25.ママとおなじ
アッシュの横顔は今にも泣きだしそうで、居ても立ってもいられなかった。
すぐにでも抱きしめたい。
しかし、シャルロッテが走り出す前に、オリバーが床に膝をついてアッシュに視線を合わせる。そして、口を開いた。
「アッシュ、耳と尻尾を隠せるようになっても、私たちは人間にはなれないんだ」
「やだ! ママと一緒がいい!」
アッシュの叫び声に胸が締めつけられた。
彼の青い瞳に涙がたまっていく。本を読んだあとだからだろうか、彼の気持ち手に取るようにわかる。今のアッシュにとって、シャルロッテだけが唯一頼れる人間なのだろう。
そのシャルロッテと自分が違う存在だということが不安なのだ。
「そんなのだめ!」
シャルロッテは思わず叫んだ。隠れていたことも忘れて、部屋の中に入ってアッシュを抱きしめる。
きっとこれから、アッシュは何度も葛藤することになるのだろう。
この世界の常識を知ったとき、別邸という小さな世界から出たとき、愛する人ができたとき。何度も、何度も狼であることに葛藤し、それを受け入れなければならない。
「ママはアッシュのお耳も尻尾も大好きだから、いらないなんて言わないで!」
「ママ……?」
シャルロッテが今、できることはたかが知れている。ただ抱きしめること。そして、狼の血が流れるアッシュの存在を認めることだけ。
シャルロッテはハンカチでアッシュの涙を拭う。そして、頭を、耳を撫でた。
やはり、このもふもふとした手触りが最高だ。どうして嫌いになれるだろうか。
「みんな一緒じゃなくていいと思うの。ママはどんなアッシュも好きだよ。アッシュはママが違うからきらい?」
アッシュは慌てて頭を横に振った。
「ママもアッシュが好きだよ。このお耳も、もふもふの尻尾も。狼の姿も大好き」
シャルロッテは何度も耳を撫でる。そのうち、カタルやオリバーのように狼の姿を隠して生きるようになるのだろう。最近では、アッシュが狼になることも減ってしまった。
しかし、シャルロッテのわがままで成長を妨げることはできない。アッシュは人間の姿を維持できなければ、この小さな世界から出ることができないのだ。
「アッシュも! ママが好き……」
アッシュはギュッとシャルロッテを抱き着き返すと、恥ずかしそうに顔を上げた。子ども特有のぷにぷにの頬っぺたを赤く染める姿はかわいらしい。
あまりのかわいらしさに心臓が飛び出るかと思ったほどだ。
(うちの子がかわいすぎる……!)
シャルロッテはアッシュを抱き上げた。
「今日のお勉強はもうおしまい! あんまり頑張りすぎるとお耳が疲れちゃうでしょ?」
耳を隠すという行為がどれほど大変かはわからない。しかし、アッシュの様子を見るに楽ではないのだろう。アッシュは「うんっ!」と元気よく返事をすると、狼の姿に変わった。
やはり、まだこの姿が本人にとってもしっくりくるようだ。
腕の中で尻尾をぶんぶんと振る小さな狼は撫でまわしたくなるほどかわいい。
(やっぱりどの姿もかわいい……!)
アッシュはそのままシャルロッテの腕の中で眠ってしまった。
相当疲れていたのだろう。オリバーが苦笑をもらす。
「シャルロッテ嬢が来てくださって助かりました」
「アッシュ、すごい頑張っていたみたいですね」
「はい。必死で可哀想なくらいでした」
オリバーは眉尻を下げながら、眠るアッシュの背を撫でる。ようやく、アッシュはオリバーにも慣れてきたようだ。
「もっとカタル様がアッシュとの時間を作ってくだされば、アッシュも獣人であることを受け入れやすいと思うんですよね」
「そうですね。アッシュが成長したように、カタルも変わるべきなのでしょう」
オリバーは目は切なげだ。何かしらの理由があるのかもしれない。
(実は子ども嫌いとか? ありえそうだよね)
いつも眉間に皺を寄せる姿は、子どもが好きそうには見えない。しかし、このまま放っておくわけにもいかない気がした。
「父親なんですから、もっとアッシュに興味を持ってもらわなくちゃ!」
「……何を企んでいるのですか?」
オリバーはおそるおそるといった様子でシャルロッテに尋ねる。
「そんな、まるで悪だくみしているみたいじゃないですか! ただ、カタル様には息子のかわいさをもっと知ってもらおうと思っただけですよ!」
シャルロッテはやる気に満ちていた。
(そうよ! 仮にも婚約者なんだし、少しくらいお節介してもいいわよね!)
それにカタルと仲良くなることは、アッシュの願いでもあるのだ。
「見ていてください! アッシュをもっと幸せにしてみせます!」
シャルロッテは握りこぶしを作った。