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いろどりの追憶〜星森の大陸の生きとし生けるものの安寧を強く願った人々〜  作者: 裕邑月紫
はじまりの刻

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一条の人々(一)

 翌朝。

 いつものように、本殿で源家一家は朝餉を食べていた。

 皆やはり小聿が気になるのか、ちらり、ちらりと彼をうかがっている。小聿はいつもと変わらず、大変上品な所作で朝餉を食べている。

 すぐに食事を終えて飽きてしまった一条源家のもう一人の若君・源小慎(しょうしん)が立ち上がり中広間の中を走り出す。

 

「これ、小慎。走るんじゃありません。母と父が食事を終えるまで大人しゅうしなさい」


 靜子(せいし)が咎めると、小慎は頬を膨らませる。


「だって、僕、ご飯終わったもん!」

「小慎が終わっても、他の皆はまだ終わっていません。それなのに、走り回られるのは迷惑です」

「ぶーー!」


 そんな母子のやりとりに湘子しょうしは声をたてて笑う。

 

「靜子が母親らしゅうことを申しておると少し笑えるな。かつては、靜子が母上に同じことを言われていたと言うのに」

「姉上さま!それは仰らないで!」


 二人の言葉に、周りが穏やかに笑う。小聿はというと、皆に合わせるように口元を笑みの形に変えたが、目は相変わらずビー玉のようだった。


「ほらほら、小慎さま。こちらにおいでなさいませ」


 彼の側仕えがやってきて小慎を抱き上げると中広間の端に座す。膝の上に彼を乗せると手遊びを始めた。楽しげな小慎の声が広間に響く。


 食の細い小聿もやがて食事を終える。彼は皆が終わるまで、その場に座し黙ってお茶を飲んでいる。それも、彼がここ一条源家に降りてきてから変わらぬ光景であった。

 

「小聿どのも、あちらに行ってきて良いのですよ?」

 

 葵子(きし)が食事を終えたことに気づいて、声をかける。

 小慎と手遊びをしていた家人が笑顔で、小聿さまもおいでなさいませと言う。

 すると、小聿はしずかに首をふる。

 

「いえ、私はここで。お茶をいただいておりますので」

「そう……」

 

 小聿は再び静かに茶を飲みながら、窓の外の庭を眺めている。食事中も、家族は和やかに話すことが多いのに、小聿は一言も発さない。黙って聞いているだけだった。

 やがて、皆の食事が終わる。

 小聿は静かに立ち上がり、中広間を辞して水鏡殿へと戻ろうとする。その背に湘子が声をかけた。

 

「小聿」


 呼ばれた彼は母を振り返り小首を傾げる。

 

「なんでございましょう」

「久しぶりに、そなたの琵琶を聴かせてくれぬか。私が箏を弾こう」


 母の言葉に、小聿はわずかに迷いをみせたがややあって、小さな声でかしこまりましたと言った。

 中広間に箏と琵琶が運ばれてくる。


「小聿兄さまが琵琶を弾くのー?すごーい!」


 中広間の端にいた小慎が走ってきて、母の靜子の膝の上に座る。

 小聿は箏の隣に置かれた椅子にちょこんと座し、蕗隼から琵琶と撥を受け取ると、手慣れた様子で調弦をする。湘子も隣に座し、手早く調弦をしていく。調弦が終わり、湘子が曲を指定すると、小聿は、はいと返事をし、琵琶を構える。

 

 そうして、二人による華やかな演奏が始まった。

 それは大変に美しい曲で、ふたりは見事な技巧で奏でていく。ほぅ、と聴いている者たちからの口からため息が漏れる。すごい……と誰かがつぶやく声が聞こえた。

 

 琵琶を弾く小聿は、表情を変えることなく淡々と弾いている。それを見て、蕗隼は胸がざわめくのを感じた。

 もともと、表情が豊かな方ではなかったが、東の院ではここまで能面のような顔では弾いていなかったように思う。もっと、気持ちよさそうに弾いていたように思うのだ。

 

 やがて演奏が終わると皆が笑顔で拍手を送る。


 「小聿兄さま、すごーい!」

 

 靜子の膝から立ち上がって駆け寄りながら言う小慎に、ありがとう、それほどでもないよと言う。後に続いて皆口々に褒めるが、まだまだなのですと謙遜する。そして……相変わらず、瞳はビー玉のようだった。


 その後も、もう一曲奏で、似たようなやりとりをし、今日は疲れてしまったのでこの辺りでお暇してもよろしいでしょうかと小聿が言うともう誰も止めることはできない。

 

「小聿……」

 

 心配そうに名を呼ぶ母に、小聿は困ったような顔を見せる。


「お気遣いありがとうございます。私には、どうぞお気をかけずに。それでは、失礼致します」


 いつものように優雅な所作で揖礼ゆうれいをすると、彼はさやと裾を捌き静かに中広間を出ていく。それを彼の側仕えが追っていく。

 残された者は彼を見送る他なかった。


 「気遣っていると思われましたね……なんと鋭い」

 

 芳崇ほうすうが呻くと、みなため息を漏らしたのだった。


 

 琵琶の演奏を披露して、水鏡殿に戻った小聿はやはり居室の縁側にちんまり座って、庭を眺めている。

 膝の上にはやはり開くことのない本。

 彼は本に視線を落とすことなく、ただ、表紙に小さな手を置いていた・

 

 そんな彼を例の五人が不安げに見守る。


「演奏はそれはそれは見事であったが……」


 兪佳(ゆか)が呟く。


「ええ。終われば元通りね……」

「もっと、本当は気持ち良さげに、楽しげに演奏なさるんだ。音楽はお好きだから……先ほどは見事な演奏だったけれど、表情がまるでなかった」

 

 汝秀の言葉に四人はため息をつく。

 

「このままだったら、どうしよう……」

 

 思わず蕗隼は不安を口にする。


「ずっと、ずっと、無理されていたのはわかってた。あのまま、東の院にいてもきっと心を閉ざされてしまったと思う。でも……こうして源家に来ても、結局、お心を閉ざされてしまった。それなら、何が正解だったのだろう?どうすれば、小聿さまは救われたんだろう……」

「蕗隼……」

 

「何一つ、あの方は悪くないのに。ただただ、汚れなく生きておいでなのに。あの方を勝手に邪魔者扱いして、そのお命を脅かし、あの方が大切に思っていた者を亡き者にし、罪を負わせあの方ご自身に断罪させ……そうして、小聿さまの心を壊した輩は、今も安穏と生きている」

「許せないよな……こんな幼子にここまでの思いをさせるなんて。でも、今はそいつらを恨んでいる場合じゃない。俺らがここで黙って何もせずにいるのはダメだろ。小聿さまが少しでも本来のあの方に戻れるようにすることが、俺らがすべきことだ」


 ぽんと汝秀が蕗隼の肩を叩く。その言葉に頷く。


「そうだな。少し休憩なさったらお庭の散歩にでもお誘いしよう。源家の庭も見事なのだから。縁側から見えない景色を見ていただこう」


 

 少し歩いたほうが良いから、源家の庭も見事なのだと言って無理やり小聿を連れ出した。

 

 春が来て、源家の庭は春の花々で鮮やかだ。小聿は、五人に囲まれながらゆるりゆるりと庭を歩む。すっかり散ってしまった桜の木の下に着くと、彼は立ち止まって桜の木を見上げた。

 

「若さまは桜がお好きなのですか」


 紗凪(さなえ)の問いに、小聿は桜から彼女の方に顔を向けた。


「そう……だね。桜の儚さに心が惹かれるのかもしれない」


 小さな手をそっと桜の木に添える。


「一年もかけて咲くための仕度をして、春になると一斉に咲いて、咲いた先から散っていってしまう。その健気さと儚さが愛おしく想わせる」


 再び小聿は桜を見上げる。


「この桜のように、私も……美しく散りたいものだ。あと、どれほど仕度をすれば、散れるのだろうね」


 ぽつりと。

 零れ落ちたのはきっと本心だ。

 この幼子はたった五年間の生の中であまりにも辛いことを経験しすぎてしまった。そして、そもそも彼自身その心は繊細であまりに優しい。だからこそ、もう……


 ――――生きることに疲れてしまったなんて、そんなこと思って欲しくない。


 堪らず、蕗隼は小さな主の手を取る。膝をつき幼い主に目線を合わせる。

 

「若……私は若に散って欲しくない。散るための支度なんてして欲しくない。幸せに咲き続けるために、仕度をしてほしいです。それは、私だけの思いではありません。あなたさまを慕う皆がそう思っている。源家の皆は誰もがそう思っています。だから、どうか……」


 優しく手が握り返される。


「ああ……すまない、蕗隼。そなたに心配をかけてしまった、皆私のために心砕いてくれているのに、すまないね……」


 小聿は困ったように微笑んだ。

 

「先ほど、母上が私に琵琶を所望されたのも、こうしてそなたらが庭に連れ出してくれたのも、私のことを思うてのことだろう?ありがとう」


 小聿は蕗隼の後ろにいる四人にも目を向ける。


「汝秀も、兪佳も、紗凪も、琳も。ありがとう」

 

 ふわりと微笑み、彼は己の手から蕗隼の手をそっと外すとまた歩き出す。

 微笑んで見せた顔はどう見ても作られた笑顔で、やはりあの紫の瞳は何も映していないようだった。

 

「……あれでは、今度はこちらが心配しないように、無理をなさるのではないか?」

「やめてよ、兪佳兄。言霊ってあるのよ。言うと本当になっちゃう」

 

 思わず兪佳がつぶやく。琳があからさまにいやそうな顔で言うと、すまん、そうだよなと兪佳は小さく謝った。

 残りの三人はそのやりとりを聞きながら、心配そうに小さな背中を眺めることしかできなかった。


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