40.アッシュの秘密のアドバイス
アッシュは頭を横に振った。
「ママ、連れてきてくれた。アッシュ、寂しくなくなった」
「そうか。だが、私がもっと一緒にいてやれれば、もっと寂しくなかっただろう?」
「アッシュのおみみなくなったら、もっと一緒でしょ?」
アッシュが自身の耳を小さな両手で触る。
この耳を三時間隠すことができたら、本邸に行くと約束していた。アッシュはカタルに「おはよう」が言いたいのだ。
けれど、そのことをカタルは知らない。
カタルはゆっくりと頭を横に振った。
「いや」
短い否定の言葉にアッシュではなく、シャルロッテが目を見開く。
「耳があってもいい。これからはもっと親子らしいことをしよう」
「親子らしいこと?」
「ああ、今日からパパとママもここで生活する。どうだ?」
アッシュの三角耳がピコンッと立った。
「ほんと!? ずっと?」
「ああ、ずっとだ」
「パパとママ、一緒に寝る?」
アッシュはキラキラとした目をカタルとシャルロッテに向けた。
「えっ!? 一緒ですか!?」
叫んだのはシャルロッテだ。アッシュは三人で一緒に寝たいのだろう。しかし、そのおねだりは想定外だった。
(アッシュと二人で眠るのはいいけど、カタル様も一緒なのはさすがにまずいのでは!? 婚約者だからいいの? でも一応まだ婚前なわけで……)
シャルロッテの頭の中ではノエルが目をつり上げて「破廉恥!」と怒っている顔がよぎる。
「アッシュ、パパはまだアッシュほどママに気に入られてないから、三人は難しいらしい」
「ちょっと! カタル様っ! 変なことを言わないでください!」
今まで冗談など言っているところを聞いたことがない。突然どうしたというのだ。
アッシュがシャルロッテとカタルを交互に見て、にこりと笑った。
「パパ!」
アッシュは叫ぶとカタルの耳元で囁くように何かを言っていた。獣人ならば聞こえるだろうか。しかし、残念ながらシャルロッテは人間だ。何を言っているのかわからない。
カタルは「なるほど」と真剣な顔で頷いている。
「では、それは明日にしよう」
「うんっ!」
嬉しそうにアッシュは尻尾を振った。
「二人とも何の話をしていたんですか?」
「ひみつ」
「明日になればわかる」
二人は顔を見合わせて笑った。どこからどう見ても親子だった。
◇◆◇
そのあと、カタルはすぐに寝室を別邸に移動した。と、言っても、仕事のこともあるから寝起きは別邸で、仕事は本邸でとなるだろう。使用人にも入れない家族三人の場所だ。
シャルロッテは本邸の荷物を運びながらカタルに質問をした。
「カタル様、聞きたいことがあったんですけど」
「なんだ?」
「どうして、別邸で暮らそうと思ったんですか?」
「君を見ていたら、本物かどうかなんてどうでもよくなった」
「私、ですか?」
シャルロッテには身に覚えがなかった。
ただ、アッシュを撫で回していただけ。カタルを心を変えるようなことをしただろうか。
シャルロッテは首を傾げる。
「ああ、私は少し意固地になっていたのかもしれない」
「よくわからないですけど、無理していないならよかったです」
「さて、そろそろ行こう。アッシュとの約束だ」
「ピクニックでしたっけ?」
昨日、アッシュとカタルは三人でピクニックをする約束をしたらしい。もちろん、誰にも見られない裏庭だ。
「キャンッ」
狼の姿で現われたアッシュは、荷物を持っていたカタルとシャルロッテの周りをぐるぐると回った。
早く行こうと言っているようだ。
「そんなに行きたいの? うーん、荷物はここに置いて、行っちゃおうか?」
「キャンッ」
「と、いうことで、カタル様。行きましょうか」
「ああ、そうだな」
三人は裏庭に向かった。
裏庭に出た途端、アッシュはひらひらと舞う蝶を追いかける。いつもの光景だ。
しかし、カタルは初めて見る。シャルロッテはカタルに耳打ちした。
「アッシュはああやって蝶と追いかけっこするのが趣味なんです」
「そうか」
「気をつけてないとすぐ泥だらけになるんですよ」
「私もよく兄と駆け回っていた」
カタルは目を細めて駆け回るアッシュを見た。昔を懐かしんでいるのだろうか。その表情はどこか憂いをはらんでいるような気がした。
「カタル様も昔はあんなに小さくて可愛かったのですか?」
「私にだって子どものころはある」
「へぇ~見てみたかったなぁ~」
きっと可愛かったに違いない。
二人は木の陰に敷物を敷くと、並んで座った。アッシュが駆け寄ってくる。
「蝶々はもういいの?」
「キャンッ」
アッシュが元気に返事をした。いつもならば随分時間を掛けて追いかけ回すのだが。そして、最後は逃げられてしまうのだ。
アッシュはシャルロッテの前に腹を見せて転がった。思わず手が伸びてしまう。もふもふでふわふわの毛。アッシュの毛並みは極上だ。
シャルロッテがブラッシングをするようになってから更にふわふわ度が増したように思う。
(ああ……。やっぱり幸せ~)
腹を撫で回し、背中や頭も丹念に撫でる。すると、アッシュがカタルに期待の眼差しを向けた。目と目で会話するような雰囲気にシャルロッテは首を傾げる。
「どうしたの?」
アッシュは催促するようにカタルの手を前足で引っ掻いた。
カタルが深く息を吐く。
「アッシュ曰く、君は狼の姿が大好きだから、狼の姿で一緒に過ごせば仲よくなれるそうだ」
「へ?」
シャルロッテが間抜けな返事をしているあいだに、カタルの身体が光に包まれた。眩しさに目を瞑る。
ゆっくりと目を開けたときには、目の前に灰色の狼が立っていた。
黄金の眼をもった灰色の狼はシャルロッテの周りをゆっくり一周回った。そして、空いている場所に寝そべる。
(昨日の耳打ちって、もしかしてこれ!?)
アッシュは嬉しそうに尻尾を揺らしたあと、シャルロッテとカタルのあいだにすっぽりと収まった。
「きょ、今日こそ……触っても?」
つい、願望が口から出た。返事はない。狼の姿になると人間の言葉は話せないようだ。しかし、揺れる尻尾がいいと言っているような気がした。
シャルロッテはゆっくりとカタルの背中に手を伸ばす。
指先に毛が触れた瞬間、すぐにわかった。このもふもふの誘惑には抗えないと。
シャルロッテは両手で思いっきりカタル背を撫でる。
大きな背中だ。手だけでは飽き足らず、シャルロッテは顔も埋めた。
見た目以上にふわふわだ。
「ひゃ~! 幸せ~」
シャルロッテの幸せな声が裏庭に響く。
背中を向けたままのカタルはどんな顔をしているかはわからない。きっと呆れていることだろう。しかし、大きな尻尾は揺れている。だから、嫌ではないようだ。
シャルロッテとカタルの隙間から顔を出したアッシュは幸せそうに目を細め小さく鳴いた。
FIN
最後までお読みいただきありがとうございました!
楽しんでいただけていれば幸いです。
書いていて楽しかったので、時間ができたらもう少し先の物語を綴れたらと思っています。
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