祈りの先に(二)
央茜を含む黒ずくめの男たちを将軍院の兵たちが取り囲む。
「おのれ……小聿め……」
憎々しげに、黒ずくめの男の一人が言う。
小聿は蕗隼の腕から離れ、静かに央茜たちの前に立つ。
央茜は目を細めた。
「お見事でございます、宮さま。じいに贈ってくださった扇子に、宮さまの無詠唱魔術に反応する拘束の術を込めていたのですな」
小聿は静かに頷いて、右手をスッと上げた。
彼の右手の小指にはまだ小さな絆創膏が貼られていた。
「贈った扇に描いた梟の目の紅は、私の血で描かれたものなのだよ。私は魔具を作るにはその力はまだ未熟。聖星祭に贈られた鏡合わせの大陸の魔術書とこちらの古代魔術に関する文献から、血を媒体に術式を込める方法を取ったのだ」
央茜は息を吐いた。
「なるほど……。この大陸にかけられた戦魔禁断術が、舜堯帝や源彩恩らの血を媒体にして展開されたものであることから思いついたのですな」
小聿は首肯した。
「あの髪飾りに込めた術はどのように……?」
その問いに、小聿は唇を噛んだ。
央茜の問いが、彼が辿り着いた答えが正しいことを示していた。
しばし黙り、ややあってため息を漏らす。
「私の大切な友の命を奪ったよ……彼の犠牲により、此度のことが分かったのだ。無論、それだけではないが。そこな配下の者たちに聞いておろう?1月にネズミが二匹、魔術省に入ったと……その時に、この髪飾りに刻まれた術は発動したのだ」
「あれは……宮さまだったのですね。もう一人は……」
「私です、央茜どの」
紫苑が静かに答える。
央茜は頷いた。
「さようでございましたか。お二人とも無茶をなさる…」
小聿は結い上げた髪につけられた紫水晶の髪飾りを外し、掌に乗せた。
「この髪飾りは、私が父上から賜ったものではない。あの日……、私の髪飾りに守りの術を刻むと言って預かり、この髪飾りとすり替えたのだろう。この紫水晶はただの石ではない…。鏡合わせの大陸の魔具――――石に術式を刻み込んだもの……」
ええ、と央茜は静かに頷く。
「宮さまが、いつかご覧になりたいと仰せであった術式を刻み込んだ宝石でございます」
純粋な好奇心で、いつか見てみたいと思っていたそれを小聿は悲痛な面持ちでしばし眺める。
きらりと紫水晶が妖しく光った。
「この魔具は……私の魔術を使うための大きな気の流れに反応して、魔具を身に付けている者の気を全て奪い、放出させてしまうものだった……。大方、あの歴史学者が私を襲った時に使われた匕首を押収し、そこに付着した私の血を使って私の気に反応する術式を込めたのだろう」
ぐっと小佚は髪飾りを握りしめた。飾りが掌に食い込んで、悴んだ掌に痛みが走った。
「我々、聖国の者は人を害する魔術は使えない。この石にかような術式を刻んだのは、彼らだね?」
央茜と共に樹の根に縛られ動けなくなった三人の魔術士たちを小聿は一瞥する。悔しげに顔歪める彼らに代わって、央茜ははいと答えた。
「すべて……宮さまが導き出した答えが真実でございます」
そう答える央茜の声は、どこか満足げであった。彼に魔術を教わり、小聿がそれを正しく理解し、扱ってみせる度に褒めてくれる時の声だった。
小聿は、地面に落ちた扇子を拾い上げた。
それは術を発動させ、力を失い、央茜の胸元から落ちていたのだった。
しばらく小聿は手にした扇子を見つめていたが、やがてゆっくりと顔をあげ、再び央茜を見た。
「央茜じい……」
小聿は、切なげに己の心の拠り所であった祖父のように慕っていた師を呼んだ。
「最後にひとつ、教えてほしい。あの日、私の目の前で風刃の舞を使ったのは……央茜じいがーー」
「宮さま」
小聿の問いは、央茜の静かな声に遮られる。央茜は、小さく首を振った。
「たとえあの日、私が風刃の舞を使った理由があなたさまが、思う通りであったとしても……わたくしが咎人であることには変わりありません」
「そうか……」
小聿はふっと瞳を伏せた。
央茜を疑い過ごし、最後に見つけたわずかな望みは、口にすることさえ許されぬまま央茜によってあっさり打ち砕かれてしまった。
彼はもう自分を甘えさせてはくれないのだとこの瞬間、小聿は理解した。
優しい心を大切にせよ、と言った人だった。
今から自分がすることは、そんな彼にとって『優しい』ことではない。
それでも。
それでも、この聖国のために、見過ごしてはいけないのだ。
それが、国の未来を思い導くということなのだ、と己に言い聞かせる。
小聿はその瞳を閉じ、ふぅと短く息を吐く。
やがて瞼が上がる。
月光に光る紫の瞳は、まるで紫水晶そのもののようで何も映してはいなかった。
冷たい、石のような瞳。
――――【上に立つ者は、時に私情を捨て、鉄の心を以て厳しい断を下さねばならぬ。正しき道は必ずしも平坦に非ず、時に孤独の淵に立つこともある。それが為政者の背負うべき業なり】
愛した師を、己の手で裁く。その業を背負うと決めた小聿の声は、もはや震えてはいなかった。
「俵央茜よ。そなたの行いは、第二皇子である私の身を脅かすだけでなく、魔術を悪きことに使わんとする、魔術省長官としてあるまじき行為。魔術は、申し子と五大精霊の力を行使して使うもの。申し子と五大精霊の力を悪きことに使うは、信仰を穢す行為である。それは、申し子の末裔として世の安寧を願う主上の御心を踏み躙る行為であろう。主上にあだなす行いに他ならぬ。けして、許されるものではない」
言葉を紡ぐその声は、あまりにも冷たい。
感情というものが一切見えぬものだった。
小聿は扇を持った手をスッと伸ばし、央茜の顔に突きつける。
「聖国第二皇子・小聿の名において、魔術省長官・俵央茜ならびにその配下を弾ずる。おとなしゅう縛につけ」
孫のように慈しみ愛した皇子に、弾じられた央茜は、最後にいつもの優しい笑顔を浮かべた。
彼の身が将軍院の者たちに拘束される。
「宮さま……それでよろしゅうございます。
優しい宮さま。じいの可愛い可愛い宮さま。
そんな宮さまに、悲しい決断をさせてしまい申し訳ございません。
それでも……
いずれこの国を導く者としてあるべき姿を聡い宮さまがご理解なさっていることに、じいは心の底から嬉しく、誇らしゅう思います。
どうか、どうか。
優しい心で未来を描いてくださいませ。そうして、優しく強い人に……」
そう言って。
小聿に慈愛を教えた老人は、彼の前から姿を消したのだった。
月の皇子が心から信じた人と共に捧げた祈りの先にあったのは、悲しく、残酷な真実と別れだった。――――いろどりの追憶・第一巻・三百二十頁




