小さな案件(二)
書庫には、小聿が本のページをめくる音、紫苑が仕事の書類をめくる音だけが響く。
「うーん……いい迷惑すぎる……」
しばらくして、突然紫苑がポツリと呟いた。
小聿は本から顔を上げ、首を傾げる。
「迷惑、とは?」
尋ねると、うーん、うん……と何とも微妙な返答が返ってくる。
小聿は読んでいた本を閉じ、紫苑の側によって彼がまさに今見ている書類に目を走らせる。
「特別予算?」
「あっ!あー、皇子、ダメですよ。いくら皇子でも私の仕事に手を出してはいけません!」
「ならば、ここで仕事をしなければ良いのに……なに、童の私が見たとてわかるものではあるまいよ」
そう言いながら、ひょいと小聿は紫苑の手から書類を奪い取った。
素晴らしい速さで、紫の瞳が書類の上の文字を撫でる。
「ふむ……このタイミングで特別予算執行の監査とな……予算の行き先は魔術省……」
顎に手を添え呟く小聿を紫苑は半眼で眺める。
「わかっているではないですか……」
その言葉に、ふふふ、と小聿は笑う。
紫苑は諦めたように息を吐いた。
「ご指摘のとおり、よりによってこの師走の忙しい時期に、特別予算執行の監査をさせられるのは大変迷惑です。年末の祭祀関連の予算執行を監査するので手一杯なのに……」
「なるほど」
紫苑のいうとおり、師走は星森の申し子がこの星を造ったとされる聖星祭、そして今年一年を締めくくる歳終わりの儀がある。年が明ければ、歳初めの儀式や宴があり皇宮内はいつになく忙しない。小聿のいる東の院でも、それらの儀式や宴で彼が着る衣装の準備やその他細々としたことのために、皆が動いている。
「しかも、結構プッシュが強くて、なるべく早く監査を済ませよというのですよ。めちゃくちゃです」
「ご苦労なことだ」
そう言って小聿は再び手にした書類に視線を落とす。
小首を傾げ、首に下げた聖印を右手で撫でる。五大精霊を示す水晶石がきらりと光った。
「……迷惑であるし、何より、妙だな……」
小聿の言葉に、紫苑はあからさまに嫌そうな顔をした。
「妙な点もあるのですか?いやですよ、監査が面倒になるのは。この案件はとっとと終わらせて、祭祀関連の予算執行の監査に入りたいのに……」
「……妙ではあるが、私個人としては歓迎ではある。使用目的が今ひとつ曖昧だけど」
紫苑はもう一度小聿のもつ書類に視線を落とす。
「皇子は、何が妙だと思われるのです?」
「え?……ああ。予算を割いた先が魔術省、というところかな」
ふむ?と紫苑が首を傾げる。この傅役はいまいちわかっていないようだった。
「そもそも、特別予算は例年通りの案件には割かれるものではないだろう?喫緊の案件や新規案件の試行に当てられる。では、魔術省に喫緊の案件や新規案件の試行はあったのか、というと少し疑問が残る。そなたも知っての通り、魔術省はその取り扱う魔術の衰退が理由で零細省庁だからね……」
新しい魔術書一つ買うにも、うちは小さなところですので予算が……と困ったような顔をしながら言う魔術省長官の央茜じいの顔を思い出す。
「確かに。魔術省に新しい動きなど、特に聞こえてきていませんね」
紫苑は眉を顰めた。
「じゃぁなんで、急に特別予算を?確かにきな臭い」
うん、と小聿は頷く。
「使用目的も、魔術発展のため、ですね。そんな曖昧模糊な話で通そうと思ってるのか」
「まぁ、本当に魔術発展のためなら、私は嬉しいよ?」
紫の瞳をきらりと煌めかせ、小聿は言う。
「いやいや、怪しい話は流石にきちんと精査せねば」
紫苑の言葉に、小聿は少し残念そうな顔をした。
「央茜じいも喜ぶと思ったのに」
紫苑はペラペラと書類をめくる。
「出どころはどこだ……?魔術省から申請があったわけではなく、確か持ってきたのは、大蔵省の葉どのだったはず」
「大蔵省の葉?申請者が央茜じいではないと言うことか?」
小聿も不思議そうに首を傾げる。
「……あ」
何かに気付いたのだろう、紫苑が声をあげる。
「大蔵省の葉どのは、左相どの次男です」
「む……左相どのの?だが、そなた、今、葉と……」
はい、と紫苑は頷く。
左相家の氏名は筒であって、葉ではない。
「左相どのの次男は、葉家に女婿としてとして入っていますので。葉家は聖星森堂院の長官の家です。長官の葉圭史どのの一の姫と昨年結婚なさいました」
「ふむ」
小聿は頭の中で関係図を広げる。
聖星森堂院は、聖国の国教である星森教の一切を取り仕切る国の機関だ。そして、その聖星森堂院の下位機関に魔術省がある。これは、魔術が星森の申し子や五大精霊の力を行使するからだ。つまり、魔術省で必要な金を魔術省が申請したのではなく、その上位組織の聖星森堂院の長官の女婿がが申請を出してきた、と言うことになる。なんとも遠回りな話だ。まるで、足がつかないようにどうにか遠回りをせんとしているような……。
それに加えて、左相の次男というのが、小聿に嫌な予感をさせる。
小聿は首を振った。
――――いやいや、「左相どのの関係者=私を害そうとする者たち」と言う構図を捨てねば。先入観は良くない。
だが、もし……
もし、何か悪事に使われるのだとしたら?それが自分に害をなすことであるとしたら?
可能性は0ではないのだ。つい最近も命を狙われたことを思い出す。あの歴史学者も左相の血を継ぐ子虞皇子にとって小聿が邪魔な存在であると言っていたではないか。
ぞくり、と悪寒が走る。小聿は思わず自分の体を抱きしめた。
今までもさまざまな方法でこの命は狙われてきたが、魔術で狙われたことはない。それは、この大陸では他者を傷つけるために、魔術は使えないからだ。だからこそ、小聿は魔術に対抗するための魔術というよりは、物理的な攻撃をどうにか去なすために魔術を学んでいる。
――――もし、この魔術発展が、「第二皇子を亡き者にするための魔術発展」であったら…
そこまで考えて、小聿は頭を振った。
――――どうも、左相、と聞くと自分にマイナスなことが起こっているのではないかと考えてしまう。
それは良くない、本当に。私の悪い癖だ。
何よりも、魔術省は央茜じいが長官を務める省。私の心配なぞ、杞憂であろう。
小聿は聖印をグッと握りしめる。
紫苑はガックリ肩を落とした。
「ああぁ。面倒ではありますが、きな臭いお話に蓋をするわけには参りません。年末の予算執行の監査と並行して進めます…あー、ヤダヤダ。聖星祭は自領にある別荘にいって家族でのんびり過ごすつもりだったのに…今年は聖都でお留守番になりそうだ」
ぼやく紫苑を見て、小聿は吹き出した。
「ほらほら、皆と別荘に行けるように今が頑張りどころ。応援しているよ」
小さな皇子に励まされ、紫苑は頷くと再び仕事に戻ったのだった。
この小さな案件が、のちに大きな事件につながることをその時は月の皇子も彼の傅役も知る由もなかった。――――いろどりの追憶・第一巻・百八十頁




