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34.カタルの過去4

 ディアナは慌ててカタルとオリバーを呼んだ。叫ぶような声で呼ばれ、カタルとオリバーが部屋の中に入ると、ディアナは生まれたばかりの小さな子を抱いていた。


「カタル、どういうこと!?」

「何が?」

「何がじゃないわよ! 見て!」


 ディアナが差し出した子は、どこからどう見ても狼の子どもだった。

 カタルは呆然とその子どもを見下ろす。何が起こっているのかわからなかった。あり得るわけがない。クロエと見知らぬ男との不義の子だ。狼の姿で生まれることなどありえないのだ。


「カタル、本当に彼女と本当に何もなかったのか? これはどう見ても……」

「わかっている。だが、私ではない」


 記憶を手繰り寄せても、クロエと一夜を共にしたことはない。

 頭が混乱していた。計画ではクロエが子どもを産んですぐ、死産と発表する予定だったのだ。


(何が起こっているんだ……? この子は一体……)


 クロエの体調が戻り次第、彼女と子を地方の屋敷に送り届け、相手の男と暮らせるようにする。それが、今回の計画のすべてだ。子どもは人間であるはずだった。


「私の子……。私にも抱かせて……」


 クロエが弱々しく手を伸ばす。しかし、ディアナはその手を振りほどいた。


「クロエ、少し待ってちょうだい」

「もしかして、私の子に何かあったの!?」


 クロエはベッドから這い出ると、ディアナから子どもを奪い取った。

 火事場の馬鹿力とはこういう時に発揮させるのだろう。獣人であるディアナの力は強い。そのはずなのに、あっさりと子どもを奪い取ったのだ。


「私の赤ちゃ――……いやぁあああああっ! バケモノッ!」


 クロエは叫んだ。彼女は生まれたばかりの子を放り投げる。放物線を描いて宙を舞う赤子を誰もが呆然と見ていた。


「カタルッ!」


 ディアナの叫び声が部屋に響く。その声で我に返ったカタルは、ギリギリのところで赤子を抱きとめたのだ。

 クロエは叫び声をあげ続けた。「あれは私の子じゃない!」「私の子を返してっ!」耳の奥が痛くなるほどの叫び声は彼女が気を失うまで続いた。

 クロエが気絶すると、沈黙が訪れる。カタルとオリバー、そしてディアナは生まれたばかりの赤子に再び視線を戻した。


「どういうこと? 不義の子じゃないの?」


 ディアナの言葉に、カタルは自嘲気味に笑った。


「私が神にでもなったのであれば、私の子だろうな」

「つまり、皇族の誰かと浮気をしていたということだね」


 オリバーが眉尻を下げながら言った。ディアナは大きなため息を吐き出す。


「ここで暮らしていれば誰とでも会えるものね。相手の男も子ができてもカタルの子ということになるから問題ないと思ったんでしょ」


 皇族は秘密を守るため、子どものころから性に関する教育を厳しく受ける。男子は特に厳しかった。婚外子を作ることは許されない。万が一、妻以外の女性に手を出した場合は報告が義務化されている。

 すべては皇族の秘密を守るためだ。


「まさか、カタルが指一本も手を出していないとは相手も知らなかった、ということか……」


 オリバーが苦笑をもらす。

「これからどうする? 計画が全部だめになったわけだけど」


 生まれたばかりの赤子はすやすやと眠っていた。大人たちの都合など関係ないとばかりに、狼の子は夢の中にいる。


「この子は私の子として育てよう」

「他人の子を育てるつもりか?」

「狼の子だ。不義の子として肩身の狭い思いをするよりも、私の子として育ったほうが幾分か幸せだろう」


 クロエを尋問すれば父親はわかるだろう。しかし、父親には家族がいる可能性が高い。その妻も、二人のあいだにいる子も全員が傷つく。


「そんなことより、クロエのことはどうするの?」

「狼の子を見られた。放っておくわけにはいかない」


 カタルは大きく息を吐き出した。ベッドに眠るクロエは、奥歯を噛みしめ顔を歪めている。錯乱するほどだ。よほどの恐怖だったのだろう。

 オリバーはクロエの寝顔を覗き込み、肩を落とす。


「彼女には悪いが、記憶を改ざんするしかないだろうね」

「すまない。面倒をかける」

「いいさ。だけど、整合性を取るためにも時間がかかると思う」

「ああ、ここだと色々まずいな」


 カタルたちが暮らす王宮は執務をすることを考えると便利だが、あまりプライバシーは守られない。人の出入りが多いのだ。

 赤子とクロエの両方を隠しておくには不都合な場所だった。


「引っ越す」


 ちょうど、引っ越しは考えていたことだった。そのための屋敷も買い取っていたのだ。


「クロエが初産で精神的に不安定になったとでも言っておこう」


 こうしてカタルは一晩のうちに引っ越しを終えた。クロエの記憶を改ざんし、産後間もない彼女を捨てたのは、記憶の替えていくあいだにも息子のアッシュを殺そうとしたから。彼女はうわごとのように「こんな子は私の子じゃない」と言っていた。

 カタルは『冷酷悪魔』と呼ばれるようになったのは、その日からだ。


 ◇◆◇


 カタルは頭を押さえた。あまりいい記憶ではない。それをたぐり寄せるのは、想像以上の苦しさだったようだ。


「あの……。アッシュの父親は……」

「おそらく、兄だ」

「兄……? それって皇帝陛下ってことですか?」

「ああ。目の色がよく似ている。顔つきも、兄の息子の子どものころにそっくりだ」


 人間の姿になって更に似ていると思った。


「陛下は知っているんですか?」

「いいや。もし、クロエと兄に関係があったなんてことになれば、それこそ皇族にとっては大問題だ」


 聞いたところで新しい問題が浮上するだけであることはわかっていた。馬鹿な弟のふりをしておくのが一番だと思ったのだ。妻の不貞にも気づかない馬鹿な弟。


「そうですよね……。私がカタル様の立場でも多分、言えないですもの」


 シャルロッテはぎこちなく笑う。無理矢理笑っているのか、頬は引きつっていた。


「私……」


 彼女は顔を歪めると、彼女の瞳に涙が溜まっていく。


「私、今まで……カタル様に無神経なことしていました……」


 そう言い切ると、大きな目から涙が溢れる。

 ぽろぽろとこぼれる涙は、綺麗な色をしていた。


「何も知らないとはいえ、アッシュに歩み寄ってほしいなんて……。ごめんなさい」

「君は何も悪くない。悪いのは、父親になると決めたのに、なりきれていない私のほうだ」


 彼女は何度も頭を横に振る。甘そうなストロベリーブロンドの髪が左右に揺れた。


「これ以上、一人で背負わないでください! アッシュは私が、二人分。ううん、三人分でも四人分でも愛情を掛けて育てます。だから……安心してください」


 シャルロッテが涙をこぼしながら笑う。

 忙しい人だ。笑うか泣くかどちらかにすればいいのに。

 しかし、今まで胸に渦巻いていた、もやのようなものが晴れていくような不思議な感覚を感じた。

 カタルは思わず、シャルロッテを抱きしめた。


「えっ!? カタル様っ!?」

「悪い。少しだけ……」


 カタルはシャルロッテの肩に顔を埋める。声が震えた。言い訳は思いつかなかった。

 シャルロッテの手がゆっくりカタルの背を撫でる。

 優しい手だ。他人の手をこんなにも優しいと感じたことはなかった。


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― 新着の感想 ―
すごく鼻と耳が良い設定はどこへ行ったんでしょう。 妻から兄の臭いがしなかったんでしょうか???
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