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いろどりの追憶〜星森の大陸の生きとし生けるものの安寧を強く願った人々〜  作者: 裕邑月紫
はじまりの刻

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月の皇子、一条に立つ(二)

 小聿(しょういつ)湘子(しょうし)が一条源家に着いたのは夜も更けた頃だった。

 

 二人が皇宮を出て、一条に降ることは内々に進められ、正式な発表は降りた後にすることが決められていた。これは少しでも混乱を少なくするとの配慮であった。そのため、湘子と小聿は目立たぬ夜半にひっそりと皇宮を出て、源家にやって来たのだった。

 

 幼い小聿は皇宮の外の世界に、顔には出さないものの緊張しているようだった。それでも、東宮・東の院にいた頃から側仕えとして常に隣にいてくれた岳蕗隼(がくろじゅん)邦汝秀(ほうじょしゅう)がいたため、多少はその心は落ち着いていた。

 妻や次女の家族や家人のほとんどには、明日以降二人とゆっくり話す時間もあるだろうと退がるように伝え、彩芝(さいし)は小聿を抱いたまま東殿に向かう。

 

「初めての外の世界に緊張しておろう?今日はもう湯浴みをして、早々に休みなさい」


 小聿は彩芝の腕の中で黙って頷いた。

 実のところ、此度は小聿にとって二度目の皇宮の外の世界である。二ヶ月前、彼は殿上童(でんじょうわらべ)朔侑(さくゆう)の葬礼のため皇宮を出ている。が、それをわざわざ祖父に言う必要はないだろうと思い黙っていた。

 

 東殿は二人を迎えるにあたって改築し、湘子の起居する棟と小聿が起居する棟を(あつら)えた。

 

 二人の棟は歩廊で繋がっており、いつでも行き来ができる。今まで東宮と奥の宮に分かれて住んでいた母子がこれからは気兼ねなく共に時間を過ごすことができるようになった。それは、源家の当主や家人たちが少しでも心を閉ざしてしまった小聿に安心してほしい、本来の彼であってほしい、と願ったがゆえに配慮して用意されたものだった。

 

 東の小聿の起居する棟にたどり着くと、彩芝はそっと孫息子を下ろした。しゃらりと小聿が首から下げた聖印が鳴る。その聖印の五つの翡翠の石が優しく光った。

 

「小聿、今日からここがそなたが起居する棟じゃ。歩廊を歩いていけば、母の湘子の起居する棟にもいけるでな。これからは気兼ねなく、母に会いに行くと良い」


 ーーーーそうして、年相応の幼子らしく、母に甘えてほしい……


 そう彩芝は切に願う。


「過分なるお心遣いありがとう存じます。わたくしのために、このような立派な部屋をご用意くださるなんて……」

 

 おおよそ五歳の幼子の言とは思えぬ返事に彩芝は小さくため息を漏らす。この聡明な孫息子とこうして言葉を交わすことが今までなかった彼は、まだ小聿の本来の年からあまりにかけ離れた言動に慣れていない。

 

「これ。さようなこと、幼子のそなたが思わずとも良い。素直に喜んでくれた方が儂は嬉しい。この棟の部屋のことは明日以降ゆっくり蕗隼や汝秀に説明をしてもらいなさい。とにかく、今日はゆっくり休むのじゃ。明日の朝、家族皆で本殿で朝食を摂ろう」

 

 その言葉に、小聿は目を瞬かせた。


「家族……皆で、朝食……」


 彩芝は喉を鳴らした。


「そうじゃぞ。これからは一人寂しく食べる必要はない。皆で食べるのじゃ」


 彩芝は身を屈め、小聿と視線を合わせる。

 祖父の言っていることがピンとこないのか、小聿は不思議そうな顔をする。

  

 これまで東宮・東の院にて、第二皇子として過ごして来た小聿は、食事は基本的に一人だった。

 毒見役が目の前で毒味をして安全を確認したのち、多くの者に見守られながら黙って食事をするのが常だった。

 時折、今上帝や母、異母兄弟やその母と食事を共にすることもあったが、それは事前に予定として組まれたいわば行事のようなものであった。

 それゆえ、皆で、という言葉に驚いたようだった。


 ーーーーささやかな時間が、この子に人の温もりを感じさせることができれば……


 心の中で呟いて、彩芝は微笑んだ。


 「では、儂は本殿に戻る。また明日、の」


 彩芝の言葉に、小聿は小さく頷き揖礼をする。


 「はい、おやすみなさいませ、殿」


 彩芝は頷くと、付き従っていた数名の側仕えを連れて本殿へと踵を返す。


 

「殿、か……」


 最後に言われた言葉を思わず口にする。

 すぐ後ろを歩む家令の蕗迅(ろじん)が困ったような顔をする。


「ゆっくり、ゆっくり、小聿さまのお心が解けますように……焦らずとも、いつかは殿を『お祖父さま』とそう呼んでくださる日が来ましょう。大丈夫でございますよ。殿のお気持ちは聡い小聿さまにきっと届きます」

「そう、じゃな…」

 

 根気強く、伝えていくしかないのだろう。

 あの幼く聡く優しく、そして、哀しい孫息子に、お前は愛されているのだと、生きていていいのだと、そう伝え続けていくしかない。

 それがこれからあの子を育てていく者としての使命の一つなのだ、と心の中で呟いて彩芝は妻の待つ本殿へと帰って行ったのだった。



  月の皇子が、源小聿となった夜。

 一条源家の者たちは、それぞれの想いを胸にこの先の彼の人生に幸あれと願っていた。ーーーーいろどりの追憶・第二巻・十七頁


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