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 荷馬車が横転したのだ。路面の石にでも乗り上げたのだろう。そもそもあれだけの速度でここまでの距離を無事に走ってきたことが奇跡とも言えるのだ。

 妙に冷静にそんなことを考えながら、アイザックは重力から開放され、その浮遊感の中で意識を失いそうになり――

「戻れコレット、馬車を守れ!」

 隊長格のその言葉に引き戻された。

「コレット?」

 言いながら自分の状況を把握しようとする。

 いつの間にか街道脇の草地をごろごろと転がっているようだった。石畳に直接落下しなかったのは幸いだったと言えるだろう。

 あてずっぽうで指を地面に突き立て、どうにか落ち着いたときは四つん這いの姿勢を取っていた。

 顔を上げる。手に棍棒を持ったゴブリンが一匹、正面から走って来るのが見えた。

 立ち上がるべきか、それとも伏せた方が良いのか逡巡するが、どちらにしろすぐには動けないのであまり意味は無かった。

 突然、自分とゴブリンの間を何かが走り抜けていった。右から左へ、真っ直ぐに。

 馬だった。守備隊の馬だ。だが、乗り手はいない。

「ぉぉおおりゃああーーーっ!」

 その声は上から来た。

 見る。小柄な人間が落ちて来る。否、ゴブリンに向かって落ちて行く。斜めの軌道で、真っ直ぐに、矢のように。

 走る馬の背から跳び上がったのだ、とアイザックが理解したときには、芸術的な飛び蹴りがゴブリンの顎を打ち抜いていた。

 蹴りの主は着地から流れるように地面で一回転し、そのまま立ち上がった。

 短剣を携えた小柄な女性――と言うより、少女だった。明るい色の長い髪を後頭部の辺りで結わえ、額に巻いた鉢金の下の大きな瞳が油断なく周囲を見渡す。アイザックの方を向いたとき、その顔に笑みが浮かんだ。

「アイザック――やっぱりアイザックだ!」

「え、コレット?! 何で……」

 言いかけたとき、少女――コレットが表情を引き締めた。鋭く横手を見やる。先ほど蹴り倒したゴブリンが立ち上がるところだった。

 コレットはゴブリンに向かって大きく一歩踏み込んで間合いを詰め、短剣で殴り付けた。短剣と言っても全長七十センチほどあり、小柄な少女が持てば立派な剣のようだ。その剣身に刃が無いことにアイザックは気付いた。ゴブリンからすれば刃物で斬られるのも十分な速度と重量を持った鈍器で脳天を殴られるのも同じだっただろうが。

「ごめん、積もる話はあとでね。馬車に乗ってたのはあなたと御者の人だけ?」

「う、うん」

 見れば思いの外近い位置に横転した馬車があり、二頭の馬が半ば折り重なるようにしてじたばたしている。そしてその脇にカーティスが倒れていた。

 慌てて駆け寄る。やや朦朧としているが意識はあり、見たところ外傷も無さそうだった。

 コレットも二人の近くに来てその場に留まった。

 その後ゴブリンがもう一匹来たが、コレットが一撃で叩きのめした。そしてそれ以外は全て、他の四人の守備隊員が倒した。


 状況が落ち着いたのは半時間ほど経った頃だった。

 アイザックとカーティス、コレット、それに守備隊の隊長とで倒れた荷馬車から馬を外し、積み荷を一旦降ろし、車体を戻した。幸い、馬も車体も大した負傷や損傷はなく、少なくとも町までは行けそうだった。

 他の三人の守備隊員はゴブリンの死体を集め、数を確認し、不審な点がないか調べ、今は街道からいくらか外れた辺りに大きな穴を掘っている。

 隊長が荷馬車側の作業に加わったのはついでにカーティスから事情を聞くためだった。

「実はここ最近日中からのゴブリンの目撃報告がいくつかあったんだ。そこで見回りを強化していたところ、君たちが襲われているところに出くわした」

 三十代半ば程の体格の良い男だった。短く刈った髪の下に生真面目そうな顔がある。

「じゃあ俺らは運が良かったんすね」

 言いながら、カーティスは積み荷を点検している。頑丈に梱包されていたこともあり、殆どは問題無い様子だった。だが、

「うわー……」

 一つの木箱を開けたカーティスが釘抜き片手に呻き声を漏らした。中にはおが屑がぎっしりと詰まっている。赤い液体に濡れているようだった。

 手を突っ込み、硝子瓶を引っ張りだした。真っ二つに割れたその上半分を。

「……葡萄酒かね?」

「ええ、結構値の張るモンだったんすけど……あ、割れてないのもあるな」

 数本が無事だったが、かなりの本数が割れてしまっているようだった。

「商業ギルドに加盟しているなら保険制度があると聞いたが」

「ええ、多少は補填されると思います。申し訳ないんすけどあとで申請書に一筆添えて貰って良いすか?」

「ああ、構わんよ」


「よっ、久しぶり。アイザック」

「うん」

 アイザックはコレットと改めて顔を合わせた。手紙の遣り取りは何度かしていたが、直接会うのは三年振りだ。

 それなりに背が伸びてそれなりに大人びてはいたが、あまり印象は変わらない。革鎧に鉢金、剣帯に短剣という格好も妙に似合っていた。

「……守備隊に入ったんだ?」

「正規隊員じゃないけどね。十六歳になるまで駄目だって。半ば押し掛けで剣とかいろいろ教えて貰ったりしてる感じ」

「剣を……」

「アイザックこそ、立派な魔術師になったね」

「ぼくだってまだ正魔術師じゃないよ」

「でも何かばしゅーって飛ばしてゴブリンやっつけてたじゃん」

 アイザックは黙って苦笑する。まあ確かに今回に限れば、窮地を多少先延ばしにするぐらいのことは出来たと言えるかも知れない。

 填めたままだった指輪を見る。実戦の場で使うのは初めてだったが、当面の課題は命中精度だろうか。狙った場所へ確実に当たるというのが理想だが、せめて指差した方角へ真っ直ぐ飛んでくれるぐらいには。

「隊長」

 ふと、新しい声が聞こえ、アイザックはそちらを見た。

 長身の女性が隊長に話しかけていた。

「数は全部で十一匹。ロードはいません。見たところでは不審な点は認められない、普通のゴブリンです――日中に出たことを除けば」

「そうか」

 そうやって二言三言言葉を交わすと、女性はアイザックとコレットの方へ来た。

 二十歳をいくらか過ぎた辺りだろうか。栗色の髪は肩ほどまでの長さ。鼻筋の通った、掛け値なしの美女だった。

「あなたがコレットのお友達ね、若い魔術師さん。見てたわよ」

 見てたわよ。その言葉に何か気後れを感じ、そしてすぐその理由に思い至った。

 あの一番最初の矢をかなりの距離から射ったのは彼女だったはずだ。その後もコレットの背中越しに、彼女が何度か矢を射るのを見た。乱戦の中、仲間のすぐ近くでもお構いなしに、そして確実にゴブリンを射抜いていた。

 その彼女に、あのへたくそな射撃を見られたわけか。

「イザベルさん。うちの隊の副官。弓矢の名手だよ」

「あ、えっと、アイザックです。ケンドール魔術学院の準魔術師位です」

 コレットが彼女を紹介し、アイザックも慌てて名乗った。

「よろしく」

 女性、イザベルは小さく笑みを浮かべ、頷いた。


「コレット」

 今度は隊長がこちらに来た。カーティスも一緒だった。

「アイザック。俺はもうしばらくここで守備隊の人らと話がある。んでな、お前さんも付き合ってくれても良いんだが、何ならここで別れて先に町へ帰っても良いんじゃないかと思う」

「その場合はコレット、お前が護衛しろ。で、今日はもうあがりで良い」

 どうする? と二人の大人に判断を求められ、アイザックは少し考える。

 横を見るとコレットがすました顔のまま「そうしろ!」と念を送ってきていたので、そうすることにした。

「そうします」

「ん、じゃあ元気でな。つってもしばらく町に滞在するつもりだから会うこともあるか」

「良かったら寺院にでも遊びに来てください」

 カーティスと握手を交わす。

 次いでイザベルとも、

「あなたも一度守備隊の詰め所に遊びに来なさい。コレットの友達なら歓迎するわ」

「ええ、是非」

 そして隊長とも、それからゴブリンを埋めているあと二人の隊員とは会釈を交わし、コレットと共に町へ向かった。


 コレットの乗ってきた馬に荷物を載せ、二人で歩く。

 小高い丘に登ると、街道の向かう先にあるものが見えてきた。

 全体はほぼ円形をしている。周囲は城壁に囲まれている。

 中央を川が流れている。建物は殆どが平屋造で、赤、青、黄、茶と色とりどりの屋根瓦が遠目にも美しい。

 町。ラルトンの町。

 三年振りの故郷だ。

「あっ」

「うん?」

 ふいにコレットが声を上げ、アイザックは彼女の方を見た。

「忘れてた……いや、町に着いてからでも良いのかな? でも思い出しちゃったし」

「……何が言いたいのさ」

 構わず、コレットはアイザックを真っ直ぐ見ると、にっと笑い、言った。

「おかえり」

 アイザックはほんの少し呆気にとられ、それから自分も笑みを浮かべて答えた。

「うん、ただいま」


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