24.獣人のおはなし3
それは、まだ帝国ができる前のお話です。
か弱い人間たちは、悪い獣人たちにいじめられていました。
ある一人の人間を愛していた一匹の狼は、その人間を助けたい、守りたいと考えたのです。
狼は愛した人間に言いました。
『ここから一緒に逃げよう』
しかし、愛した人間は、首を横に振ります。
『仲間を見捨てては行けない』
それでも人間を助けたかった狼は、魔法使いと協力し、多くの人間たちを連れて海を渡ったのです。
そして、狼は人間の国を作りました。
けれど、人間たちは狼を怖がりました。なぜなら、人間たちをずっといじめてきた獣人と同じ姿をしていたからです。
狼は悩みました。
『どうして自分は人間ではないのだろう?』
狼は考え、魔法使いに頼みました。
『どうか、私を人間にしてほしい。そして、みんなの記憶から私が狼であることを消してほしい』
魔法使いはその願いを叶え、狼に人間の姿になる力を与えました。そして、魔法使いは人間たちから狼の記憶を消したのです。
人間の姿になった狼は、人間の国で王様になりました。狼は人間たちに『海の外にいる獣人たちはおそろしい』と教えて聞かせたのです。
いつまでのこの人間の国が幸せであるために。
こうして、狼は人間の姿で、人間たちと末永く暮らしました。
シャルロッテは本を閉じてうなだれた。
胸が痛い。
これはニカーナ帝国の成り立ちであり、皇族の祖先の想いが詰まっている。
(この童話の中に書いてあることがすべてではないのだろうけど……)
しかし、これが真実なのだろう。
シャルロッテの知っているニカーナ帝国の成り立ちは、獣人たちから逃れ人間は海を渡ったということだけ。
その先導者が皇族だった。その皇族が獣人であることはどんな本にも書かれていなかった。きっと、この事実が露見すれば、ニカーナ帝国は混乱するだろう。
シャルロッテは頭を横に振る。
(絶対誰にも言わないから大丈夫!)
シャルロッテは表紙の狼を見て、眉尻を下げた。優しく頭をなぞる。
(きっと、寂しかっただろうな……)
この狼にだって家族はいたはずだ。愛する人のために、すべてを捨てて海を渡る。それはどれほど怖いことだっただろうか。
そして、愛する人のために狼だった記憶すら奪い、狼は本当の意味で孤独になったはずだ。
今は皇族の数も多いため、一人で苦しみを抱える必要はないのかもしれない。けれど、彼らは常に孤独と戦っている。結婚相手にすら本当のことを言えないなんて。
(私も、元婚約者に夢を打ち明けるかすごく悩んだもんなぁ~)
シャルロッテは「彼なら、私の趣味を受け入れてくれるかもしれない」と、何度も自問自答した。やはり、シャルロッテも理解されたかったのだ。
たった一人でいい。生涯シャルロッテを理解してくれる人と出会いたかった。たとえ、一緒に犬や猫を飼ってもらえなくてもいい。ただ、シャルロッテが動物と触れあっていることで幸せを感じていることを理解してさえくれれば、それだけでよかった。
(もう過ぎた思い出だけど)
その後、二十回の見合いを経る中で心ないことを言われたこともある。けれど、後悔はない。シャルロッテの噂が広まったからこそ、カタルはアッシュの継母にシャルロッテを選んだのだろう。
(こんな本読んだら、アッシュに会いたくなってきた! お勉強をこっそり覗けばいいよね)
シャルロッテは書庫の本をぐるりと見回す。まだまだ知らないことは多い。いずれ、すべてを読もうと心に誓って書庫を出た。
そしてまっすぐ別邸へと向かう。
しかし、本邸の廊下を歩いている途中で声を駆けられた。――侍女のカリンだ。
「シャルロッテ様? 今までどちらにいらっしゃったのですか?」
「ちょっと書庫で本を読んでいたの。何か用?」
「他のメイドがシャルロッテ様を見かけたと言っていたのに、どこにもいらっしゃらなかったものですから心配してしまって」
そこまで心配して探さなくてもいいのにとは思うのだが、一度倒れたせいだろうか。
「そうだったの。ごめんなさい。また別邸に行ってくるから、心配しないで」
「お坊ちゃまのところですか?」
「うん」
「私も早くお坊ちゃまにお会いしたいです~」
カリンが身体をくねらせて言った。使用人からしたら会ったことがないアッシュに興味を持つことは自然のことなのかもしれない。
「まだまだ人見知りなの」
「私、子どもの相手が得意なので、大丈夫だと思います! 連れてってください!」
「ありがとう。でも、まだ他の人に会わせるのはできないの」
シャルロッテは眉尻を下げた。
アッシュが人間の姿になるまで、誰にも会わせられない。その理由を人見知りのせいだということにしていた。
「人見知りなら尚更、人に会うことに慣れたほうがいいと思います!」
「そうね。カタル様にも相談して、そのうちね」
シャルロッテの言葉にカリンは「お願いします!」と大きな言葉で言う。使用人たちは気になっていたとしても、そこまでアッシュの心配をしていると思っていなかったから驚きだ。
シャルロッテはカリンから逃げるように別邸に向かった。
アッシュとオリバーはまだ勉強中のようだ。
部屋の扉が少しだけ開いている。シャルロッテはそっと隙間から覗いた。
「アッシュ、本日の授業は終わりにしましょう」
「やだ! もう一回」
「困りましたね……。あまり頑張りすぎもよくありません」
アッシュは頭を大きく横に振る。オリバーは困ったように眼鏡を上げた。アッシュは両手で耳を隠すと、悔しそうにオリバーを見上げる。
「アッシュはママの子だから、おみみもしっぽもいらない……」
困惑を隠しきれないオリバーの横顔が見えた。アッシュが唇を噛みしめる様子が思いつめているように見えて、胸がギュッと苦しくなる。
「……ママと同じになる?」
アッシュの悲しそうな声が部屋に響いた。