見送りの祈り(二)
次の日は、雪が降っていた。
昨夜はあの後、飛んできた太医令に睡眠薬を投与され、小聿はすこんと眠りに落ちた。
そして、目を覚ました彼は直ちに傅役の紫苑、側仕えの蕗隼、汝秀を呼びつけた。
眠りに落ちる直前は、常の彼では考えられないほど取り乱していたというのに、翌朝はいつもの、否、いつも以上に冷静な彼になっていた。
呼びつけた3名以外は、来てはならぬと人払いをした。
紫苑、蕗隼、汝秀の3名は、彼の居室に並んで座っていた。
彼は優雅な足取りで主座に歩を進めるとふわりと座った。
紫水晶の瞳は、とても静かで、波一つ立たぬ湖面のようだった。
彼は形の良い唇を開いた。
「良いか。此度のことは、その一切を外に漏らしてはならぬ。完全に緘口令を敷くのだ。朔侑は秘密裏に弔う。彼のことも今後一切触れてはならぬ」
恐ろしく冷たい声で彼はいう。
これが幼子の言か、と三人は思った。
「朔侑の弔いについての一切は、汝秀、そなたに任せる」
「はっ」
小さな主の命に、汝秀は揖礼をする。
「情報の統制及び緘口令は、紫苑、頼めるだろうか。父上にも、母上にも、源家にも流さぬよう」
「承知いたしました」
傅役の言葉に、皇子は小さく頷いた。
「今日私が予定していたものは、全てなしにする。私がまた調子を崩したとでも触れれば良い。太医令は昨夜ここへ参ったゆえ、朔侑のことも知っておろう。事情を話し、私は特に体調を崩してはいないと伝えてほしい。また、太医令も他言無用であることを強く伝えてほしい。それらについての対応を、蕗隼に任せたい」
「かしこまりました」
蕗隼が返事をすると、小聿は瞳を閉じてしばし黙り込む。
ややあって、ゆるりと目を開けると静かに三人を見る。
「私は、全てを糺す。朔侑を弔ったのち、そのために動く。それを止めずにいてもらいたい。童が何を、と思うやも知れぬ。されど、今、此度の魔術省への妙な金の流れの答えに一番近いのは私である。そして、此度のことは私がこうして存在しているがゆえに起きていること」
そこまで言って、彼は小さく息を吐いた。
「だからこそ、己自身で決着をつけたい。……ただ、私一人ではあまりに無力だ」
彼は立ち上がり、窓辺に寄った。
窓の外は、雪。
鮮やかに咲く赤い椿に、白い雪が積もっていく。
それをしばらく眺め、彼は振り返ると三人に頭を下げた。
「頼む……っ!私に力を貸してくれ……っ!」
静かなけれど激情を秘めた嘆願に、三人は揖礼をして、諾、と答えた。
朔侑の弔いは、汝秀の計らいで密かに行われた。
朔侑は、中流貴族の出身だった。
いずれ皇宮で宮仕えをするために、見習いとして殿上童となり、第二皇子である小聿の遊び相手となった。
彼は二年前、五つの時に両親の元を離れ、この東宮・東の院にやってきた。そして、皇宮内の官舎で起居し、育ってきた。
両親の元を離れた彼が少しでも寂しくないようにと、東の院の大人たちは、他の殿上童同様、彼を可愛がっていた。
それでも、両親から離れ、ここにいなければならなかった彼は寂しいと思う日も少なくなかったのではなかろうかと小聿は思う。
本来、皇宮で何らかの事情で亡くなった皇族以外の者はその身を自分の家に戻され、家族たちによって弔われる。
しかし、今回は小聿たっての願いで、彼の両親と身近な親族を東宮・東の院に呼び、そこから彼の祖先が眠る星森の宮に送り出した。
秘密裏に荼毘にふされ、雪の降る中、小さくなってしまった彼は納骨堂に納められる。
周りが宮さまは東の院で見送りなさいというのを、小聿は頑として受け入れなかった。
彼は密かに、朔侑の親族らと共に彼の祖先が眠る星森教の小さな宮まで足を運び、共に葬星礼(葬儀)に参列した。
これが、小聿にとって初めての皇宮の外の世界であった。
リーン、リーンと寂しげな鈴の音が響く。
「ひとつ ふたつ
尊き命 その灯火が 消える時
瞬く星が ふわり舞う
星が導く その道は 申し子さまの 御許へ
続く小さき 細き道」
星森教の小さな宮の裏にある墓地を、白い衣を身に纏った一行が導き星の唄を歌いながら歩いていく。
この唄は、星森教の葬星礼において古くから歌われるもので、死者の魂が無事申し子の元へ辿り着けるよう願いを込めて、うつ世に残された者たちが歌う。
「お行きなさい 星が導く その道を
ゆるり歩めば その先に
世の理を 司る 精霊さまが
おわすから」
まだ若い母親が小さくなってしまった己の息子が納められている箱を抱えている。
その隣を彼女の夫が静かに涙を流しながら歩いていた。
「祈りましょう
精霊さまと 瞬く星の 導きで
そなたの御霊 申し子さまの
御許に 恙なく 辿り着くこと」
雪で白くなった道に淋しげな足跡がついていく。
「願いましょう
申し子さまの 御許で そなたの御霊
安らかに あることを」
一行は星森の司祭の導きで、小さな納骨堂の前にたどり着いた。
母と父の手で、小さくなった彼が納められる。
それを、共にここまで来た者たちは静かに見守った。
「どうか、朔侑を送る祈りの言葉を、私に紡がせてもらえないだろうか」
小さな皇子の申し出に、朔侑の両親は涙を流して頷いた。
傘をさし側に控える蕗隼に、これから祈るから傘は良い、と言って小聿は傘から出て朔侑が納められた堂の前に立つ。
小さな両手を胸の前で組む。
小聿の紫の美しい瞳は、凪いでいた。
瞳を閉じる。
雪が降っている。
小聿の黒い絹のような髪の上に。
白い喪服を着た小さな肩の上に。
胸の前で組まれた小さな手の上に。
降っていく。
彼を取り囲む関係者たちから、嗚咽が、泣き声が上がっている。
その声に乗せるように、小聿の凜とした声が響く。
「星を創りし、星森の申し子よ
我が声、我が心に、その傾聴を賜わん
申し子よ、それに連ねたる精霊よ
その清き水で我が穢れを流し、
その清き火で我が宿世の業を焼き
その清き風で我が罪を舞上げ
その清き土で我が咎を穿ち
その清き空で我が過ちを正し
今、ここに我が在ることを許されん
星を護し、星森の申し子よ
我が心の主よ
今、ここに
我が大切な友があなたの元へ旅立とうとしています
心優しき、大切な友でした
どうか、どうか
その清き眼差しで、その清き声で、その清き手で、その清き心で
我が友の前にあなたの元へと至る道をお示しください
星を抱きし、星森の申し子よ
我が友がその道を歩み、あなたの元に至ったら
その御心の愛を彼にお与えください
我が友の御霊が、あなたの元で安らかなるようお護りください」
こうして彼の御霊は星森の申し子の元へと旅立った。
朔侑を見送りひっそりと東の院に戻った小聿は、着いた途端まるで糸が切れたかのように倒れた。
彼を診た太医令は、この2ヶ月無理をしすぎたせいだと言った。
この2ヶ月で、母が毒に倒れ、聖星祭と年末年始の宮中行事をこなし、朔侑を失った。
身体的にも、精神的にも限界だった。
大変心配する蕗隼たちを前に、朔侑の喪に東の院の皆で服するためにも、今後のことを思案するためにも、外部とのやりとりの一切を遮断するのに都合が良いだろう、と彼は寝台の上で静かに言った。
そうして、東の院の門を固く閉じるように、と申し付けた。
彼を案じて、父帝も彼にいろいろなことを教えるために東の院に出入りする多くの者も母からの遣いの者も源家の祖父母も、彼を見舞うことを望んだが、東の院への立ち入りは誰にも許されなかった。
その後、東宮・東の院の門は2週間にわたって開くことがなかった。――――いろどりの追憶・第一巻・二百六十七頁




