月を味方に(三)
「そうするとね?紫苑は、この大蔵省の人だから……上のところからのお話は、はい、はいって聞かないといけないんだ。今回、調べるのをストップ!と言ってきたのは……ここ、(4)の聖星森堂院だね。院は省や庁より上だから、あまり下の人は言い返せないんだ」
「大変なのですね……」
同情に満ちた声で朔侑は言う。紫苑はガックリ肩を落とし下っぱは辛いのですと言った。
「早く実績を積み試験を受けて、官位を上げることだ。枢密院まで上れば、やりたいことが色々できる」
ふわりと微笑み小聿がそういうと、また、皇子はそうやって無茶をおっしゃる、私はまだ24ですよ……枢密院に行くまで何年かかるやら、そして、本当に枢密院に行けるのやら……と低い声で言う。小聿は小首を傾げた。
「そなたは能力があるのに、やらないだけだからな。きちんとやれば、あっという間に上聖治殿の官僚になれると思うのだけど」
「えぇ?上聖治殿の官僚なんて夢のまた夢ですよ」
「上聖治殿の官僚とはなんですか?」
「上聖治殿の官僚とは、皇帝陛下の座す聖治殿で陛下と共に治世に関わる全てを最終決定する官僚たちだよ。この4つの院に所属して、特別な試験に合格した者がそれだ」
「たとえば、小聿さまのおじいさまである源彩芝さまは(3)司法院の一番偉い人で、上聖治殿の官僚です。ですから、小聿さまのお父君である皇帝陛下と共に、国のことの最終決定をなさいます。子虞さまたちのおじいさまである左相どのは、(1)の枢密院のトップです」
「本来、四つの院は同等の力を持っているものなんだけど……今は枢密院が少し強いかな。左相どのが百官の長といわれるのはそのためだよ」
小聿と紫苑の説明に、朔侑はへぇ、じゃぁ、紫苑さま頑張ってその試験に合格しなくてはいけませんね、と言う。いわれて紫苑は、ええ、朔侑、お前まで言うのか、とゲンナリしたような顔をした。
ふふふ、と小聿は笑う。
「朔侑だって、今は殿上童だけど経験を積んで、勉学に励み試験に合格してどこかの官吏を目指すのだろう?そしたら、上に上がるための試験を受けると言うのは目指すべきこと。そうすることで、己が国のためになしたいことが出来るからね。だから他人事ではないよ」
「小聿さまは、どうするのです?」
「え?私?」
尋ねられると思っていなかった小聿は目を瞬かせた。
ややあって、彼は困ったような顔をする。
「私は……そうだね……どこでも良いのだけど。あまり身体が強くないから将軍院以外かなぁ……」
「そうなのですか?あれ?でも、皇帝になられないのですか?」
「なっ……」
あっけらかんといわれて小聿は手にした茶器を落としそうになった。
隣で、紫苑がニヤニヤ笑っている。それを少し忌々しく思う。彼は今上帝が小聿を諦めていないことを知っているのだ。
「ないない!それは絶対にないよ。中の院には兄宮さまが入っておられるではないか」
彼は茶器を卓に戻して、大慌てで否定した。
「えー!小聿さまならいい皇帝になりそうなのに。もったいないなぁ。じゃぁ、小聿さまは将来どこかの院の一番偉い人になるのですね!小聿さまぐらい頭が良ければ、その一番上の試験だって受かるでしょう。皇子でもここの官僚になることはできるのでしょう?」
「もちろん。これまでも皇族で上聖治殿の官僚だった者は何人もいたよ。そして、皇子ならば現時点で、間違いなく文宮官の試は受かるでしょうねぇ」
ニヤリと笑いながら言う紫苑を彼は睨みつける。
「無責任なことを言わぬことだ。4つの童が受かるような試験ではないわ。私はどちらかといえば、のんびり本を管理する嶷陽殿の官吏に心惹かれるのだが……」
遠い目をしながら小聿は答え、こくりと茶を飲む。
「まだそんなこと言っているんですか。大体、そんなこと言っている人間がどうして、私が調査中の特別予算について考えを巡らせるのですか」
ごもっともなツッコミに、うっと小聿はうめく。が、しばらくしてその整った眉をハの字にしてみせる。
「一度気になってしまうとどうもね……。ともあれ、ストップが聖星森堂院からかかって身動きが取れなくなったのは困った話だ。そして、怪しすぎる」
「おっしゃる通りです。誤魔化す準備をするので待っていてください、と言っているようなものだ」
紫苑の言葉に小聿は頷きながら、再びかぼちゃ餡の饅頭を食べる。
そして、もうすっかり自分の分を食べ終わってしまった朔侑に、私は一つで十分だから、もう一つお食べ、と言った。嬉しそうにありがとうございます!と言ってもう一つ饅頭を食べ始めた朔侑を目を細めてしばらく眺めていたが、やがて表情を改めて紫苑をみた。
「聖星森堂院からさよう言われたのはいつのことなのだ?」
「ああっと……今年の仕事始まりの日からだから、ちょうど三日前ですね」
三日前……と呟き、小聿は胸に下げた聖印をいじりながら思案する。やがて、ふ、と唇に小さな笑みを浮かべた。
それをみた紫苑は、嫌な予感をおぼえて眉間に皺を寄せる。こういう笑い方をする時、小聿は大概とんでもないことを考えている。
「三日前では、誤魔化しもまだ大して進んでいまい。見に行くなら早いほうがよかろう」
「見にいく?いや、行ったら追い返されたんですって」
「それは正面から馬鹿正直に見せてくれ、と言ったからだろう?」
紫苑はやっぱり、と言う顔をして首を振った。
「……皇子。私には無理ですよ」
「なにゆえ?このままでは誤魔化されてしまうぞ?」
「ですが……」
「小聿さま。なにをしようとしてるのですか?」
まぐまぐと饅頭を食べながら、朔侑が尋ねてくる。
その彼に、小聿はふふ、と微笑んで見せる。
「なに。大したことではないよ。隠し事をしようとしているから、隠される前に見に行こうと言っているのだ」
「だから、私には無理ですって!」
「そうか…ならば仕方ない」
小聿は肩をすくめた。
「一人より二人と思っていたが……。まぁ、私一人で探してくるよ」
「はぁ!?お一人で!?冗談ではありません!」
「私には無理だと言ったのは、そなたではないか」
くぅぅぅぅ、と紫苑は唸る。しかし、どれだけ止めてもこの皇子のことだ。無茶をするに決まっている。いつもはどの兄弟よりも慎ましいのに、一度これをする、と決めると意地でも押し通すところが、彼にはある。
「参考までに、どうするのですか……?」
力なく尋ねる彼に、上品な所作でお茶を飲んでいた小聿はこともなげにこう言った。
「正面きって行って無理なら、こっそり見に行くしかない。なに、今宵はおあつらえ向きに新月だからね。闇夜が助けてくれるだろうよ」
「ああぁぁぁ……お月さまも皇子の味方ですか……」
「え?今夜見に行くのですか!?」
「ふふふ……そうと決まれば早速準備をしなくては。朔侑、そなたにも頼みたいことがある。そなたの助けなくば、私は身動きが取れないからね」
そう言って、するりと小聿は立ち上がったのだった。
夜を明るく照らす月が、今宵は月の皇子らのためにその姿を隠すという。月を味方に皇子とその傅役は隠された真実を探しに向かうことをとした。その先に何があるのかその時彼らは想像さえしていなかった。――――いろどりの追憶・第一巻・二百二十四頁




