第一回 小聿さまの心を取り戻しちゃおうの会
さらに数日後。
一条源家本殿・中広間。
そこに、一条源家の者たちが当主の彩芝によって集められていた。
首座に当主の彩芝が座るとその場に集まった者たちに、一条源家家令の蕗迅の息子、つまり、蕗隼の父親である蕗粛が皆に何やら資料を配る。全員に資料が配られると、彩芝の隣に控えていた蕗迅が咳払いをする。
「それでは…『小聿さまの心を取り戻しちゃおう』の会を始めます」
祖父はいたく真面目だが、そのなんとも言えないタイトルはなんなんだと蕗隼はちらっと思った。このタイトルは誰が考えたのだろう?殿か?祖父か?父か?それとも、湘子さまか?どのみち、ちょっと笑える。取り戻しちゃおう、って……それを超真面目な顔で言う祖父……。
「あの……」
蕗隼の隣に座っていた汝秀がおずおずと手を上げる。
「なんじゃ、汝秀」
「この、なんとも言えないタイトルはどなたが……?」
――――あーあ、言っちゃったよ……いや、俺も思ったけども!
反対側に座る紗凪が吹き出した。
「儂じゃが?何ぞ問題があるのか?」
ギロリと源家家人衆総代に睨まれて、汝秀は小さくなって、いえ、素敵だと思いますと言った。
「タイトルはともかく、小聿の状態が心配での」
首座に座っていた彩芝が口を開く。あっさりタイトルのことを切って捨てられ、蕗迅はいささか不本意そうな顔をした。
「この源家に来てから、はやひと月。毎日毎日食事以外は水鏡殿の居室の縁側にちんまり座って動かぬそうではないか。体調が悪い様子もないし、食事も細いとは言え、摂っておる。はじめは、ここへ来るまでのことを思うと何もする気にならぬのであろうと思っていたのだが、さすがに心配なのじゃ」
確かにその通り。このままだと、ただ食事をして座ってぼぅとして夜になると寝てしまうお人形になってしまう。
「わたくしは、小聿どの食の細さが気になりますわ。小慎どのと比べても随分細くはありませんか」
小聿の祖母である葵子が首を傾げながら言う。
「それは東の院時代からなのです。もともと少食な方で。もっとお召し上がりになるよう常々申し上げているのですが……」
「そうなのですね……体も弱いと言うし、心配だわ」
蕗隼の答えに葵子は眉を寄せた。
「蕗隼、汝秀。頼みは小聿さまのお側にずっといたそなたら二人だ。まず、東宮・東の院ではどのようにお過ごしになっていたのか、教えてほしい」
蕗粛の言葉に、二人は頷く。
「まず、体調がよいときは、朝は武芸の鍛錬をなさっていました。弓と剣、それから、魔術を中心に。時には体術もなさっていましたが、お体も小さく細くあられるので、そこまでは」
ふむふむと皆頷き、手元の資料にメモをしている。こういうところは、大変に真面目な一条源家の者たちである。
「稽古の後は湯浴みをし、それから朝餉を。その後は大抵なにかの講義を入れておいででした」
「講義?どなたかを東の院に呼んでいたのか?」
汝秀の父の汝杏が尋ねる。蕗隼と汝秀は頷いた。
「はい。その分野の学者や各省庁におられる官僚で知識豊富な方に来ていただき、さまざまな書物や論文を通して学んでおられました。殿のおられる司法院の方も法学を教えにおいでになっていました」
「法学……え?法学?あの歳で?」
「はい。ちょうど東の院を出る直前まで読んでおられたのが、秀英院で出た最新の論文集だったように記憶しています。もはや、私と汝秀には皇子……あ、いや、若が担当講師と何を話しているのか理解不能でした」
「ふむ。その論文集は儂もこれから読もうと手元にはおいておるが……なかなか癖のある……あれを読みこなすのか」
呻くように彩芝は言う。
「それで?講義の後は昼餉をとって……。その後は?」
湘子の妹である靜子が続きを促す。
「えーと。他の講義が入るか、なにか芸事のお稽古が入るかですね。ピアノ、箏、胡弓、笛、琵琶を嗜まれます。あとは、舞、お茶、書の稽古も入れておられました」
「歳初めの百官宴の際にも立派に舞っておいでだったものなぁ」
芳崇がとおい目をして言う。あれは、私には舞えませんと続ける。
「お稽古や鍛錬、講義がないときは、なにをしていたのだ?」
兪佳の父・兪飛の問いに、汝秀が口を開く。
「大抵は、書庫か嶷陽殿で読書です。あとは、ピアノがお好きでよく弾いておられました。たまに、殿上童、童宮女や乳母子の水織さま、露華さまとお遊びになることも」
遊びと聞いて大人たちはほっとしたような顔をする。
「よかった、普通に遊ぶこともあるのね」
「ごくたまに、ですが」
「何をして遊んでおられたのですか?」
「そうですね……鞠遊び、かくれんぼ、鬼ごっこ、トランプ、積み将棋、かるた、貝合わせ……あとは、ピアノを弾いて皆が歌う、とかですね」
割と普通……と誰かが呟く。それに事情を知らない皆が頷く。蕗隼と汝秀は微妙な顔をした。
「なんじゃ、二人とも。なんとも言えぬ顔をしおって……」
「いえ……遊んではおられたのですが、宮、あっと、若はどれもお上手なので、遊ぶと言うより大人が子どもと遊んであげる……ような感じでした。皆の様子をみながら、わざと手加減をバレないように入れる、みたいな……」
あーー……と皆が声を上げる。
「本当は積み将棋ではなく、将棋がさせるのです。ちなみに、元傅役の紫苑さまは本気でやって返り討ちにあっていました」
「……えぇ……」
「こ、今度挑んでみようかな……?」
「是非に。私は2枚落ちでやってもらって、負けました。6枚落ちを提案されましたが、これで負けたら悔しすぎるので、断りましたよ……」
どんより影を負って汝秀が言うと、挑もうとしてた芳崇が、戦意喪失したと呻き、皆笑う。
「なんにせよ、とにかく色々やる方なのだな」
そうですね、と蕗隼と汝秀は頷く。
「あっ!」
不意に大事なことを蕗隼は思い出し、声を上げる。
「なんじゃ、まだ何かあるのか?」
「はい。忘れてはいけないものがもう一つ。そして、それだけはこちらにこられてからも欠かさずなさっています」
「祈り……か」
蕗隼の言葉に、湘子は呟く。蕗隼は頷いた。
「祈り?」
「はい。小聿さまは大変熱心な星森の信者であらせられます。東の院におられた時は体調が許せば、聖星森堂の礼拝堂に日参し、そうでないときは、東の院で祈りを捧げておいででした。今も、おやすみになる前に、ご寝所で捧げておいでです」
「そういえば、聖印を首から下げていますね。食事の前後もきちんとお祈りを捧げていますし。大切になさっているのだなと思いましたわ」
葵子の言葉に、蕗隼の中に苦い思いが広がる。あの聖印は特別な聖印だ。あの聖印の元の持ち主のことを思うと居た堪れなくなる。小聿はどんな思いであれを首から下げているのだろう。
縁側にちんまり座っているときも、無意識にあの聖印に触れているのをこの十日間何度も見た。
「源家の星森の宮に時にはお連れするのも良いかも知れませぬな」
聖都東部には源家の星森の宮がある。とても美しい星森の宮で、小聿が心を落ち着けるには良い場所かもしれなかった。
「でも……」
蕗隼の隣に座っている紗凪が首を傾げながら言う。
「先日、西の書庫へ行ってはどうかと申し上げたのです。けれども、私は、いい、ここにいると仰られて……」
「そうなんですよ。今日も、美味しいお菓子があるから食べませんかと誘ってみたのですけども、昼餉で十分いただいたからいらないよと」
今日の様子を思い出して、小聿付きのもう一人の侍女・琳が言う。
ふーむと考え込む一同。
「何か共にやろうと誘ってみよう。明日、明後日は父上も芳崇どのも宮へ参内せぬ日。それぞれ何か順々に誘うてみるのじゃ。まずは、朝餉のあと琴と琵琶でも触らぬかと妾から言うとする」
湘子が言うと、葵子が嬉しそうな顔をした。
「よいですね。わたくし、二人の演奏を聞きたいわ」
「それでは、儂は本を何冊か見繕って一緒に読むとしよう」
「では、惨敗覚悟で将棋を……」
芳崇が言うと皆また笑う。
「あとは、源家の星森の宮にお連れしましょう」
葵子が言うと彼女付きの家人らが、では、司教どのに連絡を入れましょうと言った。
「うむ、いろいろやれることが出てきたな。明々後日に宮に参内したら、元傅役の篤紫苑にも相談をしてみようと思う」
彩芝の言葉に、みなよろしくお願い致しますと言う。
「ひとまず、明日、明後日で少しでも良い方向に進むと良いですね」
皆めいめいに頷く。
「では、第一回小聿さまの心を取り戻しちゃおうの会を終わります」
蕗迅の言葉で会は終わりを告げる。
――――その会の名前は確定なのかな……
中広間を出ながら蕗隼は思う。
――――ともあれ、あの方が少しでも笑ってくだされば、俺は満足だ。
こうして一条源家で夜こっそり開かれる小聿さまの心を取り戻しちゃおうの会はその後も不定期で開催されたという。――――いろどりの追憶・第二巻・三十四頁




