剣の兄弟子(二)
聖国に古くから伝わる剣術・靭刃流は優れた武官を輩出し、国の礎を支えてきた由緒ある流派である。
子斉が心より敬愛する剣の師、留靭史は、この靭刃流宗家に生を受けた三男にして、剣理と忠義を併せ持つ稀代の武人である。かつて彼は、将軍院の武官として皇宮に仕え、聖都より遥か遠き辺境にて、少数民族の脅威から国土を護る重責を担っていた。
しかし、十一年前、聖国を未曾有の疫災が襲い、靭刃流の道場主であった兄が病に斃れたことで、留靭史はその志半ばにして官を辞し、宗家の跡を継ぐこととなった。そして今現在、彼は、未来の聖国を担う若き武官たちを育むことに、己がすべてを捧げている。
その敬愛する師に呼ばればいつもは飛び跳ねるように駆け寄る子斉だが、今日はそうではない。
「なんです?師匠」
言われることがなんとなくわかって、子斉はイライラしていた。
彼の師は、眉を顰める。
「なんだ、不満げだな、子斉」
「そんなことはありません。それよりなんです?」
「うん、お前に弟弟子ができた。面倒を見てやってほしい」
予想通りの言葉に子斉はあからさまに嫌そうな顔をする。
「小聿、こちらへきなさい。紹介しよう、お前の兄弟子だ」
呼ばれた幼子は、はい、と返事をしてこちらにやってくる。
「子斉、今日からお前の弟弟子になる小聿だ。小聿、お前の兄弟子の子斉だ。困ったことがあったら彼を頼りなさい」
「はい」
静かに小聿と呼ばれた幼子は頷く。そして、彼は子斉の方を見ると大変優雅に揖礼をする。
「小聿と申します。よろしくお願いいたします、子斉どの」
丁寧な挨拶に、子斉は背中がゾワゾワとする。
どう考えても剣術をやるような感じではない。将来は文官の方が合ってるのではないかと彼は思った。
「子斉、挨拶しなさい」
「あ、あー……子斉だ、よろしく」
師匠に促されて渋々子斉は挨拶をする。小聿は静かに頷いた。
それ以上この幼子にかける言葉も思いつかず、子斉は逃げるように兄弟子たちの元へと駆けていく。
兄弟子たちと談笑しつつ、途中でチラリと視線をやれば小聿は先ほどと同じように御付きの青年らの間にお行儀よく座っていた。
――――ほんとお人形みたいだな……。ここで稽古をするつもりなのか?
師匠はなんであのお人形を弟子に取る気になったんだ?趣味か?
この道場に、うるさい野郎ばかりいるから、少し毛色の違うのを……とでも思ったのか?
そんなことをつらつらと考えているうちに、稽古の時間となり号令がかかる。
子斉は、パンっと頬を両手で打ち気合を入れ直すと我先にと師の元へと駆けて行ったのだった。
まずは、素振り稽古から始まった。
子斉は隣で素振りをする小聿を素振りをしながら、チラチラと見る。
初めのうちは、綺麗に素振りができていたがあっという間に疲れが出て、動きが怪しくなってくる。
――――ほら、言わんこっちゃない。素振りさえも耐えられないじゃないか。
やがて小聿は息を上げ、動きが止まってしまう。子斉は鼻で笑いながら、彼自身は涼しい顔で素振りをする。
素振り稽古が終わると、次は打ち込み稽古、見取り稽古、型稽古と続く。
打ち込み稽古は、子斉は小聿と組むように言われ渋々相対した。師匠と打ち込んでいる時に感じた印象と寸分違わず、初めは動きも速く、太刀筋も鋭いがあっという間に体力が枯渇し、へたれてしまった。
「あのさぁ……お前、体力無さすぎじゃね?」
「……自覚は、あります……」
「俺の稽古の邪魔になってる自覚もある?」
持っていた木刀をビシッとその綺麗な鼻頭に突きつける。
「…………」
小聿は黙って、瞳を伏せた。長いまつ毛が影を作る。その様は本当に綺麗なお人形だった。
子斉は深々とため息をついた。
「お前さ、どうせいいところのぼんぼんなんだろ?将来は、どちらかというと武官じゃなくて文官目指した方がいいよ。ここじゃなくて、勉学に打ち込んだ方がいいって」
「……私とて……勉学だけで良いのならそうします……」
「じゃぁ、そうすりゃいいだろ。とっとと帰って家で勉強するなり、家庭教師雇うなりしろよ。マジで邪魔っ!」
少し声を荒げて言うと、小聿はびくりと肩を震わせた。
小聿のお付きの者だろうか、奥に座して心配そうにしていた青年2名のうちの1人が立ちあがろうとする。
怯えた様子を見せていた小聿だが、彼はお付きの者を手で制する。
「ですが、若。この者、あまりにも失礼では?」
「良いのだ。子斉どの言はもっともだよ」
「ですがっ!」
「蕗隼」
蕗隼と呼ばれた側仕えは、口を閉ざし座り直した。
「だいたいさ、どんだけいいとこのぼんぼんだか知らねーけど。お付き連れて道場とかどんだけ甘ったれなんだよ。1人で来られないぐらい甘ったれがきていい場所じゃねーんだよ、ここは」
「……申し訳ない。子斉どのに不快な思いをさせてしまって……」
「わかりゃいいんだよ、わかりゃ。じゃぁ、帰った帰った。あの2人のお兄さんたちとお家に帰って母上や父上に甘えてな」
その言葉に、小聿のお付きの二人が立ち上がる。
「蕗隼、汝秀」
静かに、小聿は二人を呼ぶ。
「そなたら、稽古が終わるまで外に出ていてはくれないだろうか」
「若」
「出ていなさい」
ピシャリと主に言われて、二人の青年は渋々道場を出ていく。
「お前も二人と帰れよ」
「そう言うわけには参りません」
小聿は木刀を手にスッと背筋を伸ばす。
「私は、勉学だけではダメなのです」
「お前なぁ……」
頑なな小聿に子斉はますますイライラした。その彼を紫色の瞳が射抜いた。静かだが、強い光をたたえた瞳だった。
「私自身を護るため、私の側にいる者たちを護れる者になるため、諦めるわけには参りません」
ですが……と小聿は小さく息を吐く。
「子斉どのにご迷惑をかけるのは私の本意ではありません。私はここで素振りをしております。子斉どのはどうぞ他の方と打ち込み稽古を」
そう言うと彼は木刀を手に、子斉の元を離れていってしまった。
「んだよ、あいつ……」
子斉は小さく悪態をつくと、打ち込み稽古をするために木刀を手に他の者の元へと足を向けたのだった。
その後の見取り稽古、型稽古と終わり、最後の試合稽古は子斉はいつものように兄弟子たちと行った。
小聿はその間、あの紫の瞳で静かに稽古の様子を見つめていた。
稽古が終わり道場の掃除も終えると、帰る頃には八時になる。
この道場は貴族街の東五条に存在する。子斉の家は、貴族街の南三条にありここから二条分行けば着く。彼はいつも道場には愛馬に乗ってきていた。
愛馬の元に駆け寄り繋いでいた馬の縄を外していると、小聿が先ほどのお付きの二人と共に奥に停めていた黒塗りの魔導車に乗り込んでいるのが見えた。
――――やっぱり、相当いいとこのぼんぼんじゃん。
子斉の家とて、代々聖国の軍を預かる武官の家柄だ。
父は将軍院で南方副将軍として南の防衛や聖都の治安維持のため日々精を出しており、人に言わせればいいところの子息である。
しかし、現在聖国で車は手に入れるのも、維持をするのも相当な経済力が必要となる。子斉の家では、父が宮へ出仕するのに使う車があるだけで、子斉自身は基本移動は馬である。彼の母は屋敷から出るときは、父の車を回してもらうか、馬車で移動をする。
だが、あの小聿はおそらく彼専用の車なのだろう。彼と共にこの道場にいたお付きの蕗隼と言ったか、あの青年が運転席に乗っているのが見えた。ということは、彼が道場にいる間、車はここにずっと停まっていたはずだった。
小聿を乗せた車が静かに動き始める。
窓の外を見ていた小聿と目が合うと、彼は子斉に向かって小さく会釈をしてきた。
子斉はぷい、と視線を外し愛馬に跨ると慣れた様子で道場を後にし、家に向かって走り出す。
――――まぁ、どうせすぐ来なくなるだろ。
果たして、二日後の稽古に小聿は現れなかった。
そして、その後も小聿が現れることはなかった。
やっぱりそうか、そうだよな、と子斉は思いながら、戻ってきたいつもの道場での稽古に心底ホッとしたのだった。
互いに心を許さぬまま始まった邂逅――それが、後に聖国の命運をも左右する深き縁へと変わることを、この時の彼らはまだ知らない。――――いろどりの追憶・第三巻・三十頁




