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いろどりの追憶〜星森の大陸の生きとし生けるものの安寧を強く願った人々〜  作者: 裕邑月紫
星律の瞬き

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武術を学ぶ意味(二)

 

 はじめて道場に行った翌日から、課題提出や論文輪読の担当が回ってきたりで忙しくなってしまい遠のいていた。

 そのため、二度目の道場は初日から10日後だった。


 今日は4限までで17時には直接行けば間に合う。

 小聿は講義が終わってすぐに講堂を出て、側仕えたちが待つ学内の茶寮に向かう。


 基本講義を受けている間、側仕えの二人は学内で待機をしている。本当は一条に戻したいのだが、臣籍降下はしたとはいえ名門一条源家の子どもであり、元皇子である彼の身辺は決して安全とは言えない。そのため、彩芝(さいし)は必ず小聿には誰かが付くようにと厳命していた。基本は、蕗隼と汝秀がついているが、彼らが別件で動けない際は、他の源家の家人が小聿の側についているのだった。

 

 秀英院にきている貴族の子弟は多く、小聿のように側仕えを学内に控えさせているものは少なくない。

 また、すでに宮人(みやびと)として職を得ていて、再度、研究や学を深めるため秀英院に籍を置いている者もいる。そうした者も家の者や警護の者を置いているようだった。


 小聿が、講堂から待ち合わせの茶寮に姿を現すとすぐに気づいた蕗隼と汝秀が席を立ち上がり幼い主人の元へとやってくる。


 茶寮にいる者たちが一斉に入り口付近に立つ小聿を見る。

 その視線に、小聿はわずかに肩を振るわせる。わずか5歳で、幻の総合学部に入学した小聿を、もうすでに秀英院で知らぬ者はいない。親の力だと妬む者、本当にそれほどの実力があるのかと疑う者、今上の血をひく皇子だと敬意を払う者、総合学部に入った天才だと持て囃す者……。とにかく皆それぞれの思いを持って小聿を見る。それらの視線に小聿は毎日のようにビクビクしているのだった。


 すでに秀英院に通い始めてひと月。

 さまざまな講義や研究会で、教授陣や学生たちと会話をすることはあるが、いまだに小聿は友と呼べる人を得ていない。

 元々人見知りであるし、生い立ちがゆえに他人に対する警戒心が人一倍強い。そして何より、この秀英院大学にいるのは彼よりずっと年上の者たちばかりで、到底、友になどなれそうになかった。

 

 かぶらずに手に持っていたベレー帽を思わず握りしめる。


「若、お疲れ様です」


 やってきた蕗隼に声をかけられて小聿はほっと息を吐いた。せめてもの救いは、こうして学内に側仕えである蕗隼や汝秀がいてくれることだった。

 

「今日は、4限まででしたね。予定通り、靭刃(じんば)流の道場へ直接向かうのでよろしいでしょうか」


 問われて、小聿は頷いた。


「それでは、お鞄をお預かりします」


 小聿から鞄を受け取った蕗隼が歩き出す。

 茶寮を出て歩き始めると、少し遅れて茶寮から出てきた汝秀が小走りに追いかけてきた。


「若。喉が渇かれたことでしょう。ここの茶寮の紅茶は美味しいのです」


 どうやら小聿のために持ち帰りで紅茶を購入してきたらしい。それを持っていたベレー帽と交換する形で受け取り、小聿は一口紅茶を飲んだ。


 確かにいい香りがして美味しい。

 この秀英院には学食や茶寮や鏡合わせの大陸風の茶寮が点在しており、学生たちはそこで食事や小休止を取っている。

 小聿は学食に入ると人の目が気になってしまうので、学外に蕗隼たちと食べに行くのが常だった。そのため、学内施設で飲食をしたことがない。たまに、こうして蕗隼たちが持ち帰りで購入してきたものを口にするぐらいだった。


「美味しい……」

「それはよかったです」


 にっこり微笑み、汝秀は言う。彼は小聿の頭に優しくベレー帽をかぶせた。


 今日の彼は秋らしい茶色のベレー帽に、白いシャツとニットのベスト、長ズボンを履いていた。

 秀英院に通う者らの多くは着物だが、小聿は着物ではなく鏡合わせの大陸から入ってきた服装で通うことにした。

 この服装だと髪も丫角に結かなくて済み、その点も気に入っていた。秀英院では少しでも幼く見られないように丫角はどうしても避けたかったのだ。彼の艶やかな黒い髪は後ろで緩く編まれていた。


 車に乗り込み、一路、靭刃流の道場に向かう。


 ゆっくり紅茶を飲みながら、小聿は少し憂鬱な気分になっていた。

 この10日、朝の鍛錬はきちんとしてきた。とはいえ、体力は一朝一夕でつくものでもない。

 きっとまた素振りでへばって、打ち合い稽古でへばって、あの兄弟子に邪魔者扱いされるのが目に見えていた。


 ――――それでも、ここで諦めるわけにはいかない。


 瞳を閉じれば、己の側にいたが故に傷ついた者、命を奪われた者たちの姿が浮かんでは消える。

 胸に下げた聖印を握りしめる。


 ――――たとえ、なんと言われようとも。私の側にいる者を、護れる者になる。


 小聿は、10日前の見取り稽古や型稽古で見た師範や兄弟子たちの動きを頭の中で反芻する。

 小さく非力な自分では、完全に模倣することは不可能だ。だからこそ、それをカバーする必要がある。

 型には忠実でありながら、師範や兄弟子たちがしていなかった少しトリッキーな動きなどを身につけていかねばならない。

 

 道場ではあくまでも剣術のみだが、屋敷ではいずれ魔術と組み合わせた戦い方を考えていくつもりだ。対人で使えない魔術を、どう援用していくかが鍵になるはずだった。そうした戦術を考えるためにも、まずは剣術の基礎を体に叩き込む必要がある。


 通う道場に靭刃流を選んだのは、祖父の勧めだった。


 秀英院への進学が決まり準備を進めていた八月の終わりのある日、祖父は話があると言って夕餉の後に小聿を自分の私室に連れて行った。


「あまり良い話ではないが」


 首座に座し、脇息に身を預けながら祖父は口を開いた。


「これから秀英院に通うにあたって、そなたの身辺が心配なのじゃ。そのため、必ず蕗隼ら側仕えを側に置くこと。それから、これは今後のそなたの身の上を考えてのことなのだが……」

 

 まっすぐ小聿の目を見て、彩芝は言う。


「武術をしっかり身につけてもらいたい。おそらくこの先も、そなたは一条源家の者として、主上の血を継ぐ者として命を狙われよう」


『主上の血を継ぐ者として』と言う言葉に小聿は視線を落とした。


「たとえ、一条源家に臣籍降下したとしても、そなたに陛下の血が流れているのは消しようのない事実。それゆえに命を狙われることから完全に逃れることはできまい。むろん、一条では細心の注意をそなたの周りには配っておるが……こうして来月からは秀英院に通うことになり、屋敷の外へ出る機会も増える」

「承知しております」

「側に家人を置いていても、何があるかは分からぬ。最低限、己自身を護れる術を身につけてほしい。そのため、剣術道場、弓術道場に通ってみてはどうかと思うてな」

 

 剣術も弓術も、かつて東の院で毎日鍛錬していたものだった。小聿は頷いた。


「私もそれらは必要であろうと考えておりました。お許しいただけるのであれば、通いとうございます」


 小聿の答えに、彩芝は満足げに頷いた。


「それでは、弓は穿弓(せんきゅう)流に、剣術は靭刃流に通いなさい。どちらも聖国に古くからある流派じゃ。穿弓流は儂が子どもの頃通っていた道場で、今の師範は儂の兄弟子だ。話を通しておこう。靭刃流は、そなたの元傅役であった紫苑(しえん)が学んだ道場だ。紫苑から話を通してもらっておこう」

「ありがとう存じます」


 こうした流れで、小聿は弓と剣を道場にて学ぶことになったのだった。


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