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 ラルトンの町には七つの寺院がある。

 その一つ、天空神の寺院は町の中心近くにあった。川によって南北に分かたれたラルトンの町の、南側だ。規模は七つの寺院で三番目。世間一般の尺度に当てはめても、それなりに大きめと言える。

 広い敷地は中央が広場になっていて、正面に聖堂があり、その裏手には倉庫や司祭の宿舎やその他諸々の小さな建物がいくつかある。

 寺院の朝は早い。まだ夜明けから間もないが、常時開け放たれている正門からアイザックが敷地に入ると、青い聖服姿の司祭たちがそこここで朝の掃除をしていた。


「あれ――アイザックか?」

 一人の司祭が声を掛けてきた。二十歳代の若い司祭だった。傍らに十歳ほどの少年を伴っている。少年もまた聖服姿だったが、造りは簡素で丈も短い。見習いの服だ。

「おはようございます」

「おはよう……ああ、そうか、帰ってたんだっけ」

「ええ、昨日」

 司祭と挨拶を交わす。アイザックが学院に行く前からの顔見知りだった。

 平服姿で寺院の関係者には見えず、かといって参拝といった様子でもない、そんなアイザックを、少年は何者かという目で見ていた。司祭は少年のその様子に気付き、アイザックを紹介する。

「彼はアイザック。司祭長様の、子供――じゃないけど、まあ、家族だな。魔術師だ」

「まだ見習いですよ」

「じゃあこいつと同じだな」司祭は少年の肩を叩き、「ラリーだ。一昨日から司祭見習いとしてここに来た」

 アイザックはラリーを真っ直ぐ見て言った。

「よろしく、ラリー」

「よろしく……」ラリーは挨拶を返し、それから怪訝な顔で問う。「司祭長様の身内の方が、魔術師?」

「いけないかい?」

 アイザックは苦笑しながら聞き返した。

「ええと……」ラリーは少し考えてから、「判りません、でも……何だか変な気がします」

 アイザックが若い司祭の方を見ると、彼は小さく肩をすくめた。

 司祭を身内に持つ者が魔術を志してはならない、などという決まりは無い。だがどうにも世間では、聖職者と魔術師は相容れないものという認識がある。魔術師は神を信仰せず、寺院は魔術を禁忌としている、と。

 そんなことはない。確かに商人や傭兵などと比べれば信仰に篤い魔術師というのは多くはないが、知識の神や探求の神、書の神などがそれなりに信仰されている。それに七大神の一柱である境界神は魔術の神としての顔も持っている。

 一方寺院側は、これは宗派や教義によるとしか言いようがないが、これまで公に魔術を否定する声明を出したというような話は聞かない。

 ラリーの反応は司祭でも魔術師でもない市井の人間としてはよくあるものだった。たまに学院の外の人間に身の上を話すと、しばしば似たような反応が返ってくる。

 ふと、アイザックは思った。そう言えば、荷馬車に便乗させてくれた行商人カーティスはその辺りにはとくに食いついてはこなかった。

 まあ、行商人ならば町に住む人間とは異なる視点から広く世界を見ているのだろう。


 掃除を再開する二人と別れ、広場を真っ直ぐ進み、聖堂に入った。

 信徒席が整然と並べられた広い空間があり、その先の突き当りに祭壇がある。背に翼を持った若い男の巨大な石像が祀られている――天空神の像だ。

 その手前に、祈りを捧げる後ろ姿があった。身に纏った聖服は他の司祭のものよりやや上等な造りで、色は青ではなく黒。司祭長の身分を表すものだ。

 アイザックはそのまま進み、数メートル手前で足を停めた。祈りが終わるのを待つ。

 神話では、始原の創造神がまず、後に七大神として知られることになる七柱の神々を創り、彼らと共にこの世界を――海と空と大地と太陽と二つの月と四つの惑星とを創った。その後七大神がそれぞれ七柱ずつの神々を、その四十九柱の神々がさらにそれぞれ七柱ずつの神々を創り、そうして全部で四〇〇柱の神々が今のこの世界を見守っているとされている。

 この教えは〈東の大陸〉の殆どの地域と、〈西の大陸〉でも人間の勢力が強い地域では広く受け入れられている。と言っても四〇〇柱の内訳の殆どは地域によってまちまちだ。土着の信仰と混じりあったり伝えられる過程で変化したりした結果、同じ神が全く違うものを司っていたり、同じものを別々の神々が司っていたり、一柱の神が複数に分けられたり、複数の神々が一柱にまとめられたり、そういったことがざらである。

 一応全ての寺院の総本山がある〈聖都〉では公式見解としての神々の一覧を公表しているが、これもしばしば修正が入っている。

 始原の創造神と最初の七大神はさすがにそうそう変わらないため、七柱の神々の寺院はどこの町にもある(始原の創造神の寺院だけは〈聖都〉以外の場所に作ることを認められていない)。ラルトンの町に於けるそのうちの一つが、ここ、天空神の寺院であり、

「おや、おはよう、アイザック」

 祈りを終え、ゆっくり振り返ったその人物が、寺院を預かる司祭長だった。


「おはようございます、叔父さん」

 叔父、と呼んだが正確には叔父ではなく、遠縁の親戚だった。アイザックの実父の従兄弟だったかはとこだったかで、同時に親友でもあったという。いかなる理由で物心付く前のアイザックが彼に預けられることになったのかは、まだ詳しくは聞いていない。

 穏やかな顔つきの、壮年の男だった。灰色の髪を短く刈り、同じ色の髭が頬から顎、口の周りを覆っている。

 叔父が場所を譲り、祭壇の正面に立ったアイザックが祈りを捧げる。司祭ではないので一般信徒と同様の簡易的なものだ。

 別段アイザックが信心深いわけではなく、ただの幼い頃からの習慣でしかない。学院に行ってから最初の数日は何となく寮の自室で毎朝祈りを捧げていたが、程なくやらなくなっていた。久しぶりのそれは、それでも文句も動作もすらすらと出て来た。

 祈りを終え、叔父に向き直る。

「もっと寝ていれば良かったのに」叔父が言った。

「目が覚めちゃったんで。学院ではもっと遅くまで寝てたんですけどね」アイザックは小さく肩をすくめた。「朝の掃除と、午前中の社務ぐらいは手伝いますよ」

「コネリーのところへは?」

 コネリーは町の魔術師で、アイザックに最初に魔術の手ほどきをした師でもある。

「師匠はたぶん昼までは寝てるでしょうから、午後に行ってみます」

「ふむ」

 話しながら、二人連れだって聖堂の奥、建物の裏手へ続く通路へ向かう。


 アイザックの実家であり、今は叔父が一人で住んでいる家は、寺院のすぐ隣にある。

 昨日あのあと、町に着いたのはそろそろ日も暮れようかという頃だった。そのままコレットと二人で家まで行き、叔父も交えて三人で夕食を取りながら話をした。三人でと言っても、専らコレットの問いにアイザックが答えるばかりで、叔父は聞き役だった。

 やがて夜も更け、コレットは自宅へ帰り、朝が早い叔父も床に就いた。今朝アイザックが目覚めたときには叔父は既に寺院に出ており、結局まだ二人ではゆっくりとは話していない。

 自然と昨日の話の続きをしながら、気づけばアイザックは叔父の執務室まで来ていた。

「休暇はどれぐらい取るんだ?」

「はっきり決まっているわけではありませんが、まあ一、二ヶ月はゆっくりしようかなと」

「ふむ。そして学院に戻り、最終訓練が一年か二年、だったか。それで魔術師になったとして、その後どうするかは考えているのかね?」

「それは……」

 アイザックは言い淀む。はっきり言えば、具体的なことはまだ何も考えていない。

 例えば……

 師匠の下に戻って助手になり、彼が引退でもしたら跡を継ぐ。

 学院に留まり、導師か何かになる。

 どこかの領主の、何なら国王の城への士官を求める。

 などなど。選択肢としてはそれなりにあるのだが、いずれもピンとは来ない。

 一つ、町で魔術を学び始めた頃から心の中にあるものはある。どちらかといえば他愛のない子供の夢のようなもので、現実的な選択肢として口にするのは憚られるが。

「ふむ」アイザックのその様子を見て、叔父が口を開いた。「まあ、まだ時間はあるわけだからな。ゆっくり考えるが良いさ」

「はい」

 答えながら思う。叔父としてはアイザックに、司祭になり、いずれは司祭長を継ぐことを望んでいたのではないか、と。学院に行ってからも時々考えていたことだ。

 アイザック自身、幼い頃は自分も将来は司祭になるものだと漠然と考えていた。

 だがある日、アイザックに魔術の才を見出した町の魔術師に、魔術を学んではみないかと声を掛けられた。自分では決めかねていたアイザックに、叔父は素質があるのなら伸ばしてみるのも良いのではないかと言ってくれた。その後学院から誘いがあったときも、望むのならば、と快く学費を出してくれた。

 叔父が何を望んでいたかは、アイザックが自分で想像しているだけだ。具体的に彼がアイザックの将来をどうこう言ってきたことは無い。

 だが……

13th Apr, 2014:物語舞台の識字率について云々の部分を削除。設定が消えたわけではありませんがここで脈絡なく語ることでもないな、と。

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