託された想い(一)
倒れてから1週間。
完全ではないもののようやく身を起こせるようになった小聿は、いつものように書庫へやってきていた。
彼はいつも本を読む窓辺の卓の前に端然と座っていた。
卓の上には、何冊かの魔道書と紫水晶の髪飾り。
それを紫の瞳が静かにじっと見つめていた。
――――無詠唱魔術を行使するとそれに反応して、髪飾りをつけている者の精神力を全て放出させる術式が込められておる…
病弱皇子が無詠唱魔術を使えば、身につけている髪飾りの術が発動して、勝手に内から爆ぜてこときれる…
あの夜、魔術省の庭園で彼らが交わしていた言葉から察するに、この髪飾りの紫水晶が朔侑の命を奪ったのだろう。
小聿の白い細い指が、そっと紫水晶を撫でる。
朔侑の内に流れる気を全て奪いその気を以て無数の風の刃を生み出したこの宝石は、既に力を失い鈍く光るのみだ。
一体、この紫水晶はなんだったのだろう。
央茜がこの髪飾りに術を刻んだと言った時、小聿はそれは機構を通して風の精霊の力を取り込み灯をつけるようなもの――――普段から聖国の人々が生活で当たり前に使っている精霊の力を取り込み何か事象を起こすものなのだろうと思っていた。
だが、この紫水晶が取り込んだのは精霊の力ではなく、朔侑の内に流れる気であった。小聿の無詠唱魔術の行使に反応して、この髪飾りを身につけていた朔侑の全ての気を奪い、死に至らしめ、奪った気を風の刃に変えたのだ。
人の気を取り込み、魔術を発動させるもの――――そのようなものは、聖国に存在しない。
だが――――
――――向こうの大陸の人々がどのような鍛錬をどの程度しているかはわからぬが、どうやら、特殊な魔具を使って精霊らの力を具現化するそうな。宝石からできていて…たしか、『たりすまん』という名だったかな。
秋口に父が話していた鏡合わせの魔具、タリスマン。
あの夜、魔術省で相対した鏡合わせから来たと思われる魔術士たちが使っていた魔具を思い出す。
彼らが握った杖に、宝石がはめ込まれていた。使っていた言葉からも、彼らの魔術が小聿や紫苑に直接攻撃できたことからも、あの三人の魔術士は聖国の者ではない。そして、あの宝石こそが、タリスマンなのではないか。
もし、あのタリスマンという魔具が人の気を取り込み、それを精霊の力を具現化するのに使うものであったとしたら?
聖国の者が、印を切り、呼びかけの詞を紡ぎ、己の気を使って精霊の力と具現化するのと同じことが、あのタリスマンにできるとしたら……
――――結局のところ、タリスマンとは一体どのような魔具なのかがわからない以上、決定打に欠ける。
小聿はゆるりと立ち上がる。
白い喪服の袂をさやと捌き奥の書架へと歩を進める。
書庫の魔術書の書架前まできて、まだ読んでいない魔術書を片っ端から読み始める。
これで答えが見つからなければ、嶷陽殿に……
それでもなければ、秀英書院に……
――――頼む、私に答えを教えておくれ。
祈る気持ちで、小さな皇子は魔術書の海に飛び込んだ。
そうして、1週間。
小聿は寝食を忘れて、ひたすら魔術書を読む日々を過ごした。
結局手持ちの魔術書では分からず、蕗隼や汝秀に宜陽殿と秀英書院の魔術書を片っ端から持って来させてひたすらに読む。
読んでは、仮説を立て、検証する。
いつもは整然と片付いている東の院の書庫は、信じられないほど散らかってしまった。
そこら中に、本が開いて置かれ、手に入れてきてもらった論文が散らばり、難解な言葉や魔法陣が描かれた紙が書庫の机の上には散らばっていた。
皇子!いい加減にしてくださいっ!寝食をおろそかにしないでくださいっ!と何度も蕗隼や汝秀に注意されたが、小聿は聞く耳を持たなかった。
寝所にも戻らず、書庫で仮眠をとって、目を覚ましたらまた読む、そんな時間が過ぎていく。
しかし、どれだけ探しても、読んだ本から検証しても、その宝石を身につけた者の気を取り込む術式を組むことが、小聿にはできなかった。
ーーー一やはり、タリスマンには人の気を取り込む術式など、組み込まれていないのだろうか。
「皇子!さすがに、いくら何でもひどすぎる……どれだけ読んでいるんですか」
やってきた紫苑も呆れ返ってそういった。
そんな紫苑をぼんやり見つめて小聿は呻く。
「わからない……こんなに読んでいるのに……考えているのに……」
「す、すごいですね……動く魔術書になれますね……」
小聿は卓に突っ伏した。
そんな彼の肩に蕗隼が優しく白い長袍をかける。
「まだ読んでいない本はないのですか?」
お茶を淹れながら、汝秀が尋ねる。
「もう目ぼしい本は全て目を通してしまった……自分の書庫の本も、嶷陽殿も秀英書院も……」
卓に突っ伏したまま、小聿は力なく答える。
ふむ、と紫苑は首を傾げる。
「よく分からないですが……魔術書というのは図書館で保管をしているのがほとんどですか?」
「どういうことだ?」
顔だけ紫苑に向け、小聿は尋ねる。
「いえ……基本、嶷陽殿と秀英書院で書物を保管しているのはわかります。ですが、物によっては別のところで保管されたりしないのか、と。図書館は万人向けではないですか。魔術書なんて、かなり特殊ですし、読む人もこの大陸ではずいぶん少ない。それこそ、向こうの大陸の魔術について書かれたものなどは、専門機関で保管したほうがいい場合もあるでしょう?潜入した時も、それっぽい書庫に入ったではありませんか」
言われて、小聿は2週間前に潜入した書庫を思い出す。
気になる本はあったが、それはどれも嶷陽殿や秀英書庫で手に入るもので、今回読んでしまった。
だが……
「向こうの大陸のもの……?」
呟いて。
小聿は息をのんだ。
彼は突然立ち上がると、走り出す。
「わっ!宮さま、危ない!」
熱い湯が入った茶器を持っていた汝秀がぶつかりそうになったので、悲鳴に近い声をあげた。
しかし、小聿はそれに見向きもしないで、書庫を飛び出していく。




