ほどの司書が立っていた。

「ちょうど良いやおじさん、ねえこの本だけど……」

「ああ、借りたいんだろ。わかったよ。本当は分類が終わるまで駄目なんだけど、かと言ってこの辺りに手を着けるのはまだずいぶん先になるだろうし、早めに返してくれるならコレットとアイザックの二人に対してぼくの権限で特別に許可するよ。あくまで特別だからね?」

「おじさん話せる!」

 片目をつぶって親指を立てた拳を突き出すコレットに、司書はやれやれと苦笑を返し、それから、

「それよりも、二人を探してるって人が今来てるんだ」

「ぼくらを、ですか?」

 問い返すアイザックに答える形で司書の後ろから姿を見せたのは、

「町中を歩きまわるはめになるかと思ってたのだけど、存外早く二人一緒に見つけられたのは幸運だったかしらね」

「あれ、イザベルさん?」

 守備隊の副隊長だった。

「あたしたちに用って、どうしたの?」

「あなたたちと言うか、主にアイザックに聞きたいことがあってね」

「ぼくに?」

 イザベルは小さく頷き、言った。

「良かったら一緒に詰め所まで来て貰えるかしら。カーティスと名乗ったあの行商人について詳しく聞きたいの」

Sat, 25th May, 2014:ラルトンの町の成立を二五〇年前から四五〇年前に変更。

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