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いろどりの追憶〜星森の大陸の生きとし生けるものの安寧を強く願った人々〜  作者: 裕邑月紫
月の皇子、徒桜とならん

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月の皇子の憂鬱(二)


 湯浴みを済まし、朝餉を摂り、9時から予定していた法学の講義が終わって時計を見れば10時半を過ぎていた。

 今日の講義担当者と交わした議論をまとめた紙をパラパラと見直しながら、小聿は本日何度目かわからないため息を漏らす。

 

「そんなにお父君とのお昼ご飯がお嫌なのですか」


 そんな彼に、彼の信頼する側仕えの青年が尋ねる。


「気乗りはせぬ」


 側仕えの青年が入れてくれた茶を飲みながら、小聿は言う。


「なにゆえでございますか。お父君がお嫌いなので?」


 青年の問いに、彼は頭を振った。

 

「まさか。父上のことは心よりお慕いしているよ。だが、さような単純な話ではない。父上の意図を思うと憂鬱なのだ」

「意図?」

 

 ぱちくりとその橙の瞳を瞬かせる青年に、小聿はうん……と小さく返事をする。

 そのまま、口を開かぬ皇子に側仕えの青年は、その意図とはなんだと尋ねる。尋ねられた小聿は答えたくないのか心底嫌そうな顔をする。それでも、再度強く尋ねると彼は諦めたように答えた。

 

「父上は、私に中の院に入るようをおっしゃられるのであろうよ。そのために、今日は二人で、と。左相どのらの横槍が入らぬように急にお誘いになったのもそのためなのだと思う」

「良いではありませんか」

「どこが!?」

 

 弾かれたように、彼は隣に座る側仕えの青年の顔を見る。

 青年は不思議そうな顔をした。


「中の院にお入り遊ばすと言うことは、小聿さまが皇太子の第一候補であることを意味します。ゆくゆくは皇太子に、そして末はこの国の主に、とのことでございましょう?大変良いことではありませんか」

「いいことなんて一つもない!」

 

 珍しく小聿は語気を強めた。

 

「蕗隼……そなたは、なにもわかっておらぬな。私が皇太子になれば、必ずや左相どのやその一派が黙ってはいまい。左相どのは枢密院の長。実質的な百官の最高権力者だ。そんな御仁を敵に回していいことなど一つもない!」

「宮さまが皇帝になる頃には、左相も変わっているのでは?」

 

 もう一人の側仕えが、その水色の瞳をくるくると動かしながら言う。小聿は力なく首を振る。


「さて……どうであろう。そればかりは、わかるまいて」


 それに……と小さく呟き、彼は手に持った茶器に視線を落とした。


「今の左相どのがご隠居なさったとして、次の左相はそのご子息になっておろう。官位の席は表向きは世襲制ではないとされているが、その実、家柄は大きく影響するゆえ。左相家にとってみれば、兄宮さまが皇帝となれば自分たちは外戚として政を進めやすい。それが、私になってしまっては不都合だろう?百官の長の家柄である左相家の目の敵である私が父上の後を継げば、世が乱れるは必定」


 あまりに後ろ向きな発言に二人の青年は顔を見合わせる。

 その後、二人は揃って呆れたような顔をする。

 

「なにゆえ、そう悲観的なのです?聖国の官職は世襲制ではなく、帝による任官制。源家の殿やその跡継ぎである小慎さまが、百官の長となれば良いだけではありませぬか」

 

 蕗隼が言うと、水色の瞳の青年ーー汝秀がそうですよと頷く。

 

「そもそも源家はかの建国の剣・源彩恩の子孫。彩恩は聖国の建国の祖・舜堯帝と苦楽を共にし、この聖国の礎を築いた御方。舜堯帝に『彩恩は我が金蘭の友』えーっと…」

 

 建国の祖が己の子らに残したと言われる有名な一節を引用しようとして、思い出せないのか汝秀は言葉に詰まる。

 小聿は、ふぅ……と息を吐きその続きを口にする。

 

「『王佐の才を持ち、常に正しき道を示す者也。聖国が進むべき道に惑し時は、万事、彩恩に訊ねるべし』」


 そう、それですと頷いて汝秀は続ける。


「源家の殿はその彩恩の直系でございます。殿ご自身、大変な才覚を持っておいでで、陛下も頼りになさっていると聞きます。現在は司法でその権勢を奮っておられますが、行政にも大変明るくておいでです」

 

 汝秀が言うと、うんうんと蕗隼も深く頷いた。

 

「それに、源家からはこれまでも何人もの百官の長を出して参りました。今は官職としては廃されていますが、行政・司法・軍事全てを統べる丞相位を務めた者も何名もいたことは、皇子もご存知でしょう?源家の殿が政の頂に立ち、陛下をそしてゆくゆくは宮さまをお支えしていく……非現実的な話ではないかと」

 

 その言葉に、小聿は顔を顰める。


「私より、源家より参っているそなたらの方が、源司法大官(司法院の長官)のことを知っていよう?源司法大官は大変優れたお方だが…権威なるものにさほどご興味がない。百官の頂にお立ちになるとは思えない」

「陛下や皇子がお望みになれば、殿は首肯すると思いますが」


 小聿の言葉に、蕗隼が言い返す。

 確かに、そうかもしれない。

 母方の祖父とは数えるほどしか話したことがないが、人づてに聞く彼は官僚として大変優秀である。祖父もまた左相と同じく上聖治殿官僚であり、主上の御前で国の最重要事項を決定する官の一人だ。

 現在は司法院の長としてその才を聖国の治世のために振るっている。百官の長として、やっていくだけの能力も胆力もあると思われる。

 

 小聿は茶を再び喫する。

 香り高い茶は気持ちを落ち着かせてくれるが、今日の憂鬱な胸のざわめきにはまるで効果がない。


 「そもそも、私は皇帝の器ではないよ。兄宮さまこそ、皇帝に相応しい才と器をお持ちなのだ。兄宮さまが父上の跡を継ぎ、私は兄宮さまの耳目となり国を見てまわる。そうして、民のために、主上のために、この凡才を絞れれば十分さ」


 小聿の言葉に、二人の側近は盛大なため息をついた。


 「宮さま。あなたさまは、本当にご自分がわかっておられませんね。どこにそのお歳で大人顔負けの知識量と思考力を持った者がいると言うのですか。凡才ではなくあまりにも非凡であることをご自覚ください」

 「汝秀の申す通りです。小聿さまは本当にご自分のことがよくわかっておられませんね……」

 「そんなことは……」


 二人の言葉を否定しようとすると、また盛大にため息をつかれる。


 「なんにせよ」

 

 小聿は暗鬱な気持ちで、目の前の卓に突っ伏した。


「蕗隼、汝秀。そなたらは、根本的なことがわかっていない」

「え?」


 源家から遣わされた信頼できる二人の側近は顔を見合わせる。


 「私が中の院に入ったら、立太子の儀が執り行われる前に、この世から消されるさ……」

 

 暗い暗い声で呟いて、小聿は本日何度目かわからぬため息をつく。

 そんな彼の目の前で、美しく色付いた紅葉がひらりひらりと舞い落ちていった。

 

 

 月の皇子は、心から慕う父との時を前に物憂げに過ごす己を情けなく思いながら、秋深まる景色を眺めていたのだった。ーーーーいろどりの追憶・第1巻・五十一頁


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