43.お外
「今後のことなんだが、そろそろ、本格的にアッシュを外に出そうと思う」
カタルの言葉にシャルロッテとアッシュは目を瞬かせる。
「ぼく、おそと?」
「ああ、そうだ。もう耳も隠せるだろう?」
カタルが頭を撫でた。アッシュは嬉しさがにじみ出た顔で何度も頷く。
アッシュはずっとこの日を待っていたのだから当たり前だ。
ずっと、この狭い別邸で暮らしていた。何度か別邸の扉を潜り、本邸を歩いたことはある。しかし、長い時間ではなかった。
本格的に出すということは、本邸を生活の中心に持っていこうとしているのだろう。
「よかったね。アッシュ」
「うんっ!」
「とは言え、油断すると耳が生えるから、まずは本邸の中で数時間から始めよう」
「そうですね。寝起きはこっちのほうがいいですよね」
アッシュは、意識すれば人間の姿を保てるようになった。しかし、寝起きになると話は変わる。
朝は狼の姿で目覚めることが多いから、寝ているあいだに無意識に変化してしまうのだろう。
「授業は秘密保持のため、別邸だ」
「それだと今とほとんどかわらないのではありませんか?」
昼間のあいだはオリバーが来て、皇族に必要なことを教えてくれている。その内容は多岐に渡るため、別邸で行われるのもしかたない。
就寝も別邸で行うとなると、生活としては何も変わらないのではないか。
シャルロッテは首を傾げた。
「いや。今と大きく変わる点がある」
カタルは真面目中おでアッシュを抱き上げると、床に下ろした。そして、膝をついて目線を合わせる。
「私かシャルロッテ、もしくはオリバーと一緒であれば、アッシュの意思で本邸に行っていい」
アッシュは大きな目を瞬かせる。カタルの言葉を理解しようとしているのだろう。
少し難しかったのだろうか。
シャルロッテもアッシュの側に寄り、アッシュの肩に手を乗せた。
「アッシュ、好きなときにお外出ていいって」
「ぼくの?」
「そうだよ。でも、ママかパパかオリバー伯父さんが一緒のときだよ」
「いっしょ、いいの?」
「うん。アッシュが『行きたい』って言ったら、いつでも一緒に行ってあげる」
「ほんと?」
「もちろん。ママが嘘ついたことある?」
アッシュは頭を横に振る。
「今からも?」
「今から? いいよ。アッシュが行きたいなら」
アッシュはちらりとカタルを見た。カタルは小さく息を吐くと、かすかに笑う。
「アッシュが行きたいなら構わない」
「ほんと?」
「ああ」
「あしたも?」
「ああ。明日も明後日も」
アッシュの問いにカタルは何度も頷いた。アッシュは目を輝かせる。
今までで一番輝いているかもしれない。
「あさっての次は?」
「その次もいい。毎日好きな時に外に出ていい」
「まいにち……」
アッシュは真っ赤な頬を押さえた。
相当嬉しいのだろう。
この三ヶ月、彼はずっと我慢してきた。シャルロッテやカタルが本邸に行っているとき、アッシュは一人だ。
長いあいだ寂しい思いをしてきてのだろう。
「だが、絶対に耳と尻尾は出さないこと。できるか?」
「うん! ぼく、できる」
カタルの問いにアッシュは強く頷いた。
「なら、問題ない。アッシュ、手を」
アッシュは素直にカタルに手を差し出す。カタルは彼の右手首に小さなブレスレッドをかけた。
シャルロッテのブレスレッドと似ている。
アッシュはキラキラと金に輝くブレスレッドを、まじまじと見つめた。
「これがその証拠だ」
「キラキラ……」
アッシュは瞳を潤ませて、右腕を抱きしめた。
まるで大切な宝物を扱っているようだ。
「今後食事は基本、本邸でとることにしよう」
「はい。アッシュ、夜ご飯はお外だね」
「うん……。おそと」
アッシュは期待をはらんだ目でシャルロッテを見たあと、小さく頷いた。まだ感情が追いついていないのだろう。必死に右腕を抱きしめている。
アッシュの嬉しそうな顔を見ているだけで幸せだ。
◇◆◇
シャルロッテとアッシュは別邸の扉で並んで立った。
もうすぐ、晩餐の時間だ。
カタルはアッシュに重大発表をしたあと、仕事に戻ってしまった。
だから、食堂で会うことになるだろう。
(緊張する~!)
もし耳や尻尾が出てしまったら?
そう考えると不安になることもある。
もちろん、オリバーの力を借りれば、使用人たちの記憶をいじることはできるのだろう。
けれど、それは最終手段だ。
アッシュを連れて別邸の外に出たことはある。しかし、毎回使用人は近づけないようにしていた。
今回、初めて使用人たちに会うことになるだろう。
(人見知りだから大勢では押しかけないようにって、言ってあるけど……)
シャルロッテとカタルが説明をしているときでさえ、使用人たちは浮き立っていた。
(守れるのは私だけ! しっかりしないと!)
シャルロッテは拳を作って気合を入れる。
すると、アッシュも隣で拳を作って強く頷いた。
アッシュの顔は少しこわばっていた。




