新人官吏は雨で弱体化する(二)
ふらりふらり。
将軍院の回廊を再び彩棐は歩いている。
先ほどの北方将軍の官房で鮮やかに自分の仕事を成した彼からは考えられない情けなさで彼は歩く。
「早く雨やめ……マジで死ぬ……」
彼は大変な偏頭痛持ちである。そして、雨が降ると天気痛で頭痛がひどく、調子が大変悪くなる。
天気が良い日は颯爽と回廊を歩むのだが、雨が降ると途端にダメになる。
彼はそのまま青い顔に、半眼で、次の目的地にやってくる。
先ほどと同じように気合を入れ直し、戸の前で拝跪し中に呼びかけると、おー、彩棐、入れ入れ!と中から明るい声がした。
失礼致します、と言い戸を開け、中に入る。
拱手をする前に、官房内をぐるりと見渡し、中にいるのが南方将軍とその息子の二人だけであることを確認すると、はぁーと深くため息をついた。
「よう来たな彩棐。西方将軍のお使い、ご苦労」
南方将軍・苞伯朗は日に焼けた精悍な顔をくしゃっと笑顔にして言った。彩棐は表情を改め、スッと拱手した。
「例の軍事演習計画の最終確認をお願いしに参りました」
「うんうん、見よう。書類をいただけるかな?」
言われて彩棐は伯朗に書類を渡す。彼が書類の確認を始めるのと見届けると、彩棐はこめかみに綺麗な指を添えた。
「相変わらずの頭痛か。ほんとお前、雨降ると弱体化するよな」
そんな彼を見て、濃紺の髪と目をした青年――南方将軍の息子が笑いながら言う。
「今なら余裕でお前に勝てる」
「うるせーよ。悪いが、天気痛くらいでお前に引けはとらんぞ」
「そんな真っ青なっ顔で言ってもまるで説得力ねーのわかってる?」
言い返されて、彩棐はちっと舌打ちをする。確かに、今さしで剣を交えたら通常よりも苦戦を強いられるのは目に見えていた。彩棐は、官房の窓辺に寄って座す。こめかみの奥の方がズキズキと痛んで辛い。
今官房には、子どものからよく知っている南方将軍とその息子しかいないため、多少崩した態度でも許されよう。
「俺はお前と違って繊細なんだ」
「繊細すぎるだろ。まるでガラス細工だ。そんなんじゃ、戦に出たらあっという間に粉々にされちまうぞ」
「バカ言え。俺は西方将軍の主簿(秘書官)。文官だ。そんな最前線に出ねーよ」
彩棐は言い返すと、南方将軍の息子・苞伯玞はニヤリと笑った。
「よく言うよ。史上初、文宮官の試と武宮官の試の同時受験して、最優秀の成績で合格したやつが。お前が武官として動けるのは、将軍院では周知の事実だ」
伯玞の言葉に、彩棐は深々とため息をついた。
「俺は……文官になるつもりだったのに……。将軍院に来るつもりなんてなかったのに……むしろ、宮仕えだってまだするつもりなかったのに……」
ぶつぶつと文句を言う彼に、伯玞は苦笑いをする。
「よし、確認したぞ。これで良い。署名と印も捺した。彩棐、他にも回らねばならぬ官房があろう?行って参れ」
書類の確認を終えた南方将軍が彩棐に書類を差し出す。それを受け取り、彩棐はありがとうございます、と優雅な所作で拱手した。
「あとは5箇所か。宴までには間に合いそうだな。頑張れ新人官吏くん」
伯朗の言葉に、彩棐は首を傾げた。
「宴……?今日は雨ゆえ無しになるのでは?」
今日は昼から、百官総出で皇宮最大の水晶庭園で宴が行われる予定だった。新人官吏たちが配属先での研修を終え、ようやく通常通りの業務に皇宮内の院・省・庁が入るにあたって、他の部署との交流を兼ねた宴が開かれるのだ。彩棐にとっては官吏として初めて参加する百官の宴となる。しかし、庭で行われる予定の今日の宴は、雨天ならば延期になると思われた。
すると、伯朗はするりと窓の外を指差した。
「いや、もう雨は上がったよ。この後は快晴らしい。宴の日取りの再調整など面倒だからな。おそらく予定通り行われると思うぞ」
言われて窓の外を見ると、確かに雨はすっかり上がり、陽の光が燦々と降り注いでいた。
「ええぇ……」
彩棐はゲンナリした。頭痛はまだ続いている。こんな体調で宴なぞ冗談ではない。
「サボるわけには……」
「ダメだろう、それは…。新人官吏くん、新人こそ、今日の宴でしっかり顔を覚えてもらわねば」
ダメ元で呟くとあっさり否定される。
「私は、あまり多くの人と関わるのが得意ではないのですが…」
困ったように言うと、伯玞に肩を抱かれる。
「ほんとお前、人見知りな。そんなんじゃ、上に立てないぞ?」
親友の言葉に、彩棐は再びため息をつく。
「立つつもりなんてこれっぽっちもねーよ。できれば、早いところ地方の太守にでも任じて欲しい…」
その言葉に、今度は彼の親友と親友の父は深々とため息をついた。
「小聿…お前はまだそんなこと言っとるのか。それだけ優秀で国政に関わらぬなど、許されぬぞ。諦めよ」
親友の父は、呆れ返ったように言う。伯朗は幼い頃から息子の親友であるこの少年のことをよく知っている。この恐ろしく秀麗で優秀な少年を地方の太守に甘んじさせるなど、許されるはずがないと心の底から思っている。なにより、本人がどれだけそれを望んでも、皇帝がそれを許しはしないだろう。絶対に。
彩棐は書類を抱え直すと、俺は本気で地方の太守になりたいんですがね……と呟きながら踵を返し、官房の入り口のところで振り返ると、それでは他もまわってきます、と言って拱手をする。顔を上げて、彼はふと思い出したように言う。
「あ、あと。私を小聿とお呼びにならないでください。職場で幼名で呼ばれるのは死ぬほど恥ずかしいのです……」
なんとも言えない顔をして彼はそう言うと、ふらふらと去っていく。あとに残された苞親子は顔を見合わせた。
「小聿の悪いところは、他人の力量は正確に把握できるのに、己の力や才はまるで理解できていないところだな。聖国の歴史上、14歳で准三位の文官となり、おまけに同時に武官としても動けることがどれほど異常なのことか……」
伯玞は父の言葉に、ひょいと肩をすくめた。
「あいつはそういう奴さ。でも、まぁ……」
ふ、と友が去ったあとに視線を戻す。
「こうして表舞台に引っ張り出されたんだ。あっという間に上に登り詰めるだろうよ。なんせ、聖国が誇る天才少年だからな。……雨で弱体化するのが玉に瑕だけどよ」
そう言って、ケラケラと伯玞は笑った。




