56.ピンク
子どもの成長は早い。
部屋の中でプルプル震えていたのが、昨日の事のように感じる。
記憶の中ではつい先日まで狼の姿しか知らなかったアッシュが、今はアロンソ邸の庭園で駆け回っている。
「ママ〜!」
遠くまで行ったと思ったら、すぐにシャルロッテのもとまで戻ってくる。そして、シャルロッテに抱きついた。
使用人の付き添いは不要だと言ったため、今日は二人きりだ。
「あげる」
アッシュは花を差し出す。
「いちばん、きれいなやつ」
「ありがとう。探して持ってきてくれたの?」
アッシュは照れたような表情で頷く。
黄色の花がゆらゆらと揺れる。
「とっても綺麗! 嬉しいなぁ〜」
シャルロッテは思いっきりアッシュを抱きしめた。
嬉しいと、つい抱きしめてしまう。
アッシュも喜んでくれるから、抱きしめる回数は日に日に増えていっているような気がした。
別邸の外だと、アッシュは狼の姿になれない。あのもふもふふわふわを堪能できないのは寂しいのだが、アッシュを抱きしめていると、そんなことは些細な問題のように感じる。
アッシュは近くにあったピンク色の花をジッと見る。そして、興味津々な様子でシャルロッテを見上げた。
「ママのパパとママもピンク?」
ピンクとは、つまり髪の色のことだろうか。
シャルロッテが自身の髪の毛を一房つかむとアッシュは何度も頷いた。
「ピンクじゃないよ〜」
アッシュは目を丸くする。
「じゃ、じゃないの?」
「うん」
両親とは髪色が違った。
シャルロッテは両親ではなく父方の祖母の血を色濃く受け継いだようだ。
「ママのパパとママはピンクじゃないけど、ピンクは一人いるよ」
アッシュは目を瞬かせる。
「私の弟なんだけどね」
「おとと」
「アッシュには弟がいないから、なんて説明したらいいんだろう? パパとママの子だよ」
「パパとママの子はママ?」
「ママもパパとママの子だけど、弟もパパとママの子なの」
アッシュは目を瞬かせる。
今のアッシュの世界に弟は存在しない。パパとママとオリバー。そして、使用人たち。
残念ながら、他の皇族との交流もまだない中ではわからない。
「会ってみるのが一番だよね。今度遊びに行ったら紹介してあげるね」
「うん! おとと、たのしみ」
アッシュはシャルロッテを見上げてニッと歯を笑った。
「よし! パパにプレゼントするお花を探して、今日はお部屋に戻ろう!」
「うんっ!」
「パパは何色のお花にする〜?」
「ピンク〜」
アッシュは叫びながら楽しそうに花畑の中に駆けていく。
シャルロッテはそんなアッシュの背中を見て笑った。
「カタル様はそんなにピンクは好きじゃないと思うなぁ」
アッシュはピンク色を選択することが多い。彼がピンクを好きなのは嬉しい。
シャルロッテといえばこの髪色に近いピンクをイメージするだろう。
だから、ピンクが好きということはシャルロッテを好きだという意味だ。
カタルにとって、シャルロッテは「好き」という感情を持つ相手ではないと思う。
彼はもともとアッシュの母親役を探していた。一番条件に見合うのがシャルロッテだったというだけだ。
だから、カタルにとってのシャルロッテは、よくてビジネスパートナー、下手すれば乳母くらいの認識なのではないだろうか。
(まあ、アッシュが選んでくれた花なら何色でも嬉しいよね)
花畑から小さな頭が見え隠れしている。ひょこっと出ては消えて、ゆらゆら揺れる。
一つ一つ花を吟味しているのだろう。
その姿が可愛くて、シャルロッテは頬を緩めた。
シャルロッテは忍び足でアッシュにゆっくりと近づく。
アッシュは真面目な顔で花を選んでいる。つややかな黒髪に黄色い花粉がついていた。
「アッシュ、こっちのお花はどう? 大きいよ」
シャルロッテが声をかけると、パッと顔を上げる。
花をかき分けてシャルロッテのもとへと駆け寄った。
「おっきいねぇ」
アッシュは目を細めて笑う。大輪の花を指で突いた。
「でも……ピンクじゃない」
不服そうに唇を尖らせる。
アッシュは色にこだわりがあるようだ。シャルロッテは眉尻を下げた。
アッシュは再び吟味に入る。
ピンクの花を探しては飛び移る蝶のようだ。
(あとですごい悩んで選んでたってカタル様に教えないと)
こんなに真剣に選んでくれたと知ったら、感動するだろうか。
いや、おそらくいつもの変わらない表情で、「そうか」と返ってくるのは間違いない。
内心では感動しているのだろうとシャルロッテは日々妄想しているが、実際のところはわからなかった。
カタルは表情にも言葉にもほとんど感情を出さないからだ。
「これにする!」
アッシュは一輪の花を摘み取ると、高々と掲げた。
(結局ピンクかぁ)
アッシュの手の中で揺れる花を見ながら、シャルロッテは苦笑した。
「じゃあ、パパにお花を届けに行こうか」
「うん!」
アッシュは歯を見せて笑う。




