月の皇子、一条に立つ(一)
その幼子は。
それはそれは美しい顔をしていた。
射干玉の髪に、白雪のような頬、紅い形の良い唇はいつも柔らかな笑みの形を描いている。
ただ、その笑みは決して心からのものではなく、見ている周りを安心させんと作られたものだった。
口を開けば、幼子とは思えぬほど落ち着いた声音で、大人びたことを静かに語る。
動きは常に、優雅で上品。
所作の一つ一つが美しい。
そして、特徴的な紫色の瞳。
その美しい紫色の瞳は、湖面のように凪いでいて何も映していないようだった。
いつもどこか遠くを見ているようで、何も見ていないようだった。
まるで、紫色のビー玉のような瞳に、感情は乗らない。
そう、まるで。
その幼子はお人形のようだった。
弥生の終わりの桜の季節。
天満つ月の夜。
聖国皇都・一条源家の屋敷に一台の馬車が静かに一の門、二の門、中の門を通り、本殿前の広場に止まった。
本殿の前には、この源家の主・源彩芝とその妻葵子。
その隣には、二人の娘である靜子とその夫・芳崇、二人の息子で齢四つの小慎。
そして彼らの後ろに控えるは、一条源家に仕える家人たちであった。
停まった馬車の扉を、源家の家令・岳蕗迅の孫息子である岳蕗隼がそっと開ける。蕗隼は、中の人が降りるのを手伝おうと手を差し伸べるが、そんな彼を白い小さなが手が制した。
蕗隼が数歩後ろに下がると、中から藤色の上衣に紫黒色の羽織と袴を着た歳の頃なら四、五歳の幼子が静かに降りてきた。その子は、自分が降りるとゆるりと馬車を振り返りそっと手を差し伸べ中にいる人が馬車から降りるのを手伝う。差し伸べられた小さな手を握って降りてきたのは、歳の頃なら二十五、六の息を飲むほど美しい女人だった。
幼子はその女性が無事馬車から降りられたのを確認すると、その手を離して静々とこの一条源家の主である源彩芝の前に進み出た。そうして、大変優雅な所作で長揖をする。
「この度は、わたくしのわがままを受け入れてくださり、ありがとう存じます」
凛としたおおよそ幼子とは思えぬ声と言葉が一条の本殿前の広場に響く。
「わたくしがこうして来たがために、殿、奥方さま、若殿さま、若奥さま、若君さま、そして源家に仕える皆皆さまに、多大なる負担をかけてしまう事、申し訳な…」
幼子の言葉は、途中で遮られる。
それは、この一条の主である源彩芝がひょいと幼子を抱き上げたからだった。
突然、抱き上げられた幼子は息を飲んで、身を固くする。
「つまらぬ口上はいらぬ。小聿や、よう来た。今日からこの一条がそなたの家じゃ」
そう言われて、幼子は驚いたようにその紫の瞳を見開く。
ややあって、小声で、ありがとう存じますと言った。
彩芝は、幼子ーー小聿の後ろにいた娘、小聿の母であり、彩芝の長女である湘子に視線をやる。
「湘子も。おかえり」
言われた湘子はその美貌に少し寂しげな、けれど華のような笑顔を浮かべる。
「ただいま戻りました、父上」
桜舞い散る季節。
聖都の一条源家の屋敷に新たな家族が加わった。
一人は、源家当主・源彩芝が娘、源湘子。
もう一人は、源湘子が息子、源小聿。
これは、かつて月の皇子と呼ばれた幼き源小聿と彼を見守る人々のはじまりの物語である。ーーーーいろどりの追憶・第二巻・八頁
聖国の皇都である聖都は最北に皇宮があり、そこから碁盤目状に都市が広がっている。皇宮に最も近い区域が、聖国の政治・司法・軍事・国教を司り、皇帝の輔けで国を治める貴族たちが住まう貴族街。その貴族街の最も皇宮に近い一条に、唯一居を構えているのが、聖国建国の剣と呼ばれる源彩恩の末裔らである。
聖都・一条源家屋敷は非常に広大な敷地を有している。
皇宮を背にし、東側の敷地の中心に最も大きな本殿、向かって東に東殿、西側に西殿がある。皇都の中心である麒麟通りを挟んで向かい側の敷地には、家人たちが起居する棟や分家の者が来た際の客舎、源家の者が使う各種道場や馬術訓練場、家人たちの子どもが学ぶ学舎、書庫等さまざまな施設がある。
源家の者は基本的にこの屋敷から出る事なく、生活の全てを賄う事ができる。聖国の貴族は多いなれど、ここまで屋敷でありとあらゆるものが揃っているのは、一条源家以外にないと言われている。
この一条源家屋敷には当主であり聖国の司法の長にして聖治殿の皇帝の御前で国の指針を決める上聖治殿官僚の源彩芝、その妻葵子、二人の娘である靜子、その夫である芳崇、二人の息子で四つの小慎が住んでいた。本殿には、主人である彩芝と妻の葵子が、西殿には靜子家族が起居しており、後継と目される小慎が成長した暁には東殿に入る、と決められていた。
しかし今から一月前、当主・源彩芝の一言でその話はガラリと変わることとなった。
二月の寒いある日。
本殿の大広間に全員を集めた彩芝は言った。
「きたる三月末、桜の頃。 我らが一条源家に新たな家族が二人加わる。二人には東殿に入ってもらう。皆、これからひと月で二人を迎える準備をしてほしい」
突然の主の言に一条源家の者たちは恐慌状態に陥った。
普段、落ち着きを払っている古参の者たちも一体誰が加わるのだ、分家から人を迎えるのか、なんのためだとざわめいた。
「静まれい!!」
源家の家令(家人衆の取りまとめ)を代々務める岳家の最長老にして、源家家人の総代・岳蕗迅の一喝で一同は静まり返る。
「したが、殿」
静まり返った家人たちを代表する形で、蕗迅は源家の主に静かに問いかける。
「急な話でございますな。一体どなたがおいでになるので?」
その問いに、彩芝は小さく息を吐く。
ややあって、彼はぐるりと己の家族と家人たちを見まわし、口を開いた。
「聖国芙蓉殿の妃・湘子妃、改め、源湘子。そして、聖国第二皇子・小聿皇子、改め、源小聿。この二人が、我らが新しい家族として加わる。皆、さよう心得よ」
主の言葉に、広間の一同は平伏した。
そうして、翌日から、秘密裏に二人を東殿に迎える支度が進められたのであった。




