小さな案件(一)
師走に入ると、聖都は急激に寒くなる。
その日も、小聿はお気に入りの書庫にいた。
しかし、いつものように本を読んでいるわけではなく、静かな書庫で一人瞑想をしていた。
窓辺の床にあぐらをかき、瞳を閉じる。
――――ただただ、一心に。
己の集中力を高め、気を練る……
描くイメージは、散らばっていた糸が己の中で撚られ太く、長くなるもの……
内なる気が広がるもの……
広がって……膨らんで……
息を深く吸い、ゆっくりと吐くのを繰り返す。
「書庫で本を読んでないと言うのは、珍しいこともありますね」
ふいに背後から声をかけられ、彼の集中力は霧散する。
小聿は驚いて振り返る。
そこには、赤髪紅目の傅役の姿があった。
「紫苑……驚かせないでおくれ」
「これは失礼」
軽い調子で謝って、彼は小聿の隣までやってきた。
紫苑は持っていた荷物を卓の上に置き、小聿の顔を見た。
「何をなさっていたのですか?」
紫苑の問いに小聿は、窓辺の卓の上に置かれた魔術書に視線をやった。
「簡単に言うと、魔術が安定して使えるようになるための鍛錬、かな」
ふむ、と首を傾げながら紫苑は隣に座った。
「私は体があまり強くないからね……魔術を多用したり、少し高度な魔術を使うと倒れてしまう」
ほら、露ちゃんを助けた時もちょっと無茶をして寝込んでしまっただろう?と言う。それに、その節はご迷惑を、と紫苑は頭を下げる。小聿は静かに首を振った。
「いや、あれは私が悪いのだよ。自分の力量を理解しきっていなかったのだから」
そう言って、彼は卓の上に置かれた魔術書をそっと撫でる。
「それで、どうしたら安定するのだろうかと調べていたのだ。嶷陽殿で何冊か本を読んだのだけど、そのうちの一つに自分の気の制御の重要性を説いているものがあってね。非常に興味深い話だった。静かな場所さえあれば、簡単に鍛錬はできそうだしね。央茜じいにも尋ねたら、やはりじいも、日々、気の制御のための鍛錬をしているのだそうだ」
「なるほど……具体的には何をなさるので?」
「一言で言うと、瞑想、かな。自分の気を集中して高め、操るイメージを常に描くんだ」
ほぅほぅと頷きつつも、おそらくこの傅役はわかっていない。
「まぁ、魔術がからきしダメな私には縁遠いお話ですな」
その答えに、小聿は苦笑いをした。
「ところで何か、御用だろうか?」
ややあって、彼は首を傾げて傅役に尋ねる。丫角に結った髪に付けられた紫水晶の髪飾りがきらりと光った。
その問いに、紫苑はああ、と笑う。そして、ひらひらと手を振った。
その反応に、小聿は一つ思いあたりその紫の瞳を半眼にした。
「さては……また仕事をサボりに来たのだな?」
その指摘に、うぐっと紫苑は息を飲む。
「まったく。ここはそなたの休憩所ではないのだが……」
呆れた顔をして言うと、いやぁ、ここはうるさい先輩方が入ってこられないので都合がいいのですよと言う。
確かに、東宮には許可が降りた者でないと入ることができない。紫苑の仕事上の先輩官吏たちには入れないだろう。
「そんなに、いろいろ言われたくないのであれば、早く出世をして己の官房(仕事部屋)を持つことだ。さすれば、人の出入りを自分の思い通りにできよう?」
「これまた、さらりと難しいことを仰せになる」
自分の仕事部屋である官房を持つには、正二位以上の官僚にならなければならない。紫苑は現在、正三位。あと二つ官位を上げねばならない。
「いいんですよ、私は。いざとなったらこうして、ここへ来ればいいのですから」
そう言って紫苑は立ち上がると、窓辺の卓の前に座す。そして、持ってきた荷物を広げ始める。
もうその光景を見慣れている小聿は、先ほどまで読んでいた本の続きを読むことにした。
紫苑は時々、こうして職場である枢密院を抜け出して、東宮・東の院にやってくる。
そして、ここで仕事をするのだ。
彼曰く、集中したい仕事をしている時に別件を持ってこられると、一気にやる気がなくなるらしい。
だが、こうしてここに来て側にいてくれるのは、ひょっとしたら両親からは離れ、この東宮東の院で勉学と稽古に明け暮れる小聿を思ってのことなのではないかと小聿は思う。この父と歳のあまり変わらぬ紫苑がただただ隣にいてくれる時間は、心地よかったりするのだ。




