03.シャルロッテの噂
彼は人のよさそうな笑みを浮かべていたが、心からの笑みではないと直感が言っている。
愛想笑いとも違う。本心を隠し、こちらに探りをいれるような笑みだ。獰猛な獣を前にしたような、妙な緊張感が走った。
反対に父は愛想笑いを浮かべ、わずかに震えた手でティーカップをつかむ。波を立てる紅茶を流し込もうとして、熱さに声を上げた。
ノエルはそんな頼りない父を見て、ため息を吐く。ぐっと身を乗り出すと、カタルを睨みつけた。
「なぜ、姉に求婚を?」
「一目惚れだと言ったら信じてもらえますか?」
「それなら。姉は美人で気立てがいいので」
ノエルは満足そうに頷く。シャルロッテは苦笑を浮かべた。ノエルは昔から過大評価しすぎなところがある。
本当の美人は二十回もお見合いに失敗したりはしないものだ。
カタルはノエルを見据えると、更に目を細めた。
「私が一方的に存じ上げていただけですので、一度お姉様と話す機会をいただけませんか?」
「姉と?」
ノエルがチラリとシャルロッテに向いた。
それに習うようにカタルも視線の先をシャルロッテに変える。
「せっかくですから、ベルテ家の庭園を紹介していただけたら」
カタルは窓の外に視線を移して言った。提案、というよりは決定事項のように。ノエルはそれが気に食わなかったのか、額に青筋を浮かべた。
今にもつかみかかってしまいそうなほど苛立っているのがわかる。
この三日、ノエルの機嫌は悪かった。五分に一回求婚状のことを思い出し、「相手は『冷徹悪魔』だよ!? 会う必要なんてないと思うんだけど!」とシャルロッテの肩を揺さぶりながら何度も叫んでいたのは記憶に新しい。今朝も同じことを言われたから。
昨日なんて「僕が姉さんのふりをして会う」と言い出し、ドレスを買いに出ようともしていた。
このままだと何の落ち度もないカタルに危害をくわえてしまいそうだ。さすがに新聞沙汰はまずい。
両親に助けを求めたかったが、気弱な二人は蛇に睨まれた蛙。
(私がどうにかするしかないわね!)
シャルロッテは立ち上がった。
「殿下の屋敷に比べたらこぢんまりとしているので一瞬でしょうけど、それでもよろしければ」
「構いません。お手をどうぞ」
彼は紳士な態度でシャルロッテに手を差し出す。重ねた手は少し冷たかった。
薔薇のアーチをくぐり、庭園に入った。庭園といえるほど大それたものではない。ほとんど母の趣味で植えられた花は配置など何も考えられてはいなかった。
「先ほどは弟がすみません」
「いえ、シャルロッテ嬢を大切に思われているのでしょう」
カタルは空を見上げて苦笑をもらした。カタルの視線を追い、シャルロッテも視線を上げる。すると、二階の窓から睨みをきかせるノエルと目が合う。
相手は皇族だということを忘れているのではないか。
「……本当にすみません」
「いえ、仲がよくて微笑ましい」
カタルはそれだけ言うと金の瞳を花々に向ける。
シャルロッテは「あの花は百合で、母の気に入りの色だそうです」なとど、説明をつけながら案内をした。庭園の花を見るのが目的ではないことはわかっている。
(一目惚れなんて絶対嘘ね)
彼は一度もシャルロッテを見ない。好きすぎて目を見ることができないというよりは、興味がないような。
社交場に行き慣れるとそういう雰囲気には詳しくなるものだ。どれもこれも、他人の恋愛を目の当たりにした経験ではあるが。
恋という感情は隠せないもの。あふれ出る感情が彼にはなかった。
逆に言うと、他人から感じる軽蔑のような感情も彼からは感じられない。
(せっかくだし、私から聞いてみよう!)
シャルロッテが足を止めると、ほんの少し遅れてカタルも歩みを止める。
彼を見上げた。
太陽の光を浴びて、銀のように輝くアッシュグレーの髪。黄金の瞳も相まって、美しかった。
「あの、つかぬことをお伺いしますが……」
「なんでしょうか?」
感情の乗っていない冷たい声。恋を演じるのは下手なようだ。いや、演じるつもりもないのかもしれない。
それならそれでやりやすい。シャルロッテはただ条件を提示するだけ。そして、相手の条件が飲めるかを精査するだけだ。
「殿下は私の噂、ご存じですか?」
シャルロッテは笑みを浮かべた。