若さ故の過ち
小三のとき、一度だけ芳賀沼に会いに行ったって言ったろ?
と言っても、芳賀沼の連絡先など知らないし、俺が勝手に公園で芳賀沼を待っているだけだった。正直ありえないと分かっていながら、それでも、もしかしたらって。
一日中公園で俺たちの再会を願っていた。
でも、時間だけが過ぎてしまった。
「……帰るか」
せっかくの夏休みを無駄にしてしまった。
ため息を吐きながらベンチから立ち上がり、重い足取りで公園から出ようとしたときだった。
「おっ、おい。お前!」
突然後ろから声が聞こえた。
一瞬「もしかして芳賀沼か!」と、期待して振り向いた先には、腰に手をあてて、やけに偉そうな態度で、そのくせ顔を真っ赤にした同い年くらいの髪の長い女の子が立っていた。
なんだ、別人か。俺は酷く落胆した。
しかもそいつは、俺を呼び止めたくせにその後喋り出す気配もなくただ黙っているだけだった。
お互い黙っていても仕方ないので、
「誰だお前。口の悪い女だな」
そう俺が不機嫌そうに言うと、今度は真っ青な顔になってうつむいてしまった。
田舎の女は言葉遣いが荒いんだなぁとか、そんなことを考えながら、俺は早々に立ち去ることにした。こいつに構ってる暇はない。うちは門限が厳しいんだ。
でも、公園の入り口まで来たとき、後ろからドタドタという足音と不穏な気配がした。
「ばかぁーーー」
――――な、なんてこった。
悲鳴にも似た声をあげながら、さっきの女の子が突っ込んできた。
その顔は、泣いてるんだか怒ってるんだかよく分からないくらいクシャクシャに歪んでいた。悪魔に取り付かれた少女が神父に襲い掛かる映画を思い出したくらいだ。
マジで怖かったんだよ。
だから……。
だから、さ。
あくまで無意識のうちに。
俺は、咄嗟に反撃してしまった。
「うわぁ!」
そんな情けない声を上げながら、俺はその悪魔的女の突進を寸での所で右に回避すると、やつの無防備なわき腹に手刀を叩き込んだ。
「かふっ」
よし! 入った。
で、相手の動きが止まったから、俺はさらに足刀蹴りでその背中を蹴り飛ばした。
自分でも惚れ惚れするくらい、完璧な技の連撃だった。唯一の汚点を挙げるとすれば、相手が素人だったことを失念してたことだな。
当然その子は受身を取れるはずもなく、顔から地面にダイビングする格好になった。その衝撃で、彼女が頭につけていた真っ白なヘアバンドが外れた。
「や、やべっ」
やっと事態の深刻さに気づいた俺は、慌てて女の子の元に駆け寄った。
「おまえ、大丈夫か?」
蹴り飛ばした俺が言うのもなんだが、一応な。
女の子はうつ伏せに倒れたまま動かない。
とりあえず、落ちていたヘアバンドを拾って与えてみた。なんの効果もない。
次に半ば無理やりに女の子をひっくり返してみた。その顔は、涙やら砂ぼこりやらで、それはもう酷い感じに汚れてた。
そして、その視線が俺の方を向くや否や、
「わぁ~~~」
盛大に泣き出した。そりゃそうか。
公園にいた子供やその母親らの視線がこっちを向く。
まるで、俺が全部悪いみたいな場の雰囲気だ。心外だ。最初に仕掛けてきたのはこの意味不明な女であって、俺じゃないぞ。
どうしたらいいか迷っていても、いい解決案は浮かばず、帰らなきゃいけない時間だったり、女の子は泣き止む気配がないし、もう何だか目の前の全てが面倒になってきた。
だから、その子の怪我が手の甲と額の軽い擦り傷だけであることを確認してから、ヘアバンドを無理やり握らせて、俺は……公園から一目散に逃げ出した。
それはもう、風のように走り去ったね。後ろは振り向かない主義なんだ。
そんな甲斐あって、無事電車に乗ることができ、俺は事なきを得た。それと、素人の女の子に本気の蹴りを放ったなんて知られたら親父に殺されるので、今回の事件は忘れることにした。
うむ、これで万事おーけー。
――そうして少年は、またひとつ大人になりましたとさ。めでたし、めでたし。
まぁ今振り返ってみれば、多少酷いことをした気がしないこともない。だけど、あのときの俺にはそれが精一杯だったんだよ。
あれだ、あれ。
若さ故の過ちってヤツだな。……きっと。