30.カタルの異変
カタルは何も言わないまま、動かない。こんなカタルを見るのは初めてだった。シャルロッテは立ち上がると、そっとカタルに耳打ちする。
「こういうときは、頭を撫でてあげるんですよ」
もう三年も父親をしているというのに、こんなこともわからないのか。ため息が出そうだ。カタルは、ぎこちない手つきで、アッシュの頭を撫でた。
アッシュは嬉しかったのか、狼の姿にもどってしまった。
「アッシュったら、相当嬉しいみたいです」
「……どうしてわかる?」
「え? 嬉しそうじゃないですか?」
尻尾が嬉しいと主張しているし、顔も緩んでいるではないか。シャルロッテは狼を抱き上げる。やはり、この姿のアッシュは最高だ。人間の姿のアッシュも可愛らしくて大好きだが、この手触り。カタルがいなければ、アッシュのお腹に顔を押しつけていたに違いない。
「そうだった! 私ね、狼のアッシュにもお土産を買ってきたのよ!」
「キャンッ」
アッシュが嬉しそうに鳴く。
一度アッシュを床に下ろすと、荷物の中から一枚のスカーフを取り出した。黄金の装飾がお洒落な白のスカーフだ。それを、アッシュの首に巻きつける。
「ほら! とっても似合う!」
「キャンッ」
嬉しそうに鳴くと、アッシュはシャルロッテとカタルの周りをグルグルと回った。尻尾は揺れている。
相当気に入ってくれたようだ。
シャルロッテはカタルがいることも忘れて、アッシュとじゃれ合った。
腹を見せるアッシュの腹を思う存分撫で回す。何度触っても、もふもふでふわふわで最高の触り心地だ。
狼というより子犬のようで、愛らしい。図鑑で見る狼は、もっと大きく強そうな成りをしていた。大きくなったら強くかっこよくなるのだろうか。
(カタル様もこんなに可愛い……わけないか)
本物の狼は見たことない。
どれくらい大きいのだろうか。想像もつかなかった。思わずカタルを見上げると、彼は難しい顔でシャルロッテとアッシュを見下ろしていた。
「カタル様? どうしました?」
「いや、なんでもない」
(なんでもないって顔じゃないけど……)
どう見ても「思いつめています」と言いたそうな表情だ。シャルロッテはアッシュから手を離し、カタルの顔を覗き見る。
「もしかして、体調が悪いですか? お医者様を呼びましょうか?」
「必要ない」
「キュゥン……」
「ほら! アッシュも心配してますよ!」
アッシュはカタルの足元に立つと、心配そうにカタルを見上げた。カタルは眉根を寄せたままだ。
しばらくのあいだ押し黙っていたカタルが、ゆっくりと口を開いた。
「……こんなところでじゃれてないで、荷物を部屋に運ぶぞ」
「ああ! そうでした」
シャルロッテは慌てて荷物を持ち上げる。三人は別邸と本邸を隔てる扉の前にずっと居たのだ。
最近のアッシュは活発で別邸の色々な場所を行き来している。アッシュが出入りしても大丈夫な部屋はすべて扉を開け放ち、危ない物が置かれている部屋には鍵をしめてある。
だから、こうやって別邸と本邸を隔てる扉の前でシャルロッテを迎えることがあるのだ。
「アッシュ、お部屋で他の洋服も見よう! アッシュのためにたくさんお洋服選んできたんだよ~」
「キャンッ」
アッシュは元気に鳴くと、シャルロッテとカタルを先導して歩いた。飛ぶように階段を駆け上がり、シャルロッテとカタルに向かって吠える。「早く!」と言っているようでかわいらしい。
シャルロッテとカタルはたくさんの荷物を抱えてアッシュを追った。
アッシュの部屋で箱からたくさんの服を取り出す。どれも子ども用のかわいらしい服だ。
尻尾が出ない形の服だから、これからたくさん活躍するだろう。
「この服はね、ボタンが可愛いの」
シャルロッテが一着一着広げながら、説明するのをアッシュは耳を立てて真剣に聞く。尻尾がぶんぶんと左右に揺れる。
カタルは扉の側でただジッと立ったままだった。
何か言うわけでもない。
(やっぱりさっきから様子が変)
ちらりとカタルの様子を見る。アッシュも気になるようで、何度もカタルに視線を送っていた。しかし、彼は気づいていないのか、視線を二人に向けながらも、何も言わない。
シャルロッテとアッシュは顔を見合わせ、首を傾げた。