52.いいこと
「カタル様っ! あ、まだお仕事中でしたか」
シャルロッテは声を上げてカタルの名を呼んだあと、文官二人を見て恥ずかしそうに笑った。
「我々はもう帰りますので」
「長い時間お疲れ様でした。それから、ありがとうございます」
シャルロッテはぺこりと二人に頭を下げる。
しかし、文官の二人は理由がわからないようで、呆けた顔で首を傾げた。
「何かあったのか?」
カタルが問うと、シャルロッテは目を細めて意味深に笑い、カタルを見上げる。
しかし、すぐに頭を横に振った。
「秘密です」
随分と機嫌がよさそうだ。尻尾があったら左右にパタパタと揺れているだろう。
何かいいことでもあったのだあろうか。
彼女は感情がわかりやすい。隠す必要のない世界で生きて来たのだろう。彼女の家族を思い出し、カタルは内心納得した。
「殿下、シャルロッテ嬢、失礼します」
「長時間拘束してしまい申し訳ございません」
「どうぞお気をつけて」
無口なカタルの代わりに、シャルロッテが愛想よく笑った。
カタルは文官の一人がわずかに頬を染めたのを見逃さなかった。
少し変わった趣味さえなければ、シャルロッテは引く手あまたの人気者だっただろう。
シャルロッテとともに文官を見送りながら、カタルは思った。
シャルロッテが文官を見送って息をつく。ただの見送りなのだが、大仕事でもやってのけたような雰囲気さえある。
カタルはシャルロッテを見下ろして尋ねた。
「次は何の用で来た?」
日に二回も会いに来るのは珍しい。
彼女は
「それがですね。いいことを思いついたんです!」
シャルロッテはカタルの腕を引くと、強引にカタルの執務室へと向かった。
つまり、廊下ではできないような話ということだ。
カタルは小さく息をつくと、素直にシャルロッテに従った。
彼女の手には見たことのない袋。頬は高揚しているのか、わずかに朱に染まっている。
いつもよりも呼吸が浅いのは、おそらく興奮のせいだろう。
執務室の扉が閉まったと同時に、カタルは口を開いた。
「それで、いいこと、とは?」
「ふっふっふ……。これです!」
シャルロッテは待っていましたと言わんばかりに手にしてた袋を掲げた。
カタルに透視の能力はない。だから、袋の中身は察することができなかった。
カタルが質問を重ねる前に、シャルロッテは袋の中に手を突っ込み、一つ取り出す。
「これは……」
「お耳です!」
「おみみ……」
シャルロッテはピンク色の毛糸でできた耳を、カタルの目の前に掲げる。
カタルは呆けた顔で、シャルロッテの言葉を反芻する。
おみみ。それは最近よく耳にする単語だ。主にシャルロッテとアッシュの口から。
シャルロッテはそれをピンで器用に頭に留めた。
長い耳だ。シャルロッテの頭についた『お耳』は、半分のところでへにゃり倒れる。
ウサギの耳だろうか。
シャルロッテの頭の上で、長いウサギの耳がゆらゆらと揺れる。
カタルは揺れる耳を目で追った。
「どうでしょう? お耳です」
「たしかに、耳……だな」
「ウサギの耳は毛糸なんですけど、こっちは毛皮の余りで作ったので、ほら!」
シャルロッテは袋の中から黒い毛皮で作った耳を見せる。
そして、満足気に笑った。
黒の毛皮で作った耳は、犬――いや正確には狼の耳だろうか。
アッシュの耳によく似ている。
「耳……。これをどうするつもりだ?」
「もちろん、みんなでつけるんですよ」
「この、耳を?」
「はい。あ、この三つは言いつけを守らなかった三人のメイドたちに」
シャルロッテは袋の中からさらに耳を取り出してテーブルに並べた。
猫の耳、犬の耳、熊の耳。
色違いの毛皮で作ったのだろう。うまく特徴を捉えた耳が三つ並ぶ。
「これなら、アッシュの不安は取り除けると思いませんか?」
「アッシュの不安?」
シャルロッテは大きく頷いた。
長いウサギの耳が揺れる。
「はい。アッシュは真面目でいい子だから、皇族の秘密を守るには完璧にならないといけないんだって思ったのかなって」
カタルは頷いた。
日々、アッシュはオリバーから皇族について学んでいる。皇族の秘密を守ることがどれほど大切なことかもすべて。
三歳の子どもにはまだ難しいことも多いだろう。
「アッシュはお外に出たいはずです。だって、お外の話するときの目が一番輝いてますから!」
「そうだな」
「今は責任感で我慢してるんだと思います。でももし、間違えてお耳が出ても大丈夫だってなったらどうかなって」
シャルロッテは頭の耳を突いて笑う。
「それでその耳か?」
「はい! これぞ『変人令嬢』の私にしかできない秘儀です!」
シャルロッテは胸を張って満面の笑みを見せた。
「私の変人っぷりは有名ですからね。もちろん、ここの使用人も存じていることでしょう」
「……そう、だな」
おそらく、知らない者はいないだろう。
なにせ、カタルと婚約した際、新聞にはでかでかと載っていた。あの『冷徹悪魔』と『変人令嬢』が婚約した、と。
「私がお耳の一つつけても、みんな『やっぱり』って思うくらいだと思います」
「それは否定できないな」
カタルは苦笑を浮かべ頷いた。
「ですから、はい。これはカタル様の分」
シャルロッテはニコニコと笑みを崩さず袋の中から黒い耳を取り出し、カタルの手に置いた。