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いろどりの追憶〜星森の大陸の生きとし生けるものの安寧を強く願った人々〜  作者: 裕邑月紫
はじまりの刻

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はじまりの刻(一)

 水鏡殿に面した庭の一部を改装して、ドッグランと犬のための小屋が造られた。


 あの小聿が珍しく子どもらしいお願いをしたので、源家の者たちはそれはそれは張り切って用意をした。

 小聿は編入試験のための特別課題を水鏡殿の勉強部屋で取り組みながらも、少し気もそぞろのようだった。小聿のそんな愛らしい様子を源家の者たちは目を細めて見守っていた。


 小聿の元にやってきた子犬は、(あかね)と名付けられた。ふわふわの白い毛並みの愛らしい犬で、源家に迎えられてからは小聿や小慎の側を付いて歩く姿が毎日のように見られた。

 八月半ばに行われた編入試験も小聿は問題なく合格し、九月より秀英院大学唯一の総合学部の二年生として通うことが決まった。


 

 明日の入学式を控え、水鏡殿では小聿の着物の支度がされていた。

 衣桁に掛けられた着物を見上げ、小聿は小さくため息をつく。

 膝の上で眠ってしまった茜を優しく撫でながら、彼は蕗隼と汝秀を見る。


「やはり、明日は着物でなくてはだめだろうか」


 小さな主の問いに、二人は顔を見合わせる。


「着物はお嫌いですか」

「嫌いではないよ。着慣れているのは着物だしね。着物自体は嫌ではなくて問題は髪型なのだよ。着物を着ると言うことは、髪を丫角(あかく)に結い上げるのだろう?なんだか目立ちそうで」


 あまり目立ちたくないのだよ……と小聿はため息混じりに言う。


 聖国では、貴族や皇族男児、宮仕えをする官吏たちは、冠を戴くために髪が長い。子どもそれは同じで、小聿も例に違わず髪は長い。幼いうちは二つに分け、頭上で二つにまとめる丫角を結う。小聿や小慎は屋敷でも基本は着物姿なので朝起きると側仕えが丫角に結っていた。以前、篤家の別荘に行ったときや秀英院の試験には、着物ではなくズボンにシャツとベストだったので、髪は後ろに一つに結くだけだった。


「明日は式典ですからね。一条源家の者としては着物がよろしいかと……。今後通学時は、お望みの服装をご用意いたしますよ」


 うー……と小聿は変な声を出す。どうやら本当に嫌なようだ。蕗隼と汝秀はため息をついた。


「若。諦めましょう。どのみち、史上初の総合学部に編入で入る時点で目立ちます」

「しかし……」

「総代宣誓だってなさるのですから、もう逃げ道はありません。たとえお着物でなくとも、目立ちます」


 側近二人に言われて、小聿はしゅんとする。膝の上の子犬に視線を落とす。


「茜……私は明日お前の元に戻れないかもしれない。衆目に晒されるのだ。私の心がもたない」

 

 あーあ……総合学部に入れたのは嬉しいけれど、総代宣誓は誤算だった。そこまで気が回らなかったよと彼は言う。

 そんな主を見て、蕗隼と汝秀は声をあげて笑った。


 

 翌日は、空の高い秋晴れの日だった。

 

「小聿どの、宣誓の準備は万端ですか?」


 一緒に車に乗っていた祖母の葵子に聞かれて、小聿はカバンの中にしまってある宣誓文に思いを馳せた。


 「……準備は、できてはいます」


 そう答える小聿は憂鬱そうだ。湘子はそんな息子の顔を覗き込んだ。


「憂鬱そうじゃな?」

「そうですね。できれば、帰りたいです」


 彼の祖父母と母は顔を見合わせた。


「なんじゃ、小聿。どうしたのじゃ?」


 祖父の問いに、彼は暗澹たる思いで祖父母と母を見た。


「人前に出るのが……嫌なのです。本当は断りたかったのですが……だめでした」


 編入試験の面接の際にお願いしたのですけど……と彼はため息をついた。


「そなたは、まこと人前が苦手よのぅ」


 ころころと湘子は笑う。


「案ずるな、そなたはきちんと役割を果たせる。これまでも、百官の前で舞や樂を披露して参ったではないか」


 彩芝が言うと葵子も微笑んで頷いた。


「皆で見守っていますよ」


 小聿はため息をつきながらも、はい……と小さく頷いた。


 

 小聿は、祖父母と母と共に秀英院の門をくぐった。

 小さな小聿が秀英院大の敷地内を歩む様は異様で、人々の注目を浴びた。

 彼が史上初の幻の総合学部への入学者であり、最年少での入学者であることはすでに秀英院の者たちの間で噂になっていたらしく、あれが源家の……一条の……、第二皇子だった方か……と言う声が耳に入ってくる。

 小聿はますます小さくなって、祖父母や母の影に隠れるようにして歩く。


「これ、小聿。観念してきちんと歩きなさい」


 それを彩芝に見咎められて、小聿は渋い顔をする。


「情けないのぅ」


 呆れたような顔で祖父が言う。


「人間得て不得手がございますれば」

「さような様子で、将来どうするのだ?宮でまともに仕事ができぬぞ」

「わたくしは、宮に上がってもそれほどの大役を務めることはできないかと。さような自信はありません。いっそのこと地方太守にでも……」

「なんじゃと?」


 思わず彩芝は立ち止まり、人から隠れるようにして自分の後ろを歩く孫息子を見る。

 

「そんな話聞いておらぬぞ?」

「お話しておりませんので」

「たわけ。一条源家から地方太守など出せるか」

「……一条源家は叔父上さまと小慎どのがおります。わたくしは小さな地方都市で……」

「ならぬ」

「………しかし……」

「秀英院の総合学部にて学ぶ者が末は地方の太守とは、なんの冗談じゃ。めでたき日にくだらぬことを申すでない」

「………………はい」


 いつの間にか、一行は式場入り口に辿り着いていた。


「まぁまぁ、小聿どのの将来についてはこれからゆっくり考えればいいのですよ。では、私たちは関係者席に行きますね。小聿どのは向こうの入学者席でしょう?」


 彩芝と小聿の間に割って入り、葵子は言う。

 小聿は頷き、観念したように行って参ります、と言ってとぼとぼと席の方へ歩いていく。その小さな背中を三人は見つめる。


「まったく……あれは己の才を正しく理解できておらぬ。困ったものだ」


 ため息混じりにそう言って、彩芝は妻と娘と共に己の席へと向かっていった。


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