一
里帰りを決めてからの一ヶ月弱はほぼ準備に費やされた。
先に手紙を何通かしたため、途中だった文献調査や実験はきりの良いところまで進め、小遣い稼ぎの写本作業は学友に引き継いだ。
頑丈な革のブーツを手に入れ、毎日履きこんで足に馴染むよう努めた。フード付きのマントは元の所有者が誰だったのか良く判らないままずっと寮の物置にあったもので、この機会に頂いてしまった。背負ったザックは三年前に学院に来たときから使っていたものだった。
それから、
「旅なら護身用の武器ぐらい要るんじゃないか」
と、学友が短剣を一振り、渡してくれた。
「これは?」
「何年か前に卒業してった賦与魔術師の作なんだそうだ。剣身に刻まれた旅の神の名によって道中の安全の加護がある、かも知れない、とかなんとか」
「それは心強い」
「倉庫から適当に発掘してきたもので別に俺のじゃないから安心しろ」
「ますますもってありがたい」
全長四十センチほど。鞘から抜いてみると、言われた通り剣身に魔術文字が刻まれている。
ただ持っているだけでは重く感じるが、試しに振ってみると意外と素直に操れる。重量配分が優れているのだろう。魔術とは無関係に純粋に武器としても良い造りをしているのだと知れた。
鞘に戻し、腰に差す。二、三度腰を揺すって位置を決める。
「――うん、良い感じだ。ありがとう」
「そりゃ良かった。んじゃ、お土産期待してるぜ」
「うん」
そうして、旅の準備は整った。
ケンドール魔術学院はモウル山の中腹にある。
元は砦として築かれたその建物が魔術学院として生まれ変わったのはおよそ三〇〇年前。ある一人の宮廷魔術師が、それまでの曖昧な徒弟制度を改め、乱立する魔術諸流派を統一し、技術の発展と魔術師の地位向上を図ることを目的として設立したのだという。
山の麓には町がある。町の名もまたケンドール。学院の運営を支えるために作られたとも言える町だ。
他所の土地から来た人間は有名な魔術学院が険しい山の中腹にあるのを見てなるほどそれらしいなと納得し、そこと町との交通手段が徒歩であることを知って意外だという顔をする。竜に乗ってひとっ飛びであるとか、空間を飛び越える秘密の通路だとか、そういったものを期待しているわけだが、神ならぬ人の身でそんなことはそうそう出来はしない。
緊急時用にそういった特殊な手段が用意されているという噂もあるが、あくまで噂でしかない。見習い魔術師たちも、導師も、長老たちも、普段は皆等しく徒歩で行き来している。
もちろん、アイザックも一人、朝も早い時間帯から徒歩で学院を出たのだった。
山道を下り、町に着いたのは昼をいくらか過ぎた頃だった。
アイザックはそのまま商人が集まる酒場へ向かった。さすがに明るい内から酒を飲んでいる者はそうそういないが、あちこちを往き来する商人たちが情報を交換している。
ラルトンの町かその方面へ向かう者がいたら荷馬車にでも便乗させて欲しい、とアイザックが声を掛けると何人かが名乗り出た。が、自分は確かにケンドール魔術学院で魔術を学ぶ者だがまだ準魔術師の身分であり、魔術師として仕事をする資格も能力も無い、と念を押すと引っ込んでいった。
もとよりそれほど期待していたわけでもない。金が掛かるが駅馬車を使うか、或いはいっそのこと徒歩で――そんなことを考えていると、
「ラルトンの町なら丁度向かうところだ。乗っていくかい」
声を掛けて来る者があった。
二十歳代中頃の浅黒い肌をした男だった。頭に布を巻いた行商人然とした格好で、腰に吊った短剣の鞘にはフィリウス市商業ギルドの紋章がある。
「お礼は大してお支払い出来ませんし、魔術師としての能力を期待されてもそれには添えられませんが、良いですか?」
「ああ、構わねえよ。ついでだしな。ラルトンの町へは何しに?」
「里帰りです」
「出身者か。じゃあ丁度良いや、町について教えてくれよ。行くのは初めてなんでな。乗車賃はそれでちゃらってことで」
そうして話がまとまったところで男は名乗った。
「カーティスだ。よろしくな」
「アイザックです。よろしくお願いします」
アイザックもまた名乗り、差し出された手を握り返した。
その日は町で一泊し、翌朝出発した。
カーティスの荷馬車は二頭立ての幌付きで、やや古びてはいたが手入れが行き届いているようだった。
積み荷は木箱や樽がいくつか。アイザックはそれらの間に場所を作り、毛布を敷いて自分の定位置とした。御者台で手綱を握るカーティスと言葉を交わしながら街道を行く。
話題は互いの生い立ちから、魔術師や商人の生活、カーティスが見て回ったあちこちの土地に、それからもちろんアイザックの故郷でありこの旅の目的地であるラルトンの町について。
町の成り立ちに、政治、経済。名物、名所、有名人。そして、
「地下迷宮?」
カーティスが片眉を上げながらそう言ったのはケンドールの町を出て七日目の昼過ぎ。旅も終わりに差し掛かり、この調子なら明るいうちにラルトンの町に着けるだろうか、といった辺りだった。
気持ち良く晴れた初夏の空の下、地平線の彼方まで草原が広がっている。そこを突っ切るように敷かれた石畳の街道を、荷馬車はのんびりと進んでいた。
「そういう噂があるんですよ」苦笑しながらアイザックは言った。そろそろ話の種も尽きかけたため、半ば無理やり引っ張り出してきた感のある話題だった。「かつてこの土地に住んでいたドワーフが作った迷宮が町の地下に広がってて、財宝が隠されているっていう、まあよくあると言えばよくある噂です」
「ドワーフ、ね」
ドワーフとは〈西の大陸〉に住む代表的な亜人種族だ。アイザックらが暮らす〈東の大陸〉は人間の世界で、ドワーフやエルフといった種族はあまりいない。大きな都市まで行けば商売などの理由で訪れている者の姿を見ることもあるが、定住者は皆無と言って良い。天地開闢以来そうなのか、それとも過去のある時期には〈東の大陸〉にも彼らが住んでいたことがあったのか、は歴史家の間でもまだ意見の一致を見ていない。
文化的に人間の能力を超えているように思えるものが見つかったり噂にのぼったりすると、しばしば彼らの手によるものだと言われる。〝ドワーフが築いた地下迷宮〟は、〝エルフが伝えた魔術の奥義〟と並んで定番中の定番だった。
「つってもそういうのの舞台ってだいたいは奥深い山とか谷とかだろ。町の地下ってのは珍しいんじゃないか」
「ええ、ですからこれは他の噂とは違いそうだぞってコレットが――友達が一時期はまっていろいろ調べていました。ぼくの実家の書庫に篭ったりとか。成果は上がっていないようでしたが」
言いながら、幼なじみの少女の顔を思い出す。少女でありながら子供たちの中心的存在で、いつも先頭になって町を駆け巡っていた。殊にアイザックはしばしばあちこちに連れ出された。町の中だけでなく、外にも。彼女の〝冒険〟に付き合わされ、帰ってからは大人たちの叱責に弁明するのが、いつも彼の役目だった。
今はどうしているのだろうか。学院に来てからも何度か手紙の遣り取りはしたし、今回の帰郷ももちろん伝えてある。それに対して彼女がすぐ返信を出していたとしても行き違いになっていたろうが。
そうして物思いに耽っていると、ふと、周囲の風景にどことなく馴染みがあることにアイザックは気付いた。まばらな雑木林や、遠くの山の形に、見覚えがある。
町が近い。この旅は何事もなく終わりそうだ。そう思った。
だがそうはいかなかった。
Mon, 8th Sep, 2014:冒頭の方の一部分を分割・序章として書き直し、残った部分も全体的に加筆修正しました。話の筋そのものはそんなに変わっていません。ケンドール魔術学院の設立を一五〇年前から三〇〇年前に変更しました。