武術を学ぶ意味(一)
寝台の横に置かれた卓の上の魔術仕掛けの目覚まし時計が鳴る。
「っん……」
小さくうめき手を伸ばし、魔術仕掛けの時計を止める。
そのまま、頭から布団を被る。
5分後、再び目覚ましが鳴る。
「…………」
布団から手だけ出し、止める。
手を布団の中に引っ込め、寝返りを打つ。
あと、5分だけ……
――――お前、体力無さすぎじゃね?
俺の稽古の邪魔になってる自覚もある?
どうせいいところのぼんぼんなんだろ?
将来は、どちらかというと武官じゃなくて文官目指した方がいいよ。
ここじゃなくて、勉学に打ち込んだ方がいいって。
不意に、10日前に言われた言葉を思い出して 彼――小聿は跳ね起きた。
時計の隣に置いてある鈴を鳴らし、寝台から飛び出し、天蓋の紗の帷をくぐる。
あれほど直接的に、悪態をつかれたのははじめてだった。
これまでも、皇子として皇宮にいる時には「国乱しの皇子」だの「病弱皇子」だの言われてきたが、それとはまた違う。
小聿自身の不甲斐なさを指摘するものだった。
そして、小聿自身、これまでその能力を貶されたことは経験がなかった。何をしても人並み以上の才を発揮して来た彼は褒められることはあっても悪く言われることはなかった。だからこそ、びっくりしたのだ。
体力が落ちていることは、嫌というほど自覚していた。
源家に降ってからしばらく動いていなかったし、その後は大学受験のために机に向かう時間を優先したせいですっかり体は怠けてしまっていた。
けれど、彼の周りの大人たちは彼の事情をよく理解していたためそのことを特に言わなかったし、それをいいことに彼は秀英院に入学してからも武術の鍛錬は疎かにしがちだった。
子斉による小聿へのはじめての悪態は、小聿に「悔しい」という思いを抱かせた。
「おはようございます、若」
小聿が鳴らした鈴に反応して、蕗隼と紗凪が入ってくる。
「おはよう。蕗隼、紗凪」
小聿は洗面を済ませ、稽古着に着替えると足早に寝室を出る。
水鏡殿の歩廊に出て居室の方へ向かって歩くと、汝秀が待っていた。
「おはようございます、若」
「おはよう、汝秀」
「茜もお待ちかねですよ」
「うん」
茜と聞くと、小聿の硬かった表情が少し緩んだ。
見れば水鏡殿の居室の前の歩廊のところで、小聿の愛犬の茜がお行儀よく座って彼を待っていた。
「おはよう、茜」
よしよし、とふわふわの毛を優しく撫で彼は歩廊から庭に出るために靴を履く。そうして、茜のリードを持つと走り始める。
走る小聿と茜の後を黙って汝秀が小走りについてくる。
あの日以来、小聿は起床時間と朝の日課を変えた。
朝は5時に起床し、茜の散歩を兼ねて一条の西にある源家の道場まで走る。
道場では、汝秀や蕗隼、源家の家人たちと剣や弓の稽古をする。
7時には水鏡殿に戻りシャワーを浴びて、大学へ行く支度をする。
源家の朝食は、当主の彩芝や若殿の芳崇の出仕の時間の関係で7時には始まってしまう。
そのため、小聿は朝食を水鏡殿で一人でとるようになった。
8時には源家を出て秀英院に向かう。これで8時半からの講義にギリギリ間に合う。
しかし、体力がそもそもあまりない小聿はこの時点でへとへとだ。
車の後部座席でついうとうとしてしまう。
「若、もう着くまで寝てしまってはどうですか?着いたら起こしますから」
「うん……」
蕗隼の言葉に返事をしつつ手に持った論文に目を落とす。
紫色の瞳が論文の文字を撫でていく。けれど、しばらくすると、その瞳は再びとろんとしてくる。
「若……稽古の時間を1時間に減らしては?」
助手席に座っていた汝秀がいう。
「………嫌だ」
「ですが、それだと疲れすぎて講義もまともに受けられないのでは?」
「それは……ない」
実際、授業中は眠くはならない。頭も常にフル回転するし、講義は大変興味深いものばかりだ。
ただ、移動中や授業時間外の眠気がとんでもなくひどい。
「何も無しにするわけではありません。減らすだけです」
「……減らさない。そもそも東の院にいる時は2時間稽古をしていたではないか」
「ですが、東の院の時は体を休める時間もとっておりました。今はそれが一切ないではないですか」
「体力がつくまでの辛抱だよ」
「その前にまた倒れませんか?」
鋭い指摘に小聿はうぐっと言葉を一度飲む。
「………倒れない」
「根拠ないですね?」
「…………」
「そこまで頑なになられるのはなぜです?」
「…………」
「あの子斉とかいう者の言葉が悔しかったからですか?」
秀英院の駐車場に辿り着き、車が停まる。
「……そんなこと、ない」
そう答え持っていた論文をカバンにしまい、ベレー帽をかぶると小聿は車を降りてしまう。
蕗隼と汝秀は顔を見合わせる。
「あれは、相当悔しかったんだな」
「だな」
今までそうしたことを一切態度に表さなかった小聿が、はじめて悔しがっている。それが、嬉しい。
ふふふ、と笑って、二人の側近は車を降りて慌てて小さな主の背中を追ったのだった。




