09.狼皇子とご対面
(どうしてこんなところに子犬が!?)
シャルロッテは驚きと同時に、気持ちが高揚していた。
もしかして、カタルのサプライズだろうか。成功報酬というのは嘘で、シャルロッテのために子犬を用意していた。
(カタル様が私のために……。いや、そんなことをする理由はないし……)
やはり意味がわからない。シャルロッテには高貴な人間の考えることなどわからなかった。
助けを求めるようにカタルを見上げる。
彼は難しい顔で子犬を見つめていた。
「あれが息子のアッシュだ」
「……へ?」
(息子って。子犬が? これってジョーク? ここは笑ったほうがいいのかしら?)
しかし、笑い飛ばしていい雰囲気ではない。きわめて真面目な空気感に、シャルロッテの頬はピクリとも動かなかった。
「カタルの代わりに私が説明させていただいても?」
「もちろんです。お願いします」
オリバーが救世主のように笑みを浮かべる。眼鏡の奥の笑みが慈愛に満ちているように感じたのは、初めてだった。
オリバーは小さく咳払いをする。
「実はですね。私たち皇族は狼獣人の末裔なのです」
「狼……獣人?」
シャルロッテは間抜けにも、オウムのように同じ言葉を繰り返すことしかできなかった。
(獣人って、あの獣人?)
海の向こう側に住む獰猛な生き物。彼らは人間より力が強く、人を奴隷としていたという。その、獣人のことだろうか。
しかし。この帝国には獣人はいない。
いないはずだ。
「つ、まり……。カタル様もオリバー様も狼獣人の末裔で、あの子犬がカタル様の息子のアッシュ君で間違いないと……?」
「犬ではなくて狼だ」
シャルロッテの問いに、カタルが短く答える。この際、狼か犬かというところはどうでもいい。重要なのはそこではないのだ。
オリバーは困ったように頭を掻いた。
「難しい説明はおいおいゆっくりと致しましょう。これで、魔法契約を使用した意図がおわかりいただけましたか?」
「ああ、つまりつまり、狼獣人の血が流れていることが、皇族の大きな秘密ということですか?」
「よくできました。そのとおりです。私たちには狼獣人の血が流れています」
「なるほど……。では、お二人も狼の姿に?」
「なることも可能ですよ。ですが、基本は人間の姿で生活します」
「そうですよね」
このニカーナ帝国で獣人は忌み嫌われている。信じていた皇族が獣人だと知られたら、帝国の根底が揺るぎかねないのだ。
「獣人は獣の姿で生まれ、人間の姿を得ます。しかし、色々な事情が重なり、アッシュはまだ人間の姿を得られていません。その手助けをシャルロッテ嬢にお願いしたいと思っています」
オリバーの言葉にシャルロッテは頷いた。
(だから、私なのね)
シャルロッテが継母に選ばれた理由がずっとわからなかった。子育ての経験はない。なぜ、そんなシャルロッテに声がかかったのか、ずっとわからなかったのだ。
しかし、今ならわかる。
部屋の奥で震えながら威嚇する子犬が一番の理由だ。普通の令嬢では務まらない。これを引き受けることができるのは、『変人令嬢』と呼ばれたシャルロッテ以外にいないだろう。
「人間の姿を得られるかどうかはわかりませんが、あの子のお世話をすればいいんですよね?」
「はい。そのとおりです。ひどく人間を嫌っているため、大変かと思いますが……」
「大丈夫です! やります!」
シャルロッテは間髪入れずに言った。
驚きはある。まず、この帝国の主である皇族が獣人であるということ。しかし、今更こわがって何になろう。この帝国ができて何百年という歴史で、皇族が人間を虐げたことはない。ならば、それが答えなのだろう。
断れるわけがない。あんなに可愛い子犬と生活ができるのだ。
ほわほわとした毛。きっと触り心地は最高だ。
「本当に動物がお好きなのですね。いやぁ、狼を前に目を輝かせる令嬢なんて初めて見ました」
「だてに四年、変人でとおっていませんよ」
「こんなに『変人』が頼もしい存在だとは。もっと早くに声を掛ければ良かったですね、カタル」
オリバーがカタルに話しかけると、カタルは「そうだな」と相槌を打った。彼の表情は相変わらず堅い。
「息子のことはシャルロッテに任せた。私は仕事に戻る。息子のことは私よりもオリバーのほうが詳しいから、困ったことがあったらオリバーに聞いてくれ」
カタルはシャルロッテの返事も聞かずに、さっさと部屋を出て行ってしまった。
(自分の息子なのに……)
「カタル様はいつもあんな様子なのですか?」
「ええ、彼にも色々と事情がありまして」
オリバーは困ったように眉尻を下げる。あまり聞いてくれるな、というような雰囲気を感じ、シャルロッテはただ頷いた。
「今まではオリバー様がお世話を?」
「はい。私と私の姉の二人で世話をしていました。世話と言っても、魔法で清潔を保ったり、食事を与えたり。最低限のことしかしてあげられていません」
「そうなのですね。ずっとあの調子なのですか?」
「はい。誰かに触れられるのも怖いようです」
(じゃあ、三年間ああやって震えて生きてきたの? 可哀想……)
「私、頑張ってアッシュと仲よくなります!」
「よろしくお願いします」
オリバーは深々と頭を下げると、部屋から出て行った。
部屋にはアッシュとシャルロッテの二人きりだ。
アッシュは唸り声を上げ、ずっとシャルロッテを睨む。
シャルロッテは床に座り込むと、アッシュと視線を合わせた。
「はじめまして。私はシャルロッテ。今日からあなたのママになったの」
ゆっくりと落ち着いた声で話し掛ける。しかし、アッシュは唸るばかりだ。
「簡単に仲よくはなれないよね。少しずつ仲良くなろう」
◇◆◇
あれから数日、シャルロッテは毎日アッシュの元へと通った。
彼は相変わらず部屋の隅、カーテンの裏に隠れ唸っている。
(まずは私に慣れてもらわないと! 目標は撫でさせてもらうことよ!)
ほわほわの毛。白に近いグレーの毛は、見るからに触り心地がよさそうだった。頭から背中に掛けて撫でたらどんなに幸せだろうか。
毎日、妄想してはその手触りに思いを馳せている。
撫でたい。無理矢理にでも撫でたい。しかし、それは人として、継母としてやってはいけないことだ。
(ああ……! 唸る姿も可愛い! 可哀想だけど、すごく可愛い……! 今すぐ抱きしめたい!)
抱きしめて「大丈夫よ」と撫でたい。しかし、それで嫌われたら元も子もなかった。
(どうやったら警戒心を取ってもらえるんんだろう?)
オリバーはアッシュが人一倍警戒心が強いと言っていた。それは生まれてすぐに母親と離れたことが原因だと考えているようだ。なら、なぜ母親からアッシュを奪ったのか。聞きたかったが、聞くことはできなかった。
何かしらの理由があるのだろう。そんな事情をすべて背負うことは今のシャルロッテにはできない。
だから、シャルロッテにできることをしようと思った。
(私にできることは、とにかくアッシュと向き合うことよね)
少しずつ滞在時間を延ばして、シャルロッテがこの部屋にいることを普通にしようと頑張っているところだ。シャルロッテは壁に掛かっている時計を見上げた。
(あ、夕食の時間だわ)
夕食の時間、シャルロッテはカタルに報告をするようにしている。カタルと会えるのは朝食と夕食の時間だけだ。だから、この時間は死守しなければならない。
「アッシュ、今日はもう帰るね。アッシュもちゃんとご飯を食べるのよ」
シャルロッテはアッシュに用意した食事を指し示し、部屋を後にした。