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02.『冷酷悪魔』の悪評

 アロンソ家――その名前を知らない貴族はいない。いや、貴族に興味関心のない平民たちですら、その名前を知っているくらい、アロンソ家は有名だ。

 悪い意味で。


 シャルロッテは目を瞬かせた。

 両親、弟、そして執事の視線がシャルロッテに注がれる。


「求婚? 私に? 誰が?」

「アロンソ公爵が……。シャルロッテ・ベルテ嬢にぜひにと」


 一行ずつ指でなぞりながら文章を読んだ父が、静かな声で答えた。


「アロンソ公爵って、あのカタル・アロンソが?」

「これ、シャルロッテ。呼び捨てにしていいような人ではありませんよ!」


 母にたしなめられ、シャルロッテはペロリと舌を出した。


「この手紙は本物か? 誰かの巧妙ないたずらでは?」


 父の声は震えている。それもそのはずだ。アロンソ公爵家とベルテ伯爵家では家格が違う。

 ベルテ家が貴族階級の中の中の下くらいだとすると、アロンソ家は上の上の上である。社交場で会ったとして、挨拶すらさせてもらえるかどうか怪しい。

 そんな家から求婚状が届いたなど、信じられなくてもしかたないことだ。いや、シャルロッテだって信じてはいない。


「お父様、絶対いたずらですよ。だって、女嫌い、女の敵! あとなんだっけ? えっと……」

「冷酷悪魔」


 ノエルが低い声で言った。

 母が慌てて「こら、ノエルもやめなさい」とたしなめる。

 女嫌い、女の敵。そして、冷酷悪魔。どれも新聞で見たあだ名だ。

 カタル・アロンソ。正確にはカタル・ニカーナ・アロンソ公爵。帝国の名――ニカーナを背負う、皇族の一人だ。


「そんな奴との結婚は絶対反対だから!」


 ノエルは叫ぶ。

 シャルロッテはあははと声を上げて笑った。


「大丈夫よ。だって相手は、皇弟でしょ? 絶対にいたずらか間違いよ」

「そんなことわからないだろ。姉さんの魅力に気づいたのかも。……だったとしても、あいつは絶対ダメ!」


 ノエルの叫び声にみんなが耳を塞いだ。


「ノエル、アロンソ公爵の悪口はお辞めなさい。誰かに聞かれでもしたら……」


 母はこめかみを押さえて頭を横に振った。

 皇族からしたら中堅のベルテ家など、小指でひとひねりだろう。


「母上だってあの男の噂は知っているだろ!? 生まれたばかりの赤子を奪って妻を捨てるような男だぞ!?」


 両親は顔を見合わせて、顔を曇らせる。

 三年前の離婚事件は新聞にも何度も取り上げられ、貴族どころか平民も知るようなスキャンダルになった。

 カタル・アロンソは妻から生後一ヶ月にも満たない子を奪い、離縁までしてしまったのだ。アロンソ邸の門は固く閉じられ、返してと泣きじゃくる元妻の訴えを聞かなかったという。

 新聞でも何度も「息子を返してほしい」と涙ながらに訴える元妻が一面に取り上げられていたのを覚えている。


(あれから三年も経つのね)


 カタルの元妻――クロエ・ピエタとシャルロッテは三歳差で、社交場でも面識はあった。同じグループにいたわけではないが、夜会では会話をしたこともある。ピエタ侯爵家は階級で言うと上の中の中くらいだから、いつも見下されていてあまりいい思い出はないけれど。

 最近、彼女の話は聞かない。療養のためピエタ家の領地にいるとか、心の病で屋敷からでられなくなったとか、そういう噂も一年もすればなくなってしまった。


「でも、なんで今更再婚なんて考えているのかしら?」

「さあ。悪魔の考えることなんてわからないよ」


 シャルロッテの疑問にノエルは不機嫌そうに答えた。

 息子が一人いるから、跡継ぎの問題はない。女嫌いなのであれば、結婚する必要はない状況のように思えた。

 彼が噂とは違い女嫌いではないというのであれば、息子を産んだばかりの妻を捨てる必要もないように思えた。


(やっぱり何かの間違いよね)


 シャルロッテは父から手紙を受け取ると、二枚綴りの手紙を眺め見た。

 流れるように美しい字はお手本のようで惚れ惚れとする。「結婚をお許しいただきたい」となんのためらいもなく書かれた手紙。

 言葉運びから、育ちのよさが窺える。いや、相手はカタル・アロンソ――皇帝の唯一の弟だ。育ちなど手紙から察する必要もなかった。


(もし、何らかの事情があって、本当の本当に私に求婚してきたのだとしたら、切羽詰まっているはずよね)


 恥ずかしながら、社交界でシャルロッテ・ベルテの名を知らない者はいない。と、思っている。見合いをすること二十回。シャルロッテはそのたびにたった一つの条件を出してきた。


『屋敷の中で犬や猫などの動物を飼うことを許していただけるのであれば』


 とびきりの笑顔で伝えると、相手は同じ顔をする。驚きでも軽蔑でもない。そこに到達することもできないような、状況が把握できないというような呆け顔。シャルロッテをまるで、別の言語を話す怪物のような目で見るのだ。

 ニカーナ帝国の人間にとって、屋敷の中で動物を飼うなど想像もできないのは理解している。両親や弟でさえ、シャルロッテの望みは知っていても、外で触ることしか許してはくれなかった。

 そんな問題児のシャルロッテに求婚状を送るなど、狂気の沙汰としか思えない。


(私の条件もすんなり受け入れてくれるかも!)


 条件さえ受け入れてくれるのであれば、冷酷だろうと悪魔だろうと関係ない。


「お父様、お母様。せっかくですもの、お会いしてみたいわ」


 シャルロッテは満面の笑みを両親に向けた。

 ノエルが隣で信じられないものを見るような目で、シャルロッテを見ている。その目は、シャルロッテの結婚条件を聞いた時の見合い相手の目に似ていた。


「い、いいのかい……?」

「いいも悪いも、会わないとお断りもできないでしょう?」


 相手は格上。会ってもいないのに断ることなど許されるわけがない。その方法で父は二十回もの見合いを取りつけたではないか。

 そのつけが回ってきたのだ。


「大丈夫よ。『冷徹悪魔』だって、私の条件を聞いたら求婚状を送ったことを間違いだと理解するわ」


 みんなが顔を見合わせる。そして、諦めたように頷いた。


 ◇◆◇


 カタル・アロンソがベルテ家を訪れたのは、父が返事を書いた三日後のこと。

 応接室には両親と一緒にノエルまで付き添い、大所帯で客人を迎えることになった。

 カタルは出された紅茶に視線を落としたあと、一拍おいて口を開く。


「突然の求婚状に驚かれたことでしょう」


 彼は形のいい唇で弧を作り、黄金に輝く瞳を細めた。


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