17.怪我の功名?2
シャルロッテは心地よい太陽の光で目を覚ました。
周りを確認したけれど、残念ながら大きな犬はいない。
(夢かぁ~。都合のいい夢で最高だったなぁ~)
あんな大きな犬が屋敷に入ってきたら大騒ぎになるだろうから、夢で当たり前だ。
最高の夢を見たおかげか、身体は少し気だるさが残っていたが、すっきりとしてた。
上半身を起こし、伸びをする。たっぷり眠ったせいか、身体が固まったように固い。
(そうだ! アッシュのところに行かないと!)
きっとさみしがっていることだろう。
ベッドから抜け出そうとしたとき、扉が叩かれた。
「失礼いたします」
小さな声で言って入ってきたのはメイドのカリンだ。彼女は水の入ったボールを手に部屋に入ってきた。
シャルロッテと目が合うと、目を丸々と見開き駆け寄ってくる。ボールの水が波打つ。
「シャルロッテ様、お加減はいかがですかっ!?」
「いっぱい寝たからすっきり!」
「心配したんですよ。突然倒れられて、三日も寝込んで……」
「えっ!? 三日も!?」
次に驚くのはシャルロッテの番だ。
(熱出したのって昨日じゃなかったっけ? あれ?)
すっかり記憶がない。しかし、カリンが嘘をついているようにも見えなかった。
「旦那様を呼んでまいりますから、安静にしておいてくださいね」
カリンはそれだけ言うと、水の入ったボールを置いて走っていった。それから十分も経たないうちに、カタルが入ってくる。彼の後ろには白衣を着た初老の男が立っていた。医師なのだろう。ベッドの隣に置かれた椅子に座ったとたん、消毒液の匂いが漂ってきた。
医師は一通りシャルロッテを診察すると、にこりと笑う。
「傷口もふさがったし、熱も下がったことですし、もう大丈夫でしょう」
「ありがとうございます」
「いえ。そんなことより、アロンソ公爵にお礼を。ずっとつきっきりで看病されておりましたよ」
「カタル様が!?」
医師の言葉に目を丸める。
カタルに視線を向けたが、彼はシャルロッテから視線を逸らした。
(つきっきりと言っても、この人がそれをずっと確認していたわけじゃないし、多分そういうことにしているというだけよね)
この期に及んでいい人のふりをするとは。悪名高いカタル・アロンソが少し優しくなったからと言って、評判が上がるとは思えないのだが。
シャルロッテがカタルを見つめていると、医師が口角を上げてシャルロッテの顔を覗き込んだ。
「お嬢さん、次は野犬に襲われたことを秘密にしてはいけませんよ」
「……え?」
医師の言葉にシャルロッテは再び目を丸める。
「アロンソ公爵に聞きました。野犬に襲われたのだと」
神妙な面持ちで医師は「野犬はおそろしいですからなぁ」とうなずく。
(そっか。この傷をアッシュがつけたってバレたら困るから……)
シャルロッテはすべてを理解し、あははと笑った。
「すみません。そこまで深くなさそうなので大丈夫かと思ったのですが」
「普通の令嬢はあの傷を深くないとは言いませんがね」
「あー……。私は普通ではないようなので」
「そのようですね。次は浅い傷でもお呼びください」
医師は笑顔ではあったが、目は笑っていなかった。シャルロッテは迫力に気圧され、何度も頭を縦に振る。彼は満足そうに一回だけ頷くと立ち上がった。
「では、薬は毎日二回。また熱が上がったら、連絡をください」
「お忙しい中、ありがとうございます」
シャルロッテよりも先にカタルが返事をした。慌てて、シャルロッテも頭を下げる。
「いえ、アロンソ公爵の未来の奥様のためですからね」
医師は嬉しそうに目を細めた。彼は執事に連れられて部屋を出ていく。そして、気づけばカタルとシャルロッテは二人だけになってしまった。
シャルロッテは目を泳がせる。だいぶ迷惑をかけてしまったことをまず謝罪すべきだろうか。
医師の手配も、手の傷の嘘も彼が一人でやったのだろう。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「いや。私の判断ミスだ。最初から医師を呼ぶべきだった」
「きっと、その提案は私が断っていたと思うので、お互い様かと」
元気な時に医師に診てもらおうと言われても、「この程度、舐めておけば治りますよ」と笑い飛ばしただろう。カタルは難しい顔をしたまま黙った。
「あっ! アッシュ! アッシュに会いに行かないと!」
子どもにとって三日とは長い。シャルロッテも幼いころ、父が仕事で二日ほど屋敷を空けたときは寂しくて辛かった。
「だめだ。あと一日は安静にしておけ」
「一日なんて待てません! こんなに元気なのにっ!」
シャルロッテはベッドから飛び降りる。しかし、身体がよろけてしまった。カタルが支えてくれたおかげで尻は強打せずにすんだようだが。
「ほらな。あと一日は寝ておけ」
「いやです! 這ってでも行きますから!」
シャルロッテは叫ぶ。癒しがほしいし、これ以上アッシュを放っておけない。カタルをにらむと、彼は呆れたようにため息をついた。彼は椅子の背にかかったガウンを引っ張り上げると、シャルロッテの肩にかける。
柔らかなベージュのガウンは手触りが最高で気に入っていた。
訳がわからず首を傾げた瞬間、身体が宙に浮く。
「ちょっと!?」
「黙っていろ。あいつに会いたいんだろ?」
カタルはそれだけ言うと、大股で歩き出す。シャルロッテは横抱きのまま足をじたばたさせた。
「おろしてください! 一人で歩けます!」
「倒れられても困る。いいから黙っていろ」
有無を言わせない強い口調にシャルロッテは口を噤んだ。騒げば騒ぐほど使用人たちに注目される。それならいっそのこと静かにしていたほうがいい。
横抱きにされることなんて、幼いころにしか経験がない。
(なんて恥ずかしいの……!)
顔から火が出そうだ。
本邸の廊下が異様に長く感じた。
本邸と別邸を隔てる扉の前に到着し、シャルロッテは声を上げた。
「あれっ!? ブレスレット!」
右腕にはまっていたはずのブレスレットがない。慌てていると、カタルがシャルロッテを床に降ろす。そして、ポケットからブレスレットを取り出した。
「私が預かっていた。治療にも邪魔だったからな」
「ありがとうございます。よかった~。なくしちゃったかと思った」
「これは大切な物だ。気をつけろ」
シャルロッテは深く頷くと、右腕にブレスレットをつける。そして、扉にかざした。
仰々しい儀式ではあるが、大切なものだ。アッシュ――ひいては皇族の秘密を守るために。アッシュの心を守るためのものでもある。
「もう自分で歩けますから!」
シャルロッテはもう一度抱き上げようとしたカタルを制し、フラフラの足で階段を登った。この三日で随分と体力が落ちたようだ。
結局カタルの腕を借りながら登り、アッシュの部屋に辿り着く。シャルロッテは扉を三度叩いた。
「アッシュ、私よ」
返事はなかった。
いつものように扉を開ける。風が吹き、ふわりとシャルロッテのストロベリーブロンドの髪がなびいた。
視線を彷徨わせる。アッシュは窓際の椅子の側で、シャルロッテのストールに包まるようにして丸まっていた。
ただ、じっとシャルロッテを見つめる。いつものように飛びついてきたりはしなかった。
「アッシュ?」
アッシュが立ち上がって、ゆっくりシャルロッテの元に歩いてくる。不安そうな顔だ。途中で立ち止まると、アッシュは小さく鳴いた。鳴き声の意味はわからないが、寂しそうな声だ。
シャルロッテは床に膝をついて、アッシュと目線を合わせた。
「遅くなってごめんね」
すると、アッシュの身体が光に包まれる。眩しさに目を瞑り、次に目を開けたとき、目の前にいたのは小さな狼ではなく、アッシュグレーの髪を持った幼子だった。
二、三歳くらいの子どもの身体に耳と尻尾。想像どおりの獣人の姿だ。
「……アッシュなの?」
「ごめ……なさ……」
アッシュは小さな声で絞り出すように言うと、シャルロッテの腕を掴む。
「いか……いで……」
アッシュは何度もその二つの言葉を繰り返し、シャルロッテの腕に抱きついた。