26.シャルロッテのおねだり
シャルロッテの朝はアッシュと共に始まる。
身支度を整えた足で最初に向かうのは別邸だ。
用意してもらった朝食を持ってアッシュの元へと向かう。そこで、彼の身支度を手伝いながら、食事を食べさせる。
最近では人間の姿になったり、狼の姿だったりと忙しい。基本的に狼の姿であっても人間の食事を摂って問題ないのが救いだ。
今日は狼の気分だったのか、彼はもふもふの姿で現れた。
もしかしたら、シャルロッテがふわふわの毛を撫でるのが好きだから、気を遣ってくれているのかもしれない。やはり、朝からアッシュを撫でると、幸せ度が全然違うのだ。
「アッシュは今日もかわいいね~。毛並みも最高~」
「キャンッ」
高い声でアッシュが返事をする。嬉しそうに飛び跳ねた。
食事を終えたアッシュを撫でまわすのは日課のようなものだ。人間の姿だったとしても、狼だったとしても思う存分撫でまわしている。
(は~。今日も最高~。かわいくてたまらない~)
腹を撫で、背を撫で、鼻の頭を撫でる。アッシュは終始嬉しそうに尻尾を揺らした。
「アッシュの今日の予定は、オリバー伯父様とお勉強だよ。今日も頑張ってね」
シャルロッテが撫でながら言うと、アッシュの身体が光に包まれる。これは、アッシュが狼の姿から人間の姿に変わるときの前兆だ。シャルロッテは慌てて服を用意した。
「うん! おみみをなくす!」
アッシュは耳を隠すことに闘志を燃やしているようだ。先日、オリバーから「人間の姿になれればもっとママと一緒にいられる」と教えられたことが原動力になっているらしい。
アッシュにとって別邸と本邸を隔てる扉は大きくて重いもののように感じているようだ。
シャルロッテはその扉からやってくる。しかし、アッシュがその扉をくぐることは、今のところできない。その理由が耳や尻尾であることをなんとなく理解しているのだろう。
「アッシュならできるよ。でも、なくなっちゃったら悲しいな~」
「でも……」
シャルロッテが言うと、アッシュは困ったように耳を垂れさせた。シャルロッテのために真剣に悩んでくれているのだろう。それがなんだかかわいく、そして愛おしかった。
シャルロッテは垂れた耳を撫でる。
「じゃあ、お耳が隠せるようになっても、ママにだけこっそり見せてくれる?」
「うんっ!」
勢いよく三角耳が立ち上がる。尻尾も嬉しそうに左右に揺れていた。
(カタル様にも耳と尻尾があれば、何を考えているのかわかるのにな~)
いつも機嫌が悪そうなのだ。
「あっ! いけない! 朝食の時間っ! アッシュ、急いで準備しよう!」
朝食の時間を思い出したシャルロッテはアッシュの身支度整え、後ろ髪を引かれる思いで本邸に戻った。
ずっとアッシュのところにいたいところなのだが、そうも言っていられない。カタルと共に朝食を摂らなければならないからだ。
カタルとシャルロッテが顔を合わせるのは、朝食と夕食の二回だけ。彼は忙しく、ほとんどの時間を執務室で過ごす。毎日の訪問が後を絶たない様子から、忙しいというのは本当なのだろう。
朝食の席に座らなくても怒られはしない。しかし、カタルと会話をする機会が一回分減ってしまうのも事実だった。
シャルロッテが駆け足で食堂にたどり着いたころ、彼は朝食を半分食べ終えたところだった。
「遅いな。また息子のところに行っていたのか?」
「はい! お腹が空いたら可哀想でしょう?」
「ならば、君もあちらで食べればいい」
「そうはいきません。私はカタル様との食事を楽しみにしているので」
シャルロッテは満面の笑みをカタルに向けた。彼の眉がピクリと跳ねる。これは「何を言い出すんだ」という顔だろうか。
「アッシュは今日も元気でした。朝からたくさん食事を摂って、元気に走り回っています」
「……そうか」
カタルはつまらない報告でも聞いているような態度で相槌を打った。
(自分の息子のことなのに!)
シャルロッテは頬を膨らませて朝食のパンをちぎる。湯気の立ったパンにシャルロッテはすぐに機嫌を直した。
温めたふわふわのパンにたっぷりのバターとジャムを塗って食べる朝食は至福だ。アッシュを撫でる次に好きだと言っても過言ではない。
「それで? 他にも話したいことがあるんだろう?」
(なんだ、冷たい態度をとりつつも聞きたいのね!)
その証拠に、カタルの食事の手が止まっている。アッシュがどう過ごしているのか、気になるのだろう。
(素直になればいいのに! やっぱり計画実行すべきね)
シャルロッテはアッシュについてたんまりと語ったあと、カタルをまっすぐ見て言った。
「カタル様にお願いがあるんですけど……」
「なんだ、改まって」
「新しく服が欲しいのですが、一緒に選んでいただけませんか?」
シャルロッテは上目遣いでカタルを見た。彼は眉根をわずかに寄せると、小さくため息を吐く。
「金のことは気にせず好きに選んできたらいい」
「そんなっ! 婚約したばかりなのに、一人で買い物に行ったらなんと噂されるか……!」
「元々『変人令嬢』と呼ばれているんだ。少しくらい噂されても何も変わらないだろ」
「変なあだ名はこれ以上増やしたくありません! 婚約者なんだから、少しくらい付き合ってくれてもいいじゃないですか」
「忙しい」
「そこを何とか……! お願いできませんか?」
シャルロッテは、真面目な顔でカタルを見つめた。しかし、彼は頭を横に振った。
そして、彼は面倒くさそうにナプキンで口元を拭うと朝食の席を立つ。
(だめかぁ……)
カタルを外に連れ出すのは難しそうだ。彼の背中を見つめながら、シャルロッテはがっくりと肩を落とした。
足音がぴたりと止まる。
彼は少しのあいだ逡巡したのち、ため息を吐いた。
「……明日、午後からだ」
「本当に!? いいんですか!?」
「あまり騒ぐならなしだ」
シャルロッテは慌てて両手で口を押える。そして、小さな声で言った。
「明日、よろしくお願いします」