04.結婚の条件
シャルロッテ・ベルテの名前は社交界では有名だ。
それは、本人が自覚するほどに。
最近ではダンスすら誘われなくなった。「シャルロッテ嬢と目が合ったら、結婚を強要されるぞ」と耳打ちしているのを聞いたことがある。
そんな無節操なことをしたこともないし、するつもりもない。しかし、躍起になって反論するつもりもなかった。
性格の悪い人間が自分から排除されていくのだから、これほど楽なことはない。
結果、周りに残ったのは心優しい人だらけになったのだから、シャルロッテの判断は間違っていなかっただろう。
シャルロッテは噂を止めたことはない。『動物好きの変人』は事実だ。なにせ、結婚の条件はただ一つ。永遠の愛でもなく、「屋敷の中で犬や猫を飼うこと」なのだから。
この無謀とも思えるような条件をのんでくれる人であれば、恋心が生まれなくとも感謝と尊敬の気持ちを持って結婚生活を送れるだろう。
カタル・アロンソは、多くの耳と目を持つと言われる皇族の一人だ。彼がシャルロッテの噂をまったく把握せずに求婚するとは思えなかった。
「噂程度ですが」
カタルは短く言う。そして、金の瞳がシャルロッテを探るように見た。
「犬や猫を屋敷で飼うことを望んでいるとか」
「はい、その通りです」
シャルロッテは臆することなく笑みを向けた。軽蔑されたところで今更だ。既に二十一回、経験済みだから慣れているだけだけれど。
けれど、カタルは違った。わずかに目を見開いただけ。そこに軽蔑の色はない。どちらかというと驚きのほうが近い。
「もしかして、信じていませんでしたか?」
ニカーナ帝国では幼いころから獣人は、獰猛で残酷な生き物だと教わる。動物も忌避すべきと習う。シャルロッテもそれは例外ではなかった。
幼いころに読む絵本には、人間を食べてしまう熊の物語を読み、布団の中で震えたこともある。
そんな風にニカーナ帝国に暮らす人間は、ごく自然に動物を嫌っていくのだ。
だから、「動物が好き」「犬や猫と一緒に暮らしたい」と口で言っても、最初は誰も信じてはくれなかった。悪い冗談か何かだと思うようだ。
「結婚をしたくないだけの可能性も考えていた」
「まさか! 一生独身も悪くない選択ですけど、理解ある相手がいるなら結婚もやぶさかではないと思っています」
そのほうが両親も安心するし、領地のためにもなる。貴族の婚姻は家同士の繋がりを強固にする役割がある。ベルテ家の娘として生まれた以上、それを最初から嫌がることはできない。
貴族として生まれ、ある程度の贅沢が許されているのは大きな義務を背負うからだ。
それでも譲れなかったのが、「動物と一緒に暮らす」ということだった。
両親からそれを諦めて嫁ぎなさいと言われたら、諦めざるを得ないとも思っている。
「君は本当に犬や猫が好きか?」
「もちろん」
「……どういうところが?」
「そうですね……」
シャルロッテは腕を組み「うーん」と唸る。犬や猫は人間と同じで一匹一匹性格が違う。だから、「従順なところが」とか「人懐っこい」ところがと言っても納得してもらえないだろう。
犬も猫も仲よくなるには時間がかかる。
ベルテ家でも使用人たちが猫を飼っている。ただのねずみ取り用なので、飼っているとは言えないのだが。
その猫と仲よくなるのには時間を要した。人間たちに雑に扱われた猫は、人に慣れるのに時間がかかるようだ。
シャルロッテは一考したのち、カタルを見上げた。
黄金の瞳が興味深げにシャルロッテをとらえる。探るような視線に耐えきれなくなったシャルロッテは視線を足元に移す。
綺麗に磨かれたカタルの靴。靴紐もキッチリと縛られており、几帳面そうな性格が出ている。
「殿下はご存じないかもしれませんが……。毛がふわふわなんです」
シャルロッテは羞恥を覚えた。
頬が熱くなる。子どもみたいな理由だ。けれど、事実だった。
小さな笑い声が聞こえ、シャルロッテはカタルを見上げる。
「本当に! 本当にふわふわなんですよ! ずっと撫でていたいくらい! 抱きしめて眠ったら、最高の夢が見られると思います!」
つい語ってしまった。
動物の話を聞いてくれる人はいない。家族も理解はしてもやはり、苦手な動物の話は聞きたくないだろうし、友人やメイドに話すこともできなかった。
カタルはわずかに目を細めて笑う。
その顔が神々しくて、シャルロッテは思わず目を細める。
「君が本当に好きなのはわかった」
「よ……よかったです。理解していただけて……」
興奮して熱が昇ったのか、頬が熱い。
手の甲を頬に何度も押しつけた。
「話を戻しましょう! 私の噂を聞いてわざわざ求婚するということは、その条件をのむことができるということ……ですよね?」
「そういうことだ」
「それは……つまり、犬や猫を屋敷で飼っても?」
「ああ。好きなだけ飼ってくれて構わない」
カタルはあっさりとした様子で言った。
普通なら考えられないことだ。
(本当に? 詐欺じゃなくて?)
シャルロッテはカタルの目をジッと見つめる。しかし、嫌悪の色はない。彼は動物を家で飼うことは嫌ではないようだ。
「本当にいいんですか? 廊下を犬が走るかもしれませんよ!? 起きたら猫が足元で丸まって寝ているかも」
「好きにしたらいい」
カタルは短く答える。
今までにシャルロッテの理想を語ったことは何度かある。家族や近しい友人たち。しかし、誰もが想像すらしたくないと言わんばかりに、顔をしかめるのだ。
(皇族ともなると感情を表に出さない訓練とかするのかしら?)
それくらい、カタルからは嫌悪の感情が出てこなかった。
「では、教えてください!」
「ん?」
「条件です。私の条件をのむということは、殿下にも条件があるのですよね?」
結婚は慈善事業ではない。
わざわざ面倒な条件がある女に求婚をするということは、それと同じくらい面倒な条件があるということだ。
「趣味は変わっているが、聡明なようだ」
カタルは黄金の瞳を細めて、小さく笑った。