五
昼まで寺院の掃除や社務を手伝い、司祭たちと昼食を取ってから自宅に戻った。
学院から持ち帰った荷物を整理していると、
「やっほー、アイザックいるー?」
コレットが来た。昔を思い出すなあなどと思いながら迎え入れる。
シャツにスカート、革の靴に、背中には小振りの背負鞄と、どこにでもいる町娘風の格好だった。見たところ武装はしていない。子供の頃は手製の木剣を常時携行したりしていたが。
「守備隊は?」
「ん、丁度今日からしばらくお休み」
言いながらコレットは、久しぶりに入ったアイザックの私室を見回している。
書物机。長櫃。寝台。裏返して干してあるザックと、そこに入っていた諸々の荷物。書棚にある本や巻物の殆どはアイザックが寺院の図書室や町の図書館で書写してきたものだ。
「詰め所には寄ってきたけどね。――短剣だけど、やっぱり無かったって」
「そう」
学院から持ってきた短剣を紛失していたことに気付いたのは町に着いてからだった。おそらくあのとき、馬車から投げ出されたときに手放してそのままだったのだろう。
あの場に残った守備隊が回収でもしていないかとコレットに確認を頼んでいたのだが。
「大切なものだった?」
「ん、いいや、そうでもない。昔学院にいた賦与魔術師が作ったものらしくて、って言ってもその先輩と面識があったわけでもないし。まあ、気に入ってはいたかな」
旅の神の加護とやらは果たしてあったと言えるのかどうか。ゴブリンの襲撃を受けてあわやというところで守備隊が駆け付けたのは加護と言えるのかも知れないが、そもそも最初から襲撃自体されない方が良かった。
「ふーん」
腕を組んで何やら考えこむコレット。
アイザックは警戒した。経験上、七割ほどの確率でろくでもないことを考えている。二人で探しに行く、とか。
「別に二人で探しに行こうって考えてるわけじゃないよ。ゴブリン出たばっかりだし。そうじゃなくて、あの一緒にいた行商人の人、あの人が拾っていないかな、って」
「ああ」
確かにその可能性は全く無いでもない。自宅が寺院の隣であることはカーティスに言ってあるし、寺院の場所も人に聞けばすぐ判るだろう。社交辞令でなく本当に訪ねるつもりがあるのならば、守備隊に預けるより直接持って行った方が早いと考えたかも知れない。
もし短剣を拾っていれば、だが。
いずれにしろ、この件について今の所これ以上出来ることは無いようだ。
「で、今日はどうするの? お師匠さんとこ行くの?」
「うん、そのつもり。お土産もあるし」
「じゃあ一緒に行こっか」
コレットと二人で町を歩く。
三年前と変わったところ、変わらないところ。聞きながら、見て周る。
橋を渡って町の北側へ。
中心から外れた方面まで行くと、職人街と呼ばれる区画があった。その名の通り様々な職人たちが軒を連ねている。
革細工。金細工。木細工。焼物。靴。染物。織物。仕立て。写本。
麺麭などの食べ物は別としてそれ以外のいわゆる職人仕事はたいてい間に合う。そんな場所だ。
魔術師コネリーの館はその奥にあった。と言っても仰々しい如何にもな〝魔術師の館〟というわけではない。こじんまりとしたごく普通の平屋造の一戸建てだ。小さな庭には花まで植えてある。
ただところどころに小さな紋章が描かれ、扉には飾り文字でコネリーの名の看板があった。
町の魔術師というのは要するに何でも屋だ。何かしら厄介事を抱えた依頼人が訪ね、話を聞き、持てる技術で対応する。日常的には護符や薬を作って売ったりもしている。
また職人たちが使う道具に丈夫で長持ちするよう呪いを掛けるというような職人街ならではの仕事もよく請け負っていた。
扉を叩く。が、返事は無い。
「……留守かな」
しばらく待ってから扉を開けようとしてみたが、錠が掛かっていた。師の朝はいつも遅かったが、さすがにこの時間なら普通は起きている。でなければ出掛けているのか。
「……出直そうか」
アイザックがそう言ったときだった。
「失礼。魔術師コネリー殿のお宅はこちらか」
背後から声を掛けてくる者があった。
小柄な男だった。背はコレットと同じぐらいか。だが幅はあり、しかも肥満というわけではなく、骨も筋肉も太いのだということがゆったりとした上着の上からでも判る。後ろから見れば子供かと思ったかも知れないが、顔の半分を覆った豊かな髭と、先ほどの渋い声は壮年男性のそれだった。
真っ直ぐ顔を見つめてくるその瞳をしばらく見返してから、ふとアイザックは問い掛けられたことを思い出した。
「えっと、あの、そうです。でも師匠はなんか留守みたいで」
「なんと」その言葉に男は目を見開いた。「貴殿はコネリー殿のお弟子にあられるか」
何だかな妙な、言うなれば古風な喋り方をする男だった。
「一応弟子というか、元弟子というか」
答えるアイザックに男はやや居住まいを正すようにしてから、
「某はジャンゴ・ウェストウィンドと申す」
言って、握った右の拳を自分の左肩の付け根に当てた。見たことのない仕草だが、何となく会釈に類するものに思えた。
「あ、アイザックです。ケンドール魔術学院の準魔術師位、です」
「コレットだよ」
名乗る。
ジャンゴと名乗った男はまずアイザックを、それからコレットを見て、
「コレット殿もコネリー殿のお弟子で?」
「違うよ」
コレットが答えると、
「ふむ。左様で」
ジャンゴは一度深く頷いた。それから、
「……良い目をしておられる」
何だか良く判らないことを言った。
それから再びアイザックを見て、問う。
「コネリー殿はいつ頃お戻りになられるであろうか」
「えっとその、すみません、判りません。ぼくも三年振りに訪ねてきたところで」
「ふむう」
また頷く。或いは溜息なのかも知れなかった。
そのままジャンゴはしばらく黙って考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「まあ、そういうことであるならここで待っていても仕方あるまい。出直すと致そう」
アイザックとコレットの二人を同時に真っ直ぐ見て、またあの拳を肩に当てる仕草をした。
「どうか宜しくお伝え下され」
そう言って後ろを振り返り、去って行った。
「……何か変わった人だったね」
ジャンゴを見送ってしばらくしてから、コレットが口を開いた。
「家名も名乗ってたけど、あんま貴族とかって感じじゃないね。商人かな」
聞かれもしないのに家名を添えて名乗るのは騎士や貴族、或いは財を成した商人などと相場が決まっている。
別に平民は家名を持たないわけではもちろんない。単に名乗る習慣が無いのだ。何か理由があって(結婚など)確認するまで自分の家名を知らないという者も多い。
ラファール王国では。
「多分だけど、ドワーフだよあのひと」
「へっ?」
アイザックが呟くように言い、コレットが変な声を上げて振り返った。
「学院で何度か〈西の大陸〉から来たドワーフに会ったことがあるんだけど、そのひとたちと、具体的にどこがどうってわけじゃないけど、何となく似てるんだ。気配っていうか雰囲気っていうか。
ウェストウィンドって家名もコルト語だよ。〈西の大陸〉で広く使われてる言葉なんだけど、意味は確か西の……風、かな」
「へぇー」
コレットは改めてジャンゴが去って行った方角を見た。
昼過ぎの職人街は、職人や商人の使いがあちこちを走り回ってそれなりに人通りがある。小柄なくせに妙に存在感のあるあの背中はもちろんどこにも見えない。
「お師匠さんドワーフの知り合いなんていたの?」
「いや、聞いてないけど。どうだろう」
アイザックが知る限り、普段訪ねて来るのは殆どが魔術の客で、職人や町人だった。思えば魔術師の類の知り合いと直接会っているところを見たことは無かったかも知れない。手紙の遣り取りはそれなりにしていたようだが。
「ドワーフって言えばさ」
ふと、コレットが口を開いた。
「うん?」
「アイザック覚えてる? 〝ドワーフの地下迷宮〟の話」
「ああ、コレットが一時期調べてた……」
ラルトンの町に伝わる、というかどこにでもあると言えば言える、伝説だ。町の地下に広がる、かつてドワーフが築いた迷宮。その最奥に眠る財宝。
「それが?」
コレットは何かもったいぶるような笑みを浮かべ、言った。
「手掛かり……って言えるほどのものか判らないけど、一応アイザックに見て貰いたいものがあるんだ」
Mon, 14th Jul, 2014: コレットの服装について描写を追加。シャツにスカート、革の靴に、背中には小振りの背負鞄。