源小聿として生きる(一)
結局、小聿はその後一週間ほど熱が上がったり下がったりを繰り返した。
彼がやっと本殿に顔を出し、家族と食事を再び取れるようになる頃には、すっかり新緑の季節となっていた。
心配性の家人たちや家族、源家の医師に何かしようとするたびに、まだ早い、またぶり返す、ととめられて熱が下がって良くなってきてからも身体を動かしたりできるようになるまでにさらに数日大人しくする羽目になった。
源家の西にある道場にようやく足を踏み入れて、木刀を手にしてみれば、まともに素振りさえできずに愕然とする。
弓を握ればまともに引けず、ため息が漏れた。
ああ、これは戻すのに数ヶ月かかるなとげんなりして見せたら、汝秀と蕗隼に笑われた。
「ゆっくり戻せば良いのです。間違っても無理をして戻そうとなさらないでください。また熱を出します」
嫌な指摘に思わず眉を顰めたのはいうまでもない。
魔術の方は、熱が下がっている時間はあまりに暇だったので瞑想を続けていたせいか、剣や弓よりも戻すのに時間はかからなそうだった。
行きたいと思っていた源家の書庫にもようやくいくことができた。
源家の書庫は想像以上に立派で、東の院の書庫よりも広く蔵書数も多かった。根っからの本の虫である小聿にとってはとても嬉しい環境だった。
「明日から泊まりがけで、お出掛けをしましょう」
皐月に入って、聖都は過ごしやすい季節を迎えた。
その日も書庫で本を読んでいた小聿は、蕗隼にこんな提案をされた。
「泊まりがけでお出掛け?」
「ええ。せっかく気持ちの良い季節なのです。外に出て、ゆっくりなさるのもよろしいかと思いまして。まだ一条から一度しか出ていないでしょう?外には魅力的な場所がまだまだたくさんあるのです」
「泊まりがけということは、少し遠い場所なのだろうか」
蕗隼は頷いた。
「はい。車で2時間半ほどの場所へ行きます。聖都を出ますよ」
「聖都を出る?」
小聿は小首を傾げておうむ返しをする。ついこの間まで、聖都の皇宮の限られた場所にしかいられなかった自分が聖都の外へ行けるなど想像できなかった。外の世界はどうなっているのだろう?と少し気になった。
蕗隼は笑みを深めて言った。
「そうです。きっと、気に入りますよ」
翌朝、朝食を済まし水鏡殿に戻ると出かける支度をしましょう、と小聿は言われた。
差し出された衣服が今まで袖を通したことがないもので、戸惑う。
彼が戸惑っているのに気づいた側仕えたちが笑っている。
「鏡合わせの大陸から入ってきた服ですよ。最近ではこちらの方が動きやすいからと、聖国でもこうした服装をする者も出てきているのです」
本当にまだごく少数ですけれどもねと蕗隼は言う。
「本で見たことはある、が……」
今まで着てきたのは着物ばかりだったので、どうしたものかと戸惑う。言われるままに着せられて、いつも丫角に結っている髪は一つに結かれる。
「まぁ!若さま可愛らしい!」
「ほんと、ほんと!着物の若さまも素敵だけど、そのお姿の若さまもとってもかわいい!」
入ってきた紗凪と琳が姿を見るなり声を上げる。
「可愛い……?」
思わず眉を顰めると、ええ、可愛いですよ、若と汝秀にも言われる。聖印を首から下げ、最後に頭に帽子を被せられる。
「ふふふ、よくお似合いです。大変に可愛らしいです」
「私は一応男なのだが?」
鏡に映る自分は見たことがない自分で、なんとも言えない気分になる。
「不思議な気分だ」
小聿が正直に感想を述べると、側仕えたちは再び笑った。
同様に蕗隼と汝秀も着替え、声をかけられる。
「今日行く場所にはそちらのお姿の方が都合が良いのですよ。さぁ、参りましょう」
言われるままに、本殿へと歩き出す。
歩いているとすれ違う家人たちが口々に、可愛い可愛いといわれる。もういちいち反応する気もなくなってしまった小聿は困ったように笑うしかなかった。
車に乗るのは二度目である。
蕗隼の運転で、汝秀と三人で出かける。貴族街を抜け、その隣に広がっている経済学術開発街に入る。
経済学術発展街は、貴族と平民が共生する異質な空間でいかにも高級そうな建物から、普通の公園まであるといったところだ。技術的な力、経済力、人材ともに急速に発展し、そこには大企業が軒を連ねるオフィス街且つ、敏腕実業家たちが家を構えたり、ビルをもっていたりする場所である。
また、貴族や秀才が通う国家のトップレベルの教育機関もここに存在する。
小聿を乗せた車は、経済学術発展街の東三条にと差し掛かる。
「ここが秀英院です」
「秀英院?ああ、嶷陽殿と並ぶ大きな図書館がある学府か……」
汝秀の言葉に小聿が反応すると、若は学府よりも図書館なのですねと笑われる。
「この秀英院は聖国の最高学府です。殿も芳崇さまもこちらを卒業なさってから、官吏となられました。こちらは幼稚舎から大学院まであります。進学にあたっては厳しい試験があり、進級時も大変な試験が課されるそうです。ただ、ここで学べることは聖国随一。教鞭をとるのも聖国が誇る教授陣です。小慎さまはこちらの幼稚舎に春から通っておいでです」
そういえば、従弟の小慎は平日の日中屋敷で見かけなかったが、理由はこちらにきていたからなのかと小聿は納得した。
「通っている学生も聖国きっての英才たちですからね。卒業後は、殿や若殿のように国政に関わる者、そのまま学者として秀英院で研究を続ける者、起業する者とさまざまです。ただ、共通しているのはどのような進路に進むにしても聖国の中心に立つ人であるということでしょうね。ここでそうした人々と机を並べて学ぶことは、とても刺激的だと思いますよ」
「さようか……」
小聿はぼんやりと窓の外に見える最高学府の学舎を眺める。
外からしか見えないが、古めかしい建物が広大な敷地に並んでいるのがわかる。
正門は大層立派で、その門を聖国の英才たちがくぐっていくのが見えた。
「ご興味がおありですか?」
問われて、彼は視線を助手席に座る汝秀に向ける。
「……図書館には、興味が、ある……」
正直に答えると、汝秀と蕗隼は吹き出した。
「図書館に、ですか?ここで何か学びたいとお思いにはならないのですか?」
「学ぶ……?」
「そうです。東の院にいたときのように、論文やさまざまな書物を読み、その道の専門家の話を聞き、考えるのです。それだけではありません。東の院ではお一人でしたが、こちらの秀英院ではご学友と共に学ぶのです。さまざまな意見を聞き、小聿さまのお考えに対するさまざまな意見も聞けるのです」
言われて、自分が多くの人と話をしているところを想像し、小聿は眉を顰める。
「私は……あまり多くの人と関わるのは得意では……ないから……」
どちらかというと、静かに一人で本を読んで考えている方が気が楽だと小聿は思った。彼の性分を熟知している二人は頷く。
「無理に行かなければならない場所ではないですからね。ただ若が望まれれば、行くことができます。殿にお話なされば、動いてくださります」
小聿は再び視線を窓の外に戻す。自分は今五歳。通うとしたら従兄弟の小慎が行っているという幼稚舎からだろう。
「参考までに、幼稚舎ではどのようなことを学べるのだろうか」
「え?」
小聿が尋ねると、間の抜けた声がかえってくる。何かおかしなことを聞いただろうかと小聿は首を傾げる。それを口にすると、二人は苦笑いをした。
「おそらく、若は幼稚舎には行かないと思います」
「なにゆえ?」
あなたさまという方は、わかっておられませんね……とあきれたような返事が返ってきた。
「若が東の院で学ばれていたことは、大学での学ばれるようなお話です。今更幼稚舎から高等学校へは行かなくて良いはずですよ」
「さようなことができるのだろうか」
「できますよ。聖国は優れた人は年齢関係なく、実力で上がっていける制度をとっていますからね。ですから、行くとしたら大学からでしょう。東の院で学ばれていたようなことを、学べるかと思います」
「そうなのか……」
東三条を抜け、最高学府の姿が遠ざかっていく。やがて車は聖都を抜け、一路南西に向かって走って行く。
聖都を抜けると景色は様変わりする。皇都聖都は経済発展著しいが、外を出るとまだまだだ。のどかな田園風景が広がり、その景色に小聿は釘付けになった。
「若は、こうした景色がお好きですか」
「そうだね。なんだかホッとするよ」
その答えに二人は微笑む。
「でしたら、今日の目的地もお気に召すと思いますよ」
そうして、車は2時間以上走り、とある湖畔に辿り着いたのだった。
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よろしければ、お時間がある時にご覧ください。
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本ep(源小聿として生きる)の少し前のお話が1話公開中です⭐︎




