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預時間銀行

作者: 俺野兎

電車が駅に付いたから降りた。

俺は非常に疲れている。

残業続きで、いつも終電で帰っている。

今日は、幸いに終電の2本前ので帰ることができた。

でもヤバい、ふらふらしてきた。

早くアパートに帰って寝ないと。


「あの。」

後ろから女性の声がした。

聞こえないふりをしよう。

今の俺には、人に構っている余裕なんてない。

「あの、岡島さん。」

名前を呼ばれた。

知り合いか?

仕方がない。

振り向く。


そこにはビジネススーツに身を包んだきれいな、だが見るからにできそうな女性が立っていた。

少しタイト気味のスカートから伸びた脚がきれいだ。

こんな体調のときでも、そんなところに目が行って、そんなことを思う俺。

そう、俺はそんな男。

だが、この人は、俺の知り合いの範疇にはいない。


「突然、声をお掛けしまして、大変申し訳ございません。」

女性が頭を下げる。

何か怪しい、というよりかなり怪しい。

俺の本能が、危険を察知する。

まあ、普通の人でも警戒するだろうけど。


「私、こういうものです。」

名刺を差し出す。

受け取りたくないが、受け取った。

『預時間総合銀行 営業課 石橋瑞穂』


何のことやらわからない。

これは、俺の頭が回っていないせいではないと思いたい。

叩いて渡りたくなってくる。


こういうのはスルーするに限る。

関わったら、ろくなことにならない。

最悪、取り返しのつかないひどい目に合いそうだ。


「すみません、僕、急いでいますので。」

名刺を返そうとするが、受け取ってくれない。

「お話だけでも聞いてもいただけませんか。」

ヤツらの常套手段だ。

そして、聞いたら最後だ。

「いえ、結構です。すみません。」

彼女に背中を向けて、足早に立ち去ろうとする。

「時間を有効に使いませんか?」

意味がわからずに、立ち止まってしまった。

どうとでも取れるが故に、考えてしまった。

彼女が近づいてくる。


「時間を有効に使いたいと思ったことはありませんか?」

振り向くと、さっきまでとはまったく違う、子どものような無防備な笑顔。

仕方がないな、話だけでも聞いてやるか。

そう、俺はそんな男。


近くのファミレスに誘われた。

「普通に生活されていて、電車が来るまでとか病院で名前が呼ばれるまでとか、ただ何かを待っているだけのような無駄に感じる時間はありませんか?」

何の前振りもなく、唐突に彼女が話し始める。

それはある。

スマホを見て時間を潰すが、本当に無駄な時間だ。

「はい、あります。」

「反対に、もう一時間寝ていたいといったように、時間が欲しいと思われたことはありませんか?」

痛いとこを突かれた。

ひょっとして、この人、俺の私生活を知っているのか?

毎朝、そうだ。

激しい眠気に痺れながら起きる。

「あります。よくあります。」

つい、感情が入ってしまった。

「ありがとうございます。もしもその無駄な時間を預けて、使いたいときに使えたら、どんなに便利だろうと思われませんか。」

言っていることはわかる。

そんなことできたらいいなとも正直思った。

だが、そんな荒唐無稽なことを言われても返事に困る。


「それ、実は可能なのです。」

またもや俺を殺すあの笑顔。

「岡島さんは、銀行をご利用なさっておられますよね。お金を預けて、必要な時に引き出して。」

「はあ。」

当り前のことを聞かれて、返事がぞんざいになってしまった、

「実は、当行は、お金と同じように、お客様からお時間をお預かりし、お時間を有効にお使いいただけるようにサポートさせていただいております。お金を預れば預金ですが、当行は時間をお預かりいたしますので預時間と呼ばせていただいております。」

改めて名刺を見る

『預時間総合銀行』

そういうことか。

って、信じてどうする、こんなありえないこと。


「簡単に信用していただけないことは承知しております。ですので、まずは、お試しいただければと思っております。」

彼女がバッグから、スマホを取り出して俺に見せた。

「この端末で操作いたします。」

端末?スマホじゃないのか?

彼女が横のボタンを押して、液晶を表示させる。

確かにスマホじゃない。

画面が真ん中で分かれていて、左半分の一番上に「お預入れ」、右半分の一番上に「お引き出し」のタブがある。

「このタブで、時間のお預入れとお引き出しを切り替えます。」

彼女が「お預入れ」のタブをタップして左半分をアクティブにする。

入力画面になっている。

上段が年月日、下断がAMとPMを選択して終了時間の入力。

そして、一番下に「OK」ボタン。

すごいことをする割には、あまりにシンプルな操作画面。

「操作は見ておわかりと思います。それでは、実際に操作していただけますか。今はお試しですので、お預入れは最長10分までとなっております。」

もう、ここまできたらやってやろうじゃないか。

一周回って、何か、すがすがしい決心が付いた。


彼女から端末を受け取って、入力する。

年のところに「20××」を、月のところに「11」を、日に「18」を入れる。

次に時間。

腕時計を見る。

11時15分。

一気に現実に引き戻された。

明日も早いのに。


ブルーな気持ちでPMをタップし、終了時間に「11」と「25」を入力する。

「さすがでございます。では最後にOKをタップしていただけますか。」

彼女が三たび、あの笑顔でヨイショしてくれた。

OKボタンを押す。

特に何も起こらない。

「今、何時何分ですか?」

彼女がすこしイタズラっぽく尋ねる。

そりゃ、と言いながら腕時計を見る。

デジタルの表示は11:25。

「はあ!」と、思わず叫んでしまった。

「預時間ありがとうございます。」

彼女が深々と頭を下げる。

かなりパニクッている俺にお構いなしに、彼女が話を進める。

「では次に、お引き出しの操作を説明させていただきます。では、お引き出しのタブをタップしていただけますか。」

今起こったことの消化ができていないのに、言われるままにタップした。

画面はさっきのとほぼ同じくらいシンプル。

上段に「預時間残高」、下段に「お引き出し時間」そして「OK」ボタン。

「私の説明が不要でしたら、そのまま操作していただいて結構です。」

うん、いらない。

「預時間残高」には10分と表示されている。

「お引き出し時間」の分のところに10と入力する。

OKボタンを押そうとすると

「お待ち下さい。」

彼女が慌てて止めた。

「大変申し訳ございません。大切な説明をしておりませんでした。この後OKボタンを押されましたら、お引き出し時間の分、時間が止まります。」

「時間が止まる?」

もはやよくあるSFだ。

これを信じろというのはさすがにムリ。

「俺、帰っていいですか。」

「待ってください。どうか、このままお話をお聞きください。」

彼女が余りに真剣なので、かわいそうになった。

「はあ。」

どうでもいい返事。

「ありがとうございます。時間のお引き出しとは、その止まった時間をご自由にお使いいただくことになります。ただし、現在の法規制では、その間に自分の体と所有物以外に触れてはならないとなっております。そこだけは、お気を付けください。」

法規制?

気になるが、それは本当に時間が止まるなんてことがあってからのことだ。

引き出す時間は10分と入力したけど、1分に変えた。

どうでもいいけど。


「じゃあ、OKボタンを押しますよ。」

「先程のこと、くれぐれもよろしくお願いします。」

彼女が懇願するように言う。

「わかっています。では。」

OKボタンを押した。


その瞬間、視界に入っていたものがモノクロームに変わり、全てが止まった。

彼女が心配そうな顔のまま止まっている。

周りを見渡す。

料理を運ぶウエイトレスの脚が、不安定に片足が宙に浮いて止まっている。

隣のテーブルの女性二人組も、一人は嬉しそうな顔で話し、もう一人は半分つまらなさそうに聞いているというところか。


席から立ってみたが、何も変わらない。

少し歩いてみたが、これもだいじょうぶ。

彼女の言っていた通り、自分の体と持ち物意外の物に触れなければ、何も起こらないのだろう。

と、そのとき、目の前がスパークして、気が付くと俺はイスに座っていた。

彼女が尋ねる。

「どうでしたか?お引き出しの時間をお過ごしになって。これもお伝えし忘れていましたが、お引き出しの時間が終わるときには、開始時の場所で開始時の体勢に戻ることになっております。」

何か言い忘れることが多い人だな。


「当行と正式にご契約いただけませんでしょうか。」

一通りやれることを経験してみて、これはおもしろそうだ。

「はい、お願いします。」

「ありがとうございます。」

4度目のかわいい笑顔。

バッグからタブレットを取り出し、説明を始めた。

次から次へと、規約だの注意事項だのと説明を受ては、その都度タブレットに署名をさせられた。

「これが最後です。」

と彼女が言った次のページ。

『本件につきましては、絶対に口外致しません』と一行、そして署名欄。

これ、破ったらどうなるんだろう?

「あの、これ、誰かにしゃべっちゃったらどうなるんですか。」

「それは・・・いえ、絶対に守って下さい!」

聞かない方がいいオーラ全開の彼女に、それ以上聞けなかった。


疲れているのに興奮してしまい、その夜はなかなか寝付けなかった。


無情にも目覚ましが鳴る。

吐き気がするほど眠い。

でも会社に行かねば。

スーツに着替えながら、テーブルの上の端末に目が留まった。

スマホは内ポケット入っている。

昨日のあれか?あれって、夢じゃなかったのか?

手に取って、スマホと同じ操作で液晶を表示させる。

あの画面が。

「えっ!」

思わず叫んでしまった。

預時間銀行の名刺の文字と、彼女のあの笑顔がフラッシュバックした。

夢じゃなかったんだ、本当にあったんだ。

でも、今はそんなことしている場合じゃない。

慌てて端末をスーツの反対の内ポケットに入れて、駅に向かった。


今日も疲れた。

もはや、身も心もボロボロだ。

だが、今日は今までと違って少し楽しい。

帰りの電車を待つ間、その時間を預時間してみた。

端末を取り出して、「預時間残高」を見る。

ちゃんと20分と表示されている。

お金はまったく貯まらないが、時間ってこんなに簡単に貯まるんだ。

嬉しくってつい顔がにやける。


今月は、預時間がどれだけできるかな、貯まった時間は何に使おうかな。

まずは寝ないとな、などと考えると夢も希望もないが、そうなりそうだ。

いいものを手に入れた。

あの夜に声を掛けてくれたあの子に感謝だ。

今日も、あのかわいい営業スマイルで、新しいお客をゲットしているのかな。

あれには俺も完全にやられたな。

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