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いろどりの追憶〜星森の大陸の生きとし生けるものの安寧を強く願った人々〜  作者: 裕邑月紫
はじまりの刻

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彩の盾と剣の誓い(二)


 源家に来てから、初めての外出である。


 髪もきちんと結い直し、用意してくれた新しい着物に袖を通す。空色の上衣に瑠璃色の袴と羽織を羽織る。羽織に源家の家紋が入っていた。


 「若は、今まで馬車と馬しか乗ったことがありませんでしょう?」


 支度をしながら、汝秀(じょしゅう)が言う。頷くと、今日乗るのは馬車ではありませんよ、と言われる。


「今日は、車に乗っていただきます。皇宮外の移動を貴族は馬車にする家もまだまだいますが、最近は魔動力で走る車を使う家も増えてきているんですよ。その方が移動速度もずっと速いのです」

「車……」


 そういえば、源家の主や若殿は宮へ参内するのに馬車ではなく車に乗っていた。書物で見たことがあったし、魔科学の講義で聞いたこともあったが、初めて見た時あれがそうなのかと思ったのだ。

 

「源家の方々は、車での移動がほとんどです。殿も若殿も宮へ上がられる際は車で行かれます。揺れも馬車より少なく快適です。雨天時でも走りやすいですし」

「そうなのだね。移動距離も長いのならば、その方が便利そうだ」

「ええ。若もこの先様々な場所へ行かれるようになったら、若専用に車を用意してくれると思いますよ」

「様々な場所……」

 

 そうですよと汝秀は目を細める。


「外の世界は、皇宮とは違う世界が広がっています。本でしかご覧になったことがなかった世界を、これから実際にご覧になる機会が多々ありましょう」

「それは楽しみだ」


 そう言って、小聿は微笑む。

 無事着替えが終わって、いつもの聖印を首から下げる。

 時間になったので、本殿へと向かうことにした。


 庭を眺めながら回廊を歩み本殿へと向かう。途中、すれ違う家人たちが笑顔で挨拶をしてくれる。それに、微笑んで出かけてくるよと声をかけながら進む。

 

 それでも、人の影が見えなくなると、その綺麗な紫の瞳がふっと頼りなげに揺れるのを汝秀は見てとる。無意識なのだろう。小聿の小さな手は、かの老人の形見の聖印に伸びていた。

 その仕草に、汝秀の心はざわめく。


 かの老人がこの世を去った日。

 汝秀は、この幼き主に老人からの手紙と小さな桐箱を渡した。

 それは、この世を去る覚悟を決めた老人が、汝秀に預けた主への最後の言葉と贈り物だった。

 

 主にそれらを渡すことを汝秀は最後まで悩んだ。

 

 かの老人の最後の言葉が、もし、この人を傷つけてしまったら……と。

 いっそ、なかったものにしてしまおうか……と。


 老人と主の間には、血の繋がりさえも越える強い絆があった。

 毎日側にいる自分や親友の蕗隼、今上や湘子さえも勝てぬ強い強い絆。


 それなのに、二人に訪れた結末は、あまりに悲しいもので、小さな主は心を閉ざしてしまった。

 

 今も、そして、この先も、汝秀はかの老人を赦すことはできないだろう。

 

 けれど、主にとってのかの老人存在は、自分では計り知れないほど大きなものだったに違いなかった。

 今もなお、主の中には確かにかの老人が生き続けている。そしてきっと、これからも生き続けるだろう。

 それは何人たりとも消すことはできないのだ。

 

 わずか四年足らずの歳月であったけれど、孤独な主の心に寄り添い、惜しみない愛を確かにかの老人は主に注いでいたと思うのだ。

 実の両親にさえ、打ち明けられなかった孤独や不安を、きっと主はかの老人にだけは語っていたのではないかと感じている。


 だからこそ。

 汝秀は主にかの老人の最後の言葉と贈り物を渡した。


 主は言った。

 ありがとう、と。

 かの老人の気持ちに寄り添ってくれて、と。


 あの手紙に何が書いてあったのか、汝秀は知らない。

 しかし、翌日、主の胸元にはかつてかの老人が肌身離さず持っていた星森の聖印が揺れていたのを見て、老人の思いは主に届いたのだろうと思った。


 以来。

 主はその聖印を肌身離さず身につけている。そうして、時々、ふと紫の瞳を頼りなげに揺らし、聖印に触れている姿が見られるようになった。



 源家に来てから、お人形のようになってしまった主が、急に今朝からかつての主のようになった。

 祖父から借りた本を一気に読み、それについて滔々と語り、今は祖母の誘いを受けて屋敷の外へ出ようとしている。


 けれど、ふと、あの仕草を見せるのだ。

 それは、主がどこかで無理をしているからなのではないかと思えてならなかった。


「小聿さま」


 思わず、先行く小さな主を呼び止める。


「なんだろうか」


 振り返って小首を傾げ彼は尋ねてくる。

 声をかけつつも、一体なんと言えば良いのか分からず汝秀は言葉に詰まる。

 大丈夫か、無理していないかと尋ねたとてこの聡い主は微笑んで大事ない、なんともないと言うのは分かりきっている。それに、案じていると、想うていると、伝えれば伝えるほどにこの幼き主は己を否定してしまうのではないかと思えてしまう。

 

「汝秀?」


 不思議そうに名前を呼ぶ主に、汝秀は微笑む。


「実は、今車の免許を取る準備をしているのですよ」

「車の免許……?」

「車を運転するには、免許が必要ですので。免許は16歳から取得可能なのですが、今まで取る機会がなかったのです」


 ゆっくりと歩み寄り、主の隣に並んだ汝秀はその綺麗な紫の瞳を覗き込む。


「私が無事免許を取ったら、若が行きたい場所にお連れしますね」


 そういうと、主はうん、楽しみにしているよと頷いた。


「今日は、私の父が運転します」


 行きましょうと促し、再び二人は本殿に向かって歩き始める。


 この小さな主と出会って、まだ四年。

 たった四年間ではあるけれど、あまりにも重く苦難に満ちた日々を過ごす彼を見守ってきた。

 その日々をただただ静かに受け止め立っているこの主を守り、支えるのには己はあまりに無力でそれを思い知る度に情けなくなる。

 それでも、何もしないでいるつもりはない。

 小さな主は、汝秀にそれだけの想いを持たせる強さや優しさや清さを持っているから。



 ――――俺がこの方にできることは、些細なことでしかないけれど、お側にいて少しでもそのお心が安らかであるように、在り続けよう。


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