月の皇子の秘密(二)
「どう言うことだ?」
帝が央茜に問う。
央茜は小聿の説明を聞いてしばらく呆然としていたが、帝に尋ねられてハッとしたような顔をした。
「つまり……無詠唱で風の魔術をお使いになったということですね?」
央茜の言葉に、小聿は緩慢に頷く。
「無詠唱魔術だと?さようなこと、可能なのか!?」
舜棐帝は目を丸くした。
「理論上は可能です」
ため息混じりに央茜は答える。
「先ほども申しました通り、現代魔術は、星森の申し子に仕える五大精霊に呼びかけ契約を結び、その力を行使します。ですが、そもそも古代魔術が今以上に使われていた時代ーーつまり、建国の祖・舜堯や建国の剣・源彩恩の時代は、五大精霊たちの力を呼びかけの詞なく使役できる者がいたとの文献が残っております。舜堯帝たちは、星森の申し子同様、信仰する五大精霊たちの存在も己の心に宿しておりました。それゆえ、無詠唱でも心の中の精霊たちに語りかけ、その力を借りて構築したイメージを具現化したのです。小聿さまがなさったことは、それかと」
央茜の説明にその場にいた大人たちは千三百年以上も昔の人々のことが想像し難いのか黙り込む。
「宮さまは常日頃から、聖星森堂にて熱心に祈りを捧げ、大変信心深くあらせられる。それゆえ、御心に五大精霊も宿っておいでなのでしょう。そうして心に宿した五大精霊にお心の中で呼びかけ、力を行使した……そう言うことですね?」
央茜の言葉に、小聿は緩慢に頷き、おずおずと語り始めた。
「央茜じいのいう通り、古代魔術のことを調べているときに、いにしえの人々がどのように五大精霊の力を使役しているのかを知ったのです。それで、心に五大精霊を宿すというのを大変興味深く感じました。熱心に聖星森堂に行っていたのは、そうした下心があったわけではなく……。純粋に、星森の申し子さまのご加護をこの聖国にと願ってとのことです。ですので、今回も一か八かではありました」
小さな声で語る皇子を大人たちは見つめる。
央茜は深く頷いた。
「ええ、そうでしょうとも。無詠唱魔術を使おうという目的で祈りを捧げても、五大精霊は宮さまの御心に宿りはしないでしょう。純粋に、宮さまが星森の申し子を、そして五大精霊を信じ、その加護が聖国にあまねく満たされるようにと祈りを捧げ続けたからこそ、五大精霊は宮さまの御心に宿ったのでございます」
央茜は優しく小聿の手を両の手で包み込んだ。
「それは、大変素晴らしいことですし、喜ぶべきことです。されど……」
再び、央茜は厳しい顔をした。
「無詠唱魔術を使うということは、この現代において大変危険であることは宮さまならばわかっておいででしょう。この大陸では、魔術のために精神力を疲弊することなく割く術は衰退してしまいました。我々は、生命を維持するための精神力を魔術の行使に回して、五大精霊の力を借ります。だからこそ、呼びかけの詞を介することで精霊との一時的な契約を成立させ、力を行使するのです。呼びかけの詞を思い出してください。どれも、己の精神力ではなく精霊の力に大いに頼ることに許しを乞う詞がありますでしょう?許しの言葉を音にして、その場に在るすべての精霊たちに証人として聞いてもらっているのです」
もう何度も魔術学の講義で、言って聞かせたことを央茜は再び丁寧に言う。
「手で切る印も、精霊に許しを乞うものなのは覚えておいでですね?」
央茜の言葉に、無論だよと小聿は深く頷く。
「古代魔術もまた呼びかけの詞が大切となる。古代魔術は現代魔術と異なり、いにしえの言葉で呼びかける。お力を貸してくださるのは、申し子さまゆえ印は現代魔術よりも古代魔術の方が複雑だし、より丁寧に切らなければいけない…」
そうです、その通りですと央茜は小聿の紫の瞳をじっと見つめた。
「ですから、此度宮さまがなされたことは、風の精霊さまの力に大いに頼ることをせず、代わりにご自身の精神力の大部分を魔術の行使に割いたということになります」
話を黙って聞いていた一同は央茜の説明で今回小聿がしたことの危うさを理解した。
「今回は、たまたま……本当に、運よく、宮さまはお目覚めになられました。されど、次同じようなことをすれば、命の保障はございません」
「ああ、小聿!お前はなんてことをっ!」
耐えられなくなったのだろう。湘子が寝台に駆け寄り、己の息子を強く抱きしめた。
「そなたにもしものことがあれば、母はとても耐えられぬっ!」
抱きしめてくる母の顔を見上げれば、普段は冷静で心乱す様を一切見せぬ湘子の紫の瞳に涙が浮かんでいた。それを見て、小聿の心はちくりといたんだ。
父帝も二人の元へやってきて、その胸に妻と息子を抱き込んだ。
「湘子の申す通りだ。なんと恐ろしいことを……。小聿、お前が大変優秀で、星森の申し子や精霊たちのご加護をその身に大いに受けていることはわかったが、それでも……こんな無茶は二度としないと、父と母に約しておくれ」
二人の様子を見て、小聿は申し訳ない思いでいっぱいになる。自分がどれほど両親に愛されているのかを身に沁みて感じた。
「母上、父上……。ご心配をおかけして大変申し訳ございませんでした。この小聿、お二人を心配させるようなことはもうせぬ、とお約束致します」
湘子は息子の綺麗な顔を覗き込んだ。
「必ず、必ずじゃぞ?」
念を押してくる母に、はい、と小聿は深く頷く。
それを見て両親はようやくほっとしたような笑顔を見せた。
親子の様子を優しげな目で見守っていた央茜が、ふっと今までになく真剣な目になり再度小聿を見た。
「宮さま。宮さまの御身はかけがえの無いものです。お父君さま、お母君さまの仰せのように、無茶はなりません。宮さまの魔術の師として、申し上げます。自らの精神力を削るような無詠唱魔術は二度と使うてはなりません。いいですね?」
そのいつになく真剣な師の眼差しに、小聿は母の腕の中で少し身を硬くして、それから、約束すると答えた。
幼い宮の返事に、央茜は深く頷き、必ず、必ずですよと再度念をおした。




