父帝との穏やかなる刻(一)
父帝の元には12時半に来るように言われていたので、魔術科学(魔術を科学技術に応用する新しい学問)の講義は予定より少し短く切り上げて小聿は身支度を整えた。
母親の湘子譲りの漆黒の絹髪を綺麗に丫角に結い、父帝からの贈り物である紫水晶の髪飾りを両方に着ける。
「大変お似合いでございますよ。皇子さまの瞳と同じ色の宝石ですね」
乳母の澪が、にっこり笑って褒めてくれた。
それになんとも複雑な表情で頷き、小聿は立ち上がる。
側仕えの蕗隼が渡してきた、扇子と小さな巾着を袂にしまう。
父帝に会うために、用意された衣装は秋らしい金茶色の着物であった。彼は着物を鮮やかに捌き、踵を返すと居室を後にする。
東宮・東の院の車寄せに、馬車が停まっている。それに彼が側近二人と共に乗り込むとゆっくりと馬車は帝がいる本宮へと動き始めた。
小聿はいつも肌身離さず持っている星森の申し子の聖印を小さな手で弄んでいた。
それは、聖国の国教である星森の教えを学び始めた小聿に父帝が贈ってくれた品だった。
『これはね、水晶をあしらった星森の聖印なのだよ。初代皇帝・舜堯と建国の剣・彩恩は、水晶でできた聖印をいつも身につけていたそうだ。それに倣って、お前に水晶をあしらった聖印を贈るよ』
初代皇帝・舜堯と建国の剣・彩恩は、星森の巫女とその夫の元に同日に生を受けた血のつながりのない兄弟だったという。
舜堯は星森の申し子が戦乱の世を治める魂の持ち主として星森の巫女の元に授けた赤子であった。そして、同日に星森の巫女はその身に宿した新たな命を世に送り出したという。それが、舜堯を支え続けた彩恩なのだそうだ。彼らは、星森の巫女に大切に育てられ、やがて森深くにある星森の宮を出て、戦乱の世を治め、聖国を建てた。
そのような建国の偉人たちに縁のある品は自分には過ぎたる物だと思うけれども。
それでも、父の期待に自分が考える形で応えられたらと思う。
――――それは、この国の主の席につくという形ではない。私はあくまでも、お支えする立場でありたい。
そこまで考えたところで、声がかかった。
「なにを考えておいでです?」
ぼんやり窓の外を眺めながら黙考している皇子に、蕗隼が問いかける。
彼が信仰している星森教の聖印に意味もなく触れる時は、考え事をしている時であることをこの側近たちは知っている。
小聿はどう答えるべきかしばし考え、やがて口を開く。
「どうすれば東の院に居座れるか…と」
小聿は秋の色濃い景色を愛でつつ力無く言う。
「そんなにお嫌ならば、素直に嫌だと仰せになれば良いのでは?」
汝秀に言われ、小聿は力無く笑う。
「それであっさり諦めてくだされば良いが」
蕗隼と汝秀は小聿の言葉に顔を見合わせる。
確かに彼の言うとおり、いやだで帝がひくとは思えない。
小聿は優秀であると同時に、現在、聖国の政において絶大な発言権を持つ左相と血のつながりがない皇子だ。彼が後継となることは、今の左相派一辺倒の聖国の政の勢力図に均衡を取り戻す可能性を秘めている。貴族の利権を何よりも重んじる左相派に一石投じたい今上帝としては、簡単に諦めるわけにはいかないだろう。




