彩の盾と剣の誓い(三)
初めてのる車に、小聿は驚いた。魔科学の講義でその存在は聞かされていたが、実際に見て乗るのは初めてだった。
動力を五大精霊の力の融合に依拠し、機構の中で動力を発生させることができる。ただし、その動力のメンテナンスは非常に手がかかるため、聖国内でも一部の大都市であるし、使っているのも富裕層のみだ。現在も基本的な移動は馬であるし、小聿自身は皇宮から出たことがなく移動距離も短かったため、いつも馬車を使っていたのだった。
源家の星森の宮は、聖都内にある最も大きな宮だ。
皇宮に隣接する貴族街を抜けた先、経済学術開発街区の東部にある。
一条からは、車で20分程度の位置である。
ここは、源彩恩が建立した星森の宮で、彼が建国の剣と呼ばれていたことにちなんで『星森の剣宮』『剣宮』といった呼び名で親しまれていた。星森教の最上神である星森の申し子と五大精霊を祀った美しい本社、そこから、長い階段を上がっていくと源彩恩を祀った奥社がある。
剣宮は、源家が祭祀に使う前後の数日間、月に数度の源家の者が礼拝に訪れる日以外は一般開放されており、多くの人が祈りを捧げるために訪れる場所であった。
皇宮内の聖星森堂は、皇宮に入ることができるごく一部の者しか利用できないが、この剣宮はそうではない。それは、建立した彩恩自身が民も星森の申し子と五大精霊の加護を受けられることを強く望み、そのために祈りを捧げる場所としてこの剣宮を開いたからに他ならない。だからこそ、今も聖国の民たちにとってこの剣宮は大切な場所であり、源彩恩は死後1300年以上経っても民たちの敬愛を集め続けているのだった。
本社の前にたどり着いた小聿は圧倒された。
美しい礼拝堂は聖星森堂よりも大きい。そのことを口にすると、葵子は微笑んだ。
「聖星森堂は皇宮に入れる一部の者たちにのみ開かれた場所ですが、ここはそうではありませんからね。その分、来る人も多いのです。だから、彩恩さまが多くの人が訪れられるように立派な宮をお造りになられたのですよ。今日は源家のわたくしたちが参る日ですから、他の者はおりません。ですからとても静かでしょう?」
小聿が頷くと、葵子は小さな孫息子と手を繋いで歩き出す。
「でも、普段はとっても賑やかなのです。いつか、民たちが来ている日にも訪れてみると良いかもしれません。また違って見えますよ」
「はい」
社殿に入ると、剣宮の司教や巫女が二人を待っていた。
彼らに案内されて奥へと進み、礼拝堂へと入る。小聿は思わずため息をこぼした。剣宮の礼拝堂もまた、聖星森堂と同じように静謐な空気が漂っており、心を落ち着けるのに良さそうな場所だった。
皇宮を出てからも、毎日水鏡殿にて祈りを捧げていたが、こうして礼拝堂で祈りを捧げるのは久しぶりだった。
胸に下げた聖印を手に、葵子と共に祈りを捧げる。
司教が紡ぐ祈りの言葉に耳を傾ける。
こうして礼拝堂で祈りを捧げていると、皇宮での日々が思い出されて小聿は知らず知らずのうちに、唇をかみしめていた。
閉じた瞼の裏側に、大切だった人たちの姿が浮かんでは消える。
――――星森の申し子の元にいる彼らの目に、今の私はどのように映るのだろう。
ふと思う。
聖国の皇子という身分や責任から逃げ出した臆病者に見えるだろうか。
一人消えることもできない、情けない者に見えるだろうか。
多くの人を傷つける存在でありながらも生きながらえる強欲者に見えるだろうか。
「若」
急に耳元で呼ばれて、小聿はハッとする。
目を開けると、汝秀が静かにこちらを見ていた。
「彩恩さまの元へ参りますよ。かなり長い階段なのです」
頑張れますか、と問われる。頷くと、期待していますとなぜか笑われた。
笑われた理由を小聿は途中で悟った。
本社までの階段は大した段数ではなかったが、そこから彩恩が祀られている奥社までの階段は大変長かった。源家に降って、すっかり武術の鍛錬もしなくなってしまった小聿にとってこの長い階段を上がるのは大変であった。
思わず、途中で立ち止まり見上げればまだまだ階段は先まで続いていた。
「汝秀……参考までに聞くが……」
「はい」
「一体、奥社までは何段あるのだろうか」
「全部で1368段です」
「1368……」
はて、これまで何段上っただろう。数えておけばよかったと小聿は思った。
ふふふと葵子が笑った。
「大変でしょう?小慎どのはいつも側仕えにおぶわれてあがるのですよ。小聿どのも、汝秀に頼っていいのですよ。汝秀もそのつもりでいます」
葵子の隣で汝秀は頷いた。
小聿は首を振った。意地でも、自力で上り切ろうと思った。
「大丈夫でございます。己の足で上ります」
息を整え、小聿は再び上り始める。上りながら、体を鈍らせるのは良くないと彼は思った。
「汝秀」
「降参ですか?」
汝秀はなぜか楽しげだ。小聿は、少しだけむっとしたような顔をした。
「違う。私は自力で上る。そうではなくて、頼みがある」
「なんでしょう?」
「明日から、朝は以前のように武芸の稽古をしようと思う。付き合ってもらえるだろうか」
はぁ、はぁ、と上がった息が恨めしい。
汝秀は微笑んだ。
「無論でございます。では、明日より朝餉の前に西の道場に参りましょう」
「うん」
返事をして、再び階段に集中する。どれだけ長い階段でも、一段一段上がっていけばいつかは1368段上りきることができると自分に言い聞かせ上る。どうにか、奥社まで辿り着き、小聿ははじめて源彩恩を参った。葵子たちと共に、社殿に入り祈りを捧げる。
そうして、今度は1368段を一段一段下っていく。
下りは精神的にも心肺的にも上りより負担は少ないが、その分足への負担が大きい。もうすっかり棒のようになってしまった足を時々拳で叩きつつ小聿は最後まで降り切った。
「若君、頑張りましたな。驚きましたぞ」
共に奥社まで詣でた汝秀の父、汝杏が感嘆の声を上げる。小聿は苦笑いをした。
「最後は意地であったよ。さすがに疲れた……」
「ほほほ。本当に頑張りました。ご褒美に帰りは甘味処に寄って帰りましょう。そこのあんみつはとても美味しいのです」
上品に笑って葵子は誘う。
葵子と食べたあんみつは、甘すぎず上品な味わいのものだった。疲れた体に甘いものは沁みた。こうして葵子と話すのもほとんどはじめてで、小聿は何を話したら良いかと悩んだ。けれど、葵子は何も語らず語ることも求めなかった。ただ、同じ場所で同じあんみつをつつく。その静かな時間が小聿には心地よかった。




